2012/12/28

マヤ暦「世界の終末の日」の騒ぎで遺跡に被害

「世界の終末の日」としてグアテマラの遺跡に集まった観光客によって、マヤ文明の大都市ティカルの石造神殿が被害にあった模様だ。
ティカルの神殿Ⅱ

遺跡のテクニカル・アドバイザーであるOsvaldo Gomez氏は「悲しいことに、多くの観光客が神殿Ⅱに昇ってダメージを与えてしまったようだ」と述べている。
「お祭りをするのはいいのだが、これが世界遺産であることを(観光客は)もっと自覚してほしい」とGomez氏。

2012/12/19

ミイラの分析からラメセス3世暗殺事件の真相に迫る

ラメセス3世は古代エジプト新王国時代第20王朝のファラオで、治世は紀元前1186年から前1155年頃と言われている。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
ラメセス3世のミイラ

その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。

しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。

イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。

2012/04/20

マルコ・ポーロはウソツキではなかった? 新たな見解

「東方見聞録」を書いたヴェネツィアの商人マルコ・ポーロは、実は中国まで来ていなかったという説があり、アルケオニュースでも以前に取り上げたことがある。
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
マルコ・ポーロの肖像
しかし、ドイツ・テュービンゲン大学のHans Ulrich Vogel教授が中国側にある資料を精査した結果、マルコ・ポーロは実際に中国を訪れていたことを改めて唱えた。

2012/04/18

タイタニック号の残骸に残る遺体

1912年にイギリス・サウスサンプトンからニューヨークへ向けて出発したタイタニック号が沈没して、100年になる。
100年を経た今、タイタニック号はユネスコによる水中文化遺産として認められるようになった。
3600mの海底にある遺品の靴 Credit: AP Photo/Institute for Exploration, Center for Archaeological Oceanography/University of Rhode Island/NOAA Office of Ocean Exploration
タイタニック号の残骸がある場所には、まだ海底の泥の中に遺体が残っている可能性が指摘されている。

2012/04/06

人間に解体された?1万年以上前のマンモス発見

シベリアの北極海沿岸で発見された子どものマンモスに、人間によって解体された痕跡があることが分かった。
発見されたマンモス「ユカ」 Credit: F Latreille/Mammuthus/MCE
良好な保存状態で発見されたこのマンモスは、「ユカ(Yuka)」と名付けられた。
少なくとも1万年前のもので、この地域の人間活動との関わりを示す遺体は初の事例だという。

2012/04/04

エジプトの「インディ・ジョーンズ」ザヒ・ハワス氏告発される

エジプトの「インディ・ジョーンズ」こと、ザヒ・ハワス氏(前考古省大臣)がアメリカ地理学協会(American Geographical Society)との間で1700万ドルに及ぶ不正取引があり、その資金を私的に利用した疑いで告発されたことを、エジプトの検察が報じた。
ザヒ・ハワス氏とクフ王のピラミッド CREDIT:Ahram Online
検察長官のAbdel Meguid Mahmoud氏は、ザヒ・ハワス前考古省大臣が公的な金を使用し、アメリカとオーストラリアで行われたツタンカーメンに関する展覧会のために考古遺物を不正に持ち出したとして糾弾した、とエジプトのアハラム・オンラインで報じられている。

2012/04/03

古代ペルーの伝説に登場する英雄は実在した?史実性を考古学から探る

1530年にスペイン人がペルーを訪れ、文字がもたらされるよりも前の時代には、古代ペルーの伝説は口承を専門とする者によって、世代を超えて伝えられていた。彼らは、伝説の英雄と悪者達の物語を完璧に伝えることができるよう、訓練されていたという。

これらの物語の中でも特筆すべきは「ナイムラップ」の伝説である。ナイムラップは北部ペルーのランバイエケ周辺を支配した王朝を築いた伝説上の人物である。
ナイムラップを表した図像
伝説によると、ナイムラップはバルサの筏の大船団に、正室と多くの側室を含む側近達とともにやってきた。

