2011/12/05

ムガル帝国時代の銀貨を発見 インド・ニザマバード

17世紀のムガル帝国の皇帝アウランブゼーブによって発行された銀貨20枚がニザマバードのチャンドラヤナパリ村で発見された。
考古局長のP. Chenna Reddy教授によると銀貨は全部で229.5グラムあるという。

2011/11/04

古代エジプトのミイラから前立腺ガンの痕跡を発見

M1と名付けられた2250年前のミイラは生前、長く苦痛を伴う進行性の病気と闘っていた。
彼の背中の下部には鈍い痛みがあって、やがて他の部分に拡がり、ほとんどの動作が苦痛になってしまった。
M1が51歳から60歳ごろに謎の病に屈した後、家族は彼をミイラ化してくれたので、M1は再生し、来世での幸福を享受することができた。
M1とそのCTスキャン図
Credit: (mummy)MNA / DDF - Instituto dos Museus e da Conservação, I.P., Lisbon; (CT, inset) LMP / IMI - Imagens Médicas Integradas, Lisbon
国際的な調査チームが、M1の診断を行った。
M1は古代エジプトで知られている中でも最も古い前立腺ガンによる死亡例であることがわかり、世界中でも2番目に古いことになる。
(最も古い例はロシアのスキタイ人の王の遺体であり、2700年前のもの)
最新の研究結果から、初期の研究では古代におけるガンの普及具合を低く見積もっていたかもしれない、ということが指摘されている。
2005年以降、高精度のCTスキャンによって直径で1~2mmしかない腫瘍でさえも発見することが可能になったからだ。
「この技術がなかったので、初期の研究者はおそらく多くを見落としていただろう」と研究チームを率いているポルトガル・リスボンの放射線科医Carlos Prates氏は述べている。

2011/10/31

アンコール遺跡で首なしの石像2体発見 1930年代以降では最大

カンボジアのアンコール遺跡で頭部が失われた石像が2体発見された。
石像が発見されたタ・プローム
専門家のLy Vanna氏によれば、2体の石製の像はタ・プロームで発見されたもので、両者とも頭部が失われていたという。
大きい方の像は、頭部があった場合は高さおよそ3メートルに及ぶという。
石像は12世紀に年代づけられるもので、1930年代以降で発見された像の中では最大のものになる。

2011/10/26

900年前のシカン文化エリート層の墓が発見される ペルー

 ペルー・ランバイエケで900年前のシカン文化の墓が発見された。
当時の社会でもエリート層の埋葬と考えられている。

保存状態の良い元寇船が発見される 長崎県松浦市鷹島町沖

日本の鎌倉時代中期に中国大陸を支配していたモンゴル帝国。
元寇(蒙古襲来)と呼ばれる、モンゴル帝国による二度にわたる対日本遠征は、日本史の教科書に必ず載っている有名な出来事だ。
長崎県松浦市鷹島町の沖合で、この元寇でモンゴル帝国が使用した船が、構造を保った状態で発見された。
CREDIT:琉球大考古学研究室

10月24日に琉球大法文学部の池田榮史教授(考古学)は長崎県庁で正式発表し、現場の映像を公開しながら説明した。船の全長は20メートルに及ぶという。

2011/10/24

ネアンデルタール人はなぜ短足だったのか?

ネアンデルタール人の足は現代人よりも短いことが分かっているが、多くの研究者は寒冷な気候が原因と結論づけていた。
ドイツ・エルクラートにあるネアンデルタール人の像
しかしネアンデルタール人の短い足は、彼らが住んでいた山がちな地形を歩くのにはむしろ便利だった、ということがジョンズ・ホプキンス大学の研究者によって明らかにされた。
足の短さと山がちな環境を結びつけることで、その他の多くの動物にみられる手足のプロポーションについても説明することができるという。

2011/10/21

完全な状態のヴァイキングの船埋葬を発見 スコットランド

スコットランドのハイランド地方西部で、完全な状態のヴァイキングの船埋葬が発見された。
出土した剣、斧、青銅のピン
遺跡はアルドナマーチャンにあり、1000年前のものと考えられている。
遺体とともに埋葬されていた遺物から、この人物は高位の戦士だったようである。

2011/10/19

壺に残るDNAの分析から交易品を復元 古代ギリシア

古代ギリシアの船に積まれていた貯蔵用の壺のDNA分析から、古代ギリシア人がワインだけでなく、様々な食料の交易を行っていたことがわかった。
交易に使用された壺(アンフォラ)
地中海にあった沈没船から発見された9つの壺から、野菜、ハーブ、木の実の存在が分析によって検出されたという。
今後、様々な時期の遺物に対してDNA分析を行うことで、地中海域における交易マーケットの展開をより詳細に知ることができるかもしれない、と分析を行った研究者らは述べている。

2011/10/17

10万年前の塗料製作の痕跡 南アフリカ

南アフリカ・ケープタウンのブロンボス洞窟で、塗料や革の保護に利用されたと考えられる黄土(オーカー、顔料の原料)が豊富に混ぜられた土が、2枚のアワビ貝の中に入れられた状態で見つかった。
10万年前に年代付けられるものだという。

「黄土は装飾する意図があって体や服に塗られていたものだろう」とヨハネスブルグのウィットウォーターズランド大学人類進化研究所のChristopher Henshilwood教授は語っている。
教授は2008年にも、黄土に水を混ぜて混合物を作っていたと考えられる場所を発見していた。

2011/10/15

アメリカ大陸の発見が小氷河期の原因となった?

クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見しなかったら、その後のヨーロッパの気候はもっと温暖だったかもしれない。
中世の後に続く低温期「小氷河期」は、アメリカ大陸の人間活動による植生の変化が原因であるとする研究結果が提出されている。
アメリカ・コロラド州の森
ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服によって、そこに住んでいた人々を追い払い、利用されていた土地をほったらかしの状態にしてしまった。
これらの場所で再生した木々は何十億トンもの二酸化炭素を大気から取り込み、大気が熱をとらえる許容量を減少させ、気候を冷温化させるに至ったと、スタンフォード大学の地球科学者Richard Nevle氏は述べている。

2011/10/14

ペスト菌のゲノムから中世の大流行の原因を探る

これらの人骨はロンドンにある14世紀の墓地から1980年に発掘されたもので、1347年から1351年にかけてヨーロッパで猛威をふるい、30万人が命を落とした「ペスト(黒死病)」による死者と考えられている。
研究者らが、この墓地には2500人のペストによる死者が埋葬されており、ここから発見された遺体の歯を用いて、ペスト菌のゲノムの99%を再現した。

2011/10/12

デジタル技術で甦る海に沈んだ都市 ギリシア・パヴロペトリ

 庭付き一棟二軒の家、庭に干された服、壁や道路・・ギリシア南東岸にあった青銅器時代の郊外の都市パヴロペトリの姿が、デジタル技術を駆使して3次元で甦った。
パヴロペトリは海中から発見された5000年前の都市であり、道路、建物、墓を含めた街全体の構造が、ほぼ完全な姿で残されていた稀有な例である。
街への居住は紀元前2800年頃から開始され、海中に沈んだのは紀元前1000年頃と考えられている。

2011/10/11

アステカの祭壇を発見 付近に王墓の可能性 メキシコ

メキシコシティーのテンプロ・マヨール遺跡で、蛇の頭の彫刻が刻まれたアステカ文明の祭壇が発見された。アステカ文明の皇帝の墓が付近に存在する可能性もある。
アステカ文明の支配者の墓はまだ場所が特定されておらず、研究者らはテンプロ・マヨール遺跡周辺で5年に渡って探し続けていた。

2011/10/07

トルコ・「ガリポリの戦い」戦場跡の調査から見える両陣営の様子

 オーストラリア、ニュージーランド、トルコの考古学者、歴史学者などによる研究チームによって、第一次世界大戦にトルコで行われた「ガリポリの戦い」の戦場跡の調査が行われ、100以上の遺物が発見された。
ガリポリの戦いを描いた絵
ガリポリの戦いは第一次世界大戦中の1915年4月~1916年1月にトルコのガリポリ半島で起きた戦い。
主に大英帝国とフランス連合軍が、オスマン帝国の首都コンスタンチノープルを奪還してロシアへの海路を確保しようとしたもの。
英仏軍は世界で最初となる大規模な上陸作戦を展開したが失敗し、双方に多数の戦死者を出した。

2011/10/06

中国・始皇帝陵の「百戯俑坑」が一般公開へ

古代中国では死者を埋葬する際に「俑」と呼ばれる人形を副葬する習慣がある。
陝西省にある秦の始皇帝の陵墓の周辺には、兵士や馬をかたどった「兵馬俑」が埋納されていることは有名である。
この始皇帝陵の南東にある「百戯俑坑」が10月から一般公開された。