2012/04/02

イラク南部で発見された墓 シュメール文明期の王族の可能性

イタリアの調査隊がイラク南部で紀元前3千年紀の墓を発見した。
場所は古代の都市ウルから20kmほどの所にあるアブ・トベイラ(Abu Tbeirah)であり、南メソポタミアで繁栄したシュメール文明に関する有用な考古学的証拠を提供してくれるという。
イタリア隊によって発見された墓 Credit: ADNKronos
墓には若い男性の埋葬があり、衣服はカーネリアン製のビーズで装飾されていたことから、王族のものである可能性が指摘されている。
カーネリアンは、青銅器時代に宝石や装飾に広く使われていた半貴石である。

2012/03/29

古代ギリシアの医学の神アスクレピオスの聖域を発見

ギリシア中央部の高速道路建設に伴う発掘調査で、古代ギリシアの医学の神、アスクレピオスの聖域が発見された。
遺跡はアテネから北へ200km、古代の港街ダフノウンタ(Dafnounta、現在のラミア市付近)の近郊に位置している。
アスクレピオスの像(ナポリ国立考古学博物館所蔵)
紀元前5世紀に年代づけられるもので、アスクレピオスの祭祀に関わる遺跡では最古級のものであり、これまでギリシアで発見されたものの中では最も保存状態が良いそうだ。平面の規模は30m×15mある。

2012/03/28

3万枚以上のローマ時代の銀貨を発見 イギリス・バース

イギリス・バース市にあるローマ時代の浴場の遺跡から、30000枚以上の銀貨が発見された。
銀貨は紀元後270年のものであり、これまでイギリスで発見された埋蔵硬貨の中でも5番目に多い。
発見された銀貨[Credit: BBC]
銀貨はまとめられ、大英博物館に移送されて保存処置を受けることになる。

読売新聞の記事:日本最古の食用植物を発見

宮崎県都城市山之口町の王子山遺跡から、縄文時代草創期の炭化したネギやドングリと、ツルマメの痕が残る土器が出土したと、都城市の教育委員会が報じた。国内最古の食用植物と見られている。

2012/03/26

第2次大戦で消えた北京原人の骨を求めて

中国・北京の近くにある周口店で、1929年に中国の考古学者が頭蓋骨を含む40体の骨を発見した。
骨はホモ・エレクトスのものであることがわかり、「北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)」と呼ばれるようになった。
北京原人の頭蓋骨
近年の研究では77万年前のものと推定されており、これまでに発見された原人の化石群の中で最も多い資料となっている。
現在この周口店は世界遺産にも指定されている。
この北京原人の骨は、第2次世界大戦の時に消失してしまった。

2012/03/24

最新の研究成果で浮かび上がってきた古代ケルト人像

近年のドイツにおける調査の成果によって、古代のケルト人の姿がより鮮明に浮かび上がってきた。

ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の人類学教授Bettina Arnold氏は10年以上に渡ってドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州にあるホイネブルク丘上集落の発掘を行ってきた。
ここにある2600年前の2基のケルト人墳墓から、装飾品や酒器を含む遺物が発見された。
墓から発見された杯やその他の輸入品から、ヨーロッパ中央部のケルト人は地中海岸の人々と交易を行っていたことが分かってきた。

2012/03/23

万里の長城の続き?をモンゴル南部で発見

万里の長城の一部?がモンゴルで発見された。
場所はモンゴル南部、ゴビ砂漠の奥地にあたり、泥と低木で造られていた。
長さは100kmに渡り、高さは2.75メートル、チンギス・ハーンとその息子オゴデイが築いた「チンギス・ハーンの壁」に連なるという。
しかし、年代測定の結果はチンギス・ハーン以前のものであることを示しており、万里の長城の未発見部分ではないかとする説が持ち上がっている。
既存の長城の位置を示した図

2012/03/21

モンスーンの変化がインドの文明の盛衰を左右していた

インド・モンスーンは南西方向の季節風で、6月になるとインド南西部から強まり始め、次第に北東へ拡がっていく。これに伴って雨季が始まり、9月まで続く。
インドのモンスーンはこの2、3000年で、植物が繁茂しやすい湿潤で安定的なものから、乾燥期がより長く続くものへと変化していることが、ウッズホール海洋研究所で進められている研究の結果、明らかとなった。この気候の変化が、インドにおける古代文明の盛衰を左右していた可能性があるという。
モンスーンによる厚い雲(インド南部のナーガルコイル)
インド亜大陸(インド半島)はサハラ砂漠と同じ緯度にあるにも関わらず、10億以上の人々の生活を維持している。
もしモンスーンがなければ、インド亜大陸のほとんどの地域が乾燥し、人が住むことはできなかっただろう。
モンスーンの状況を予測することは、インドの人々の生活や経済にとって重要であるが、そのためには過去のデータを元にモデルを作成していかなくてはならない。
しかし、過去のモンスーンについてはわかっていないことも多い。