始皇帝陵の周囲では180におよぶ副葬坑が発見されており、「百戯俑坑」はその1つ。
1999年に発見されたことから、副葬坑K9901号と命名された。

2011/10/05

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 実在の科学的解明

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品の存在が、科学的調査によって裏付けられるかもしれない。
その作品は「アンギアリの戦い」という題で、フィレンツェのベッキオ宮殿の壁に描かれていた。
1505年に制作が開始され、完成していれば、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の中でも最も大きいものになるはずだった。
画像は別の人物による模写

しかし壁画の制作は中断され、結局完成されることはなかった。
そしてイタリアの画家ジョルジョ・ヴァザーリがこの場所の改装を委託されるまで、60年にわたってそのままの状態で残されていた。

2011/10/02

ジーンズ工場跡からローマ時代の要塞を発見 スコットランド


スコットランド、キャメロンのジーンズ工場跡から、少なくとも2つのローマ時代の要塞が発見された。
60足分の革製の靴に加えて、土器、炉、硬貨、骨、宝石、斧、槍先などが出土した。
1世紀から2世紀に年代づけられるもので、この時期に要塞が使用されていた。
Credit: Falkirk Herald
発見されたのは「ラングラー(Wrangler)」のジーンズ工場跡であり、この場所にスーパーマーケットが新しく建てられるため、発掘調査が行われていた。

2011/09/30

呪われた「クロイソスの財宝」 トルコ

「クロイソスの財宝」はリディア王国をクロイソスが統治していた紀元前560年から前547年の遺物のコレクションである。
この財宝は1960年代の発見以後、壮絶な歴史をたどっており、呪われていると噂されるようになった。
財宝はトルコから密輸され、ニューヨークのメトロポリタン美術館で展示されていたが、法的な闘争の末トルコに返還された。
現在、「呪われた」財宝はまた別の論争の的になっており、現在トルコのウサク考古学博物館に展示されているものの、トルコの文化・観光省と博物館側では将来どこに遺物を展示するかで意見が一致していない。

2011/09/28

釘で顎を打ちつけられた「魔女」の埋葬を発見 イタリア

 イタリアで800年前の「魔女」のものではないかとされている埋葬が出土した。
遺体は女性のもので、頭蓋骨の顎の部分を通して釘が地面に打ち付けられていた。

発見された場所はトスカーナ州のルッカの近くにある、ポンビノで遺体は13本の釘によって囲まれており、埋葬用の布に覆われた様子はなく、棺にも入れられていなかった。

顎に打ち付けられた釘は、死者となった魔女が甦らないようにするためのもののようだ。

2011/09/27

トルコ・イズミルでローマ時代の豪邸跡が見つかる

トルコ・エーゲ海湾岸のイズミルで2000年前のローマ時代の豪華な邸宅が発見された。
邸宅は古代の都市スミュルナに位置しており、広さは400平方メートル、多くの部屋、浴室、キッチンなどがあった。

「多数の部屋、浴室、キッチンの存在は、この家に富裕層の人々が奴隷とともに住んでいたことを示しているようだ。発掘の過程で、彼らのライフスタイルの詳細を数多く見ることができた」と発掘を指揮する考古学者Akın Ersoy氏は語っている。

2011/09/26

グアテマラで古代マヤの女王の墓が発見される

グアテマラにあるマヤ文明のナクム遺跡で2つの王墓が発見された。
ひとつは1300年前のもので、その下の約2000年前の墓から、女性の支配者のものとみられる埋葬が見つかった。

以前は建造物15号と呼ばれたピラミッドで、ナクム遺跡のパティオ(中庭)エリアの東側に位置している。
ナクムはかつてマヤ文明の中心地の1つとして栄えていた都市だった。

2011/09/22

空からでしか認識できない中東の謎の巨大構造物

南米ペルーの乾燥した盆地に広がる巨大な古代の図像「ナスカの地上絵」。
実は、ナスカの地上絵のように空からでしかその全体像を認識できない、巨大な構造物が中東にも存在する。
衛星画像、航空写真によって確認されており、その数は1000以上に及ぶという。

石による構造物で、円形の囲いの中にスポークが放射状に伸びる、「車輪」形が多い。
研究者によると、これらの構造物は古代のものであり、少なくとも2000年前には遡るという。
しばしば溶岩原で発見され、直径は25m〜70mほどある。

2011/09/21

ネアンデルタール人は15万年前にシーフードを食べていた

南スペインのネアンデルタール人は15万年前にすでに海産物を食べていたことが明らかになった。
これまで考えられていた年代よりもはるかに古い年代になるという。

スペインのトレモリノスにあるバホンディージョ洞窟の考古学的調査で、イベリア半島湾岸で集められた貝を割って開けるための道具や、化石化した貝が発見されている。

2011/09/18

ナポレオンの頭髪を発見 スコットランド・旧ウォルター・スコット邸

スコットランドのボーダー地方にある旧ウォルター・スコット(スコットランドの詩人、作家)邸で、ナポレオンの頭髪の一房が発見された。
また、小さな手書きのメモも見つかっている。
ウォルター・スコットの邸宅はアボッツフォード・ハウスと呼ばれ、一般にも公開されている。

ナポレオンの記録簿を研究しているグループが発見した。
アボッツフォード・トラストのJason Dyer氏は、この発見が「アボッツフォード・ハウスとそこに収められているものを保存することの重要性」を示すものだと述べている。

2011/09/15

楽器、サイコロが出土・・・イラン、ゴハル・テペ遺跡の近年の調査成果


2005年にイランのマーザンダーラン州にあるゴハル・テペ(Gohar-Tappeh)遺跡で発見された遺物が、クラリネットのような楽器であることが判明した。
ゴハル・テペ遺跡
さらに、最近では博打のゲームに使われたサイコロが遺跡から発見されている。

マーザンダーランでは一般的な楽器であり、墓の中で女性の人骨のそばから見つかったと発掘チームのリーダーである Ali Mahforuzi氏は述べている。

2011/09/14

ドラキュラのルーツ? 死者復活に対する恐怖が生んだ埋葬習慣 アイルランド

アイルランドで口に石が詰め込まれた1300年前の2体の人骨が発見された。
この風習は、死者がよみがえり、生者をおびやかさないようにするためのものだという。
発見された人骨
ヴァンパイアや亡霊、幽霊は、墓に埋められたときに必要な手続きを行っておかないと、現世に戻ってきてしまうと信じられており、このような特殊な埋葬はこうした伝説と関係しているようだ。

2011/09/13

万里の長城の一部は2重・3重の構造だった

中国の世界遺産、万里の長城は1筋のとてつもなく長い構造物である、とたいていの人は考えているだろう。
しかし、万里の長城はいくつかの部分で、平行する複数の壁があることが分かってきた。
万里の長城の一部を調査した結果、メインの長城と平行する2つから3つの小さな壁があることが判明した。
調査に当たった研究者によると、陝西省に位置している長城の一部は実は2つから3つの壁によって構成されているという。
こうした壁の建て方は、軍隊を駐屯させるのに便利で、防護としての壁の力をより強固にしてくれる。
中国の他の地域であっても、同様の構造があると考えられている。

2011/09/12

イギリス人の祖先は何者か? DNAによる人の移動の分析

 これまでイギリス人は5000~10000年前に移住してきた農耕民の子孫であると考えられてきた。
しかし、新しい遺伝学の研究では、この説とは異なる成果が提出されている。

イギリス・オックスフォード大学とエジンバラ大学の研究者らによると、ヨーロッパの男性の大半はそれよりもずっと前の段階にヨーロッパに定住していた人々(おそらくは狩猟採集民)と遺伝的なつながりがあるという。

2011/09/08

オーストラリアの義賊ネッド・ケリーの首なし遺体を発見

オーストラリアで有名な無法者であり義賊・英雄として名高い、ネッド・ケリーの遺骨が発見された。
ネッド・ケリーはブッシュ・レンジャー(森を棲家とする盗賊)であり、130年前に絞首刑になった人物。
ネッド・ケリーの処刑前日の写真
ネッドの悪行は家畜泥棒、警官攻撃、銀行強盗、大地主への攻撃などがあったが、それらはいずれも経済的な支配者であった資本家たちへの攻撃ともみられ、貧しい人々にとっては義賊としての扱いを受けており、生前から人気が高かった。
彼の生涯は、小説・映画の題材にもしばしば取り上げられている。

2011/09/07

切り裂きジャックの正体とは? 作成された復元写真

今から123年前の8月31日、切り裂きジャックによる1人目の惨殺が実行された。
結局犯人は捕まらなかったが、いったいこの連続殺人犯は何者だったのか?

切り裂きジャックは世界で最も有名な未解決事件で、犯人は1888年の秋、ロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで5人の女性を惨殺しているが、その存在はいまだ謎のままである。

200以上の容疑者が挙げられている。
しかし、切り裂きジャックの専門家で以前に殺人犯捜査の掲示だったTrevor Marriott氏は、ドイツ人商人カール・ファイゲンバウム(Carl Feigenbaum)が最も可能性が高いと考えている。

2011/09/06

エジプト考古遺物の密輸が増加 税関や古美術商に注意喚起のための「レッド・リスト」作成へ

先日アメリカで3人が2000年前の古代エジプトの遺物をアラブ首長国連邦からアメリカに密輸したとして逮捕された。
この事件で密輸された遺物は、全部で250万ドルの価値があったという。

専門家らは、今回発見された密輸品は氷山の一角とみている。
カイロ・アメリカン大学のエジプト学教授で、古代エジプトの動物考古学の専門家であるSalima Ikram氏は、エジプトの様々な遺跡で密輸が横行しており、最後にはヨーロッパ、アメリカ、湾岸諸国の一部の考古遺物の密売業者の手に渡っていると述べている。

2011/09/05

中国西周時代の墓から馬と戦車がほぼ完全な状態で出土


中国の河南省、洛陽で周王朝時代の墓から木製の戦車と馬の遺体が発見された。
馬と戦車が埋められた4つの穴が発見されており、紀元前770年に年代づけられるという。

穴からは西周時代初期の青銅器と土器が良好な保存状態で出土した。
1974年に陝西省西安市臨潼区で発見された有名な兵馬俑坑に比べればはるかに小さいものだが、盗掘者に荒らされておらず、まったく手つかずの状態で発見された。

2011/09/04

ストーンヘンジを建立した人の墓? ウェールズで発見

 ウェールズのプレセリ丘陵にあるカーン・メニン遺跡で、ストーンヘンジを最初に建てた人々のものと考えられる墓が発見された。
ストーンヘンジ
この遺跡は、紀元前2300年にストーンヘンジの最初期に使用されたブルーストーンを切り出した場所と考えられる。
今回の発見が、この遺跡とストーンヘンジをつなぐ決定的な証拠になると期待されている。

2011/09/03

176万年前の握斧がケニアで発見される 人類の出アフリカとの関連

 ケニアで旧石器時代の握斧などが発見された。
この形態のものでは最古と考えられ、176万年前のものと推定されている。
CREDIT:Pierre-Jean Texier/CNRS
ケニア北西部にあるトゥルカナ湖岸で出土したもの。
一番大きなものでは長さが20cmほどあり、両側面の剥離によって形作られている。
これは当時としては高度な石器製作技術を有していた証拠であり、おそらくはホモ・エレクトゥスがこの技術を有していたと考えられる。

2011/09/02

沈没船の積み荷がほぼ完全な状態で出土 トルコ・イェニカプ

 トルコ・イスタンブールにあるイェニカプで発掘が遺跡では、世界でも最も保存状態が良いと言われている沈没船が発見されており、発掘が進められている。
イェニカプでの発見ニュースでは、アルケオニュースでも取り上げたことがある。
過去の記事:保存状態最高の古代ビザンツの船を積み荷とともに発見 トルコ・イェニカプ
発掘の様子
調査を行っている考古学者らによれば、船は4世紀から5世紀のもので、嵐で沈んだと考えられている。
驚くべきことに、積み荷のアンフォラ(液体物の運搬に使用した大型で細身の土器)のほとんどは完全な状態だった。

2011/09/01

ウィーン近郊でグラディエーター養成学校の遺跡が発見される

オーストリアの首都ウィーンの近くにあるローマ時代の遺跡カルヌントゥムで、剣闘士(グラディエーター)を養成する学校が発見された。

カルヌントゥム考古学公園によれば、建築物の構造はローマのコロッセオにあったものや、ルドゥス・マグヌス剣闘士養成学校と同じであるという。
しかし、遺跡の大きさや良好な残存状態は世界でも珍しいもののようだ。

2011/08/31

9000年前にはすでに馬が家畜化されていた? アラビア半島の遺跡で発見

アラビア半島で9000年前の馬の家畜化の痕跡を示す遺跡が発掘された。
アル・マカルという遺跡から発見されたもので、馬の家畜化が初めて行われたのは5500年前の中央アジアだと言われていたため、それよりも3500年も古いことになる

2011/08/29

古代エジプト人はヘア・ジェルのようなものを使っていた ミイラの頭髪の分析結果

古代エジプト人は脂肪を用いた整髪料を使って髪を整えていたことが、ミイラの分析から判明した。
生前・死後も髪型を維持するために、ヘア・ジェルのようなものを使っていたのである。
王家の谷35号墓から発見された女性のミイラ

イギリス・マンチェスター大学でミイラの研究をしているNatalie McCreesh氏らは18のミイラから髪のサンプルを取得して分析した。

2011/08/27

グラウンド・ゼロで発見された遺物の展示を開催 アメリカ・ペンシルヴァニア大学


アメリカ・ペンシルヴァニア大学では、9.11の10周年を記念して、グラウンド・ゼロで発見された遺物の展示を行っている。
単なる日用品が、事件の記憶を湧き起こすシンボルとなっている。

展示のタイトルは「Excavating Ground Zero(グラウンド・ゼロを発掘する)」で、ペンシルヴァニア考古学・人類学博物館で開催されている。
15の展示物があり、壊れたメガネ、来訪者のバッジ、ほとんど原型の無いコンピュータのキーボード、辞書のページ、完全な状態のクリスマスの飾り、よじれた布切れのようにねじまがった拡声器などが含まれている。
これらの遺物が公の場に展示されるのは初めてであり、2012年の9月11日にワールドトレードセンタービルがかつてあった場所にオープンする予定の博物館で展示されるために選別されたもの。

2011/08/26

中世のペスト大流行の原因はネズミではなかった?


14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。
高い致死性を持っていた事や罹患すると皮膚が黒くなる事から黒死病と呼ばれ、恐れられた。
ペストはネズミなどのげっ歯類を媒介にして流行するといわれていた。

しかし、1348年末から1349年のロンドンで猛威を振るったペストの調査によって、ネズミが悪者だったわけではない、という説が出されている。

2011/08/23

トルコの古代都市トロスで古代ローマ皇帝の彫像を発見


トルコ・ムーラ県のフェトヒエにある古代の都市トロス遺跡で古代ローマの皇帝達の彫像が発見された。

発掘を指揮しているTaner Korkut氏によると、発見された彫像はハドリアヌス、アントニウス・ピウスと娘の小ファウスティナ、マルクス・アウレリウス、女神イシスなどのものがあった。

2011/08/22

古代エジプト・ハトシェプスト女王の小瓶から発癌性物質を発見


ドイツ・ボン大学の研究者が、3500年前の古代エジプトを支配したファラオ、ハトシェプスト女王のものとされているローションの小瓶から、発癌性の物質を検出した。
ハトシェプスト女王は、意図的ではないにせよ、自分自身に毒をもっていたことになるかもしれない。

ボン大学の研究者は2年かけて小瓶の中にあった乾燥した内容物の分析を行ってきた。
小瓶はエジプト考古学博物館所蔵のもので、碑文にはハトシェプスト女王のものであることが刻まれている。

2011/08/21

リビアの古代文明で人為的な穿孔を受けた頭蓋骨が発見される


北部アフリカで古代のガラマンテス文明の遺跡で発見された3つの頭蓋骨に、意図的に行われた穿孔やくぼみがあることが、イギリス・ケンブリッジ大学の人類学者Efthymia Nikita氏らによる調査で分かった。
穿孔やくぼみは怪我に対する処置なのか、もしくは別の医療に関する目的で行われたのかは今のところわかっていない。

ガラマンテスとは、現在のリビアのサハラ砂漠にあたる場所に3100年前から1400年前まで栄えたベルベル人の文明で、優れた灌漑技術を有していた。
ガラマンテスに関する文字資料は乏しく、ガラマンテスという名前自体もギリシア語からきており、多くの情報は古代ギリシア・ローマから来ている。
近年発掘調査が行われているものの、その大部分は未だ手つかずの状態の、「謎の文明」である。

2011/08/19

北部イスラエルでヘラクレスの像を発見


北部イスラエルで、0.5mの白大理石のヘラクレス像が発見された。
ローマ様式の浴場のアルコーブ(壁のへこみ)に飾られていたものと考えられている。
紀元後2世紀に年代づけられるもので、極めて質の高いものだという。

2011/08/18

トルコ南西部でヘレニズム期の劇場を発見


トルコ・マグラ県の南西にあるボドラム(Bodrum)で紀元前400年に建設された古代の劇場が発見された。

トルコ・ウルダグ大学考古学科のDerya Sahin博士によると、劇場は古代ギリシアの都市ミンドスの発掘中に確認されたもの。
劇場はヘレニズム期に属するもので、巨大なものであるとSahin博士は述べている。

アフロディーテ像と神の眼のモザイク出土 トルコ・デニズリ県


トルコ・デニズリ県は付近の温泉石灰華段丘の丘陵地で世界遺産のパムッカレやローマ帝国の温泉保養地ヒエラポリス遺跡、リュコスのラオディケアなどの自然・文化遺産がある場所である。
この地域で2つの遺跡から重要な発見があった。
トルコ・ラオディケアの遺跡
カレ地区はアレクサンドロス大王の側近が建設したとされるタバエの城塞がある。
カレ地区での発掘調査で、アフロディーテがモチーフと考えられるローマ時代の彫像が偶然見つかった。

一方で、ラオディケアの教会では1600年前のモザイクが発見された。
モザイクのデザインは神の眼を象徴するものだという。

2011/08/16

3000枚以上の古代の硬貨を海中で発見 シチリア


シチリア海峡のパンテッレリーア島で3422枚の古代の青銅製硬貨が海中から発見された。
発見された青銅の硬貨
水中の遺跡観光のために行われたダイビング調査の途中に偶然発見されたもので、紀元前264年から241年のもので構成されていた。

シチリア島の110km南西に位置するパンテッレリーア島はその時代、ローマとカルタゴの不和の原因となっていた。

ローマ人は紀元前255年の第一次ポエニ戦争でこの島を占領したが、翌年には失っている。
紀元前217年の第二次ポエニ戦争では、最終的にローマが島を奪取し、記念コインや記念日を作ってその勝利を祝ったという。

2011/08/15

1100年前のヴァイキング虐殺の考古学的証拠 イギリス・オックスフォード


1100年前のヴァイキング虐殺の証拠が、オックスフォードで発見されていた。
少なくとも35体の人骨があり、全員男性で16~25歳ほど、オックスフォード大学のセント・ジョーンズ・カレッジで2008年に見つかった。
CREDIT: BBC
出土品の分析から、これらが1002年のもので、エゼルレッド無策王がイングランドのデーン人(ヴァイキング)虐殺の命令を下した時のものと考えられている。

2011/08/14

地球温暖化による洪水が1000年続く寺院を襲う ネパール


ネパールの北西にあるフムラ地区の、さらに北西端にハルジという村がある。
村には1000年前からあるチベット仏教の寺院があり、世界遺産のポテンシャル・サイトとなっている。

しかし、この村は今年の6月30日に起こった氷河湖の決壊によって、400人もの住民が住むところを失ってしまった。
村に押し寄せた洪水の様子
午後4:30頃、谷の上方から大きな地鳴りが聞こえ、住人は家から避難した。
最初は、1ヶ月前に完成した堤防が荒れ狂う濁流を抑えていたが、水と大きな礫はすぐに堤防を乗り越えて村にとてつもない力で押し寄せた。

2011/08/13

「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説


マルコ・ポーロ(1254年9月15日 - 1324年1月8日)は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』を口述した人物である。
マルコ・ポーロによる旅の記録は、中世ヨーロッパの人々に中国やシルクロードのエキゾチックな世界を紹介したことで、歴史上偉大な探検家としてその名をとどめるに至った。
マルコ・ポーロの肖像
しかしながら、マルコ・ポーロが中国にも到達しておらず、伝説に残っているようにパスタをイタリアにもたらしたとは到底思われない、という研究結果が提出されている。
むしろ、彼の話は黒海で会ったペルシア人の商人から、中国、日本、モンゴル帝国について聞いた、又聞きの物語であり、他の情報をつなぎ合わせて「東方見聞録」を完成させたというのだ。

2011/08/12

エジプト北部で古代エジプト末期のステラを発見

エジプト北部のイスマイーリアにあるテル・ダフナ(Tell Dafna)遺跡で、第26王朝のファラオ・アプリエス(ウアフイブラー)のステラが発見された。

ステラは赤色の砂岩製で2つの断片で発見されており、ウアフイブラーの王名が刻まれていた。