「ツタンカーメン展」が大阪で開催中

「ツタンカーメン展」が大阪で開催されている。
この展覧会は世界各都市を巡回しており、全米、ロンドン、メルボルンで1000万人以上を記録した。
ツタンカーメン王墓から発掘された副葬品約50点など、日本未公開の展示品を含むエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵の122点が展示される。

2012/03/18

「インカ帝国展」が東京・上野の国立科学博物館で開催中

マチュピチュが再発見されてから100年経った今年、東京・上野の国立科学博物館で「インカ帝国展」が開催されている。
3月10日(土)に始まり、6月24日(日)まで行われる。
世界遺産・マチュピチュ
考古遺物およそ160点を展示するほか、マチュピチュ遺跡を再現した3D映像の上映が行われる。
開館時間は9時~17時。入場料は、一般・大学生=1,400円、小・中・高校生=500円。

2012/03/17

産経ニュースの記事:貞観地震前後の関東で起きた大地震

平安時代の貞観11年(西暦869年)5月26日に起きた貞観地震は陸奥国東方沖の海底を震源域として発生した巨大地震であり、津波による被害も甚大であった。マグニチュードは8.3以上であったと推測されており、2011年3月11日に起きた東日本大震災との類似が指摘されていた。

この地震の前後に、関東地方で大地震があった記録が残っていることが、MSN産経ニュースに掲載されていた。
【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】

2012/03/16

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 ついに発見か?

イタリアのヴェッキオ宮殿(フィレンツェ政庁舎)にある壁画の裏に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「幻の壁画」が隠されている可能性が確認された。
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間」にはジョルジョ・ヴァザーリの壁画「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」があり、その裏にダ・ヴィンチの「アンギアリの戦い」が隠されているのでは、という話は以前からもあり、実在の科学的解明に関する記事を、本紙でも以前に取り上げていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 実在の科学的解明

壁画の裏に高性能カメラを通して調査した結果、実在する証拠を発見したという。

中国で謎の人類の骨を発見 現生人類と共存していた可能性

中国南部で未知の人類の化石が発見された。
平たい顔、幅広の鼻、おとがい(下アゴ)の小さい突き出たアゴ、大きな臼歯、丸い頭蓋、飛び出た眉弓(目の上の骨の隆起)、分厚い頭蓋骨という特徴を備えていた。
中国の馬鹿洞から発見された頭蓋骨 Credit: Darren Curnoe
放射性炭素年代測定の結果では、なんと、1万4500~1万1500年前という値が出ており、比較的最近に生存していたことがわかった。
この年代であれば、現生人類と共存していたことになる。

エジプトで盗掘者が生き埋めになる 10人が死亡

エジプト、ルクソールの北部にある村で、盗掘者が生き埋めになり、10人が死亡した。

レスキュー隊が遺体の救助を行った。
またこの事故で2名が怪我をしたという。

2012/03/12

氷河期にヨーロッパ人が大西洋を渡っていたという新説

最初にアメリカ大陸へ渡ったのはアジア系の人々であり、彼らがいわゆるネイティブ・アメリカンの祖となったというのが通説だ。
しかし、アジア人よりも1万年も前に、ヨーロッパに起源を持つ人々が北大西洋を渡ってアメリカ大陸に到達していたという新説が発表された。
氷河期の北半球 灰色になっているのが氷河期の最盛期に氷に覆われていたと考えられる範囲

2012/03/09

セントヘレナ島に埋められた奴隷達 大西洋奴隷貿易の負の歴史を語る

イギリス・ブリストル大学の考古学者が、大西洋の離島セント・ヘレナで大量の奴隷の墓所を発見した。
セントヘレナ島の衛星写真
島の新空港建設に伴う調査で見つかったもので、悪名高い大西洋奴隷貿易の負の歴史を物語るものだった。

2012/03/07

2000体以上の仏像を発見 中国・新疆ウイグル自治区

中国・新疆ウイグル自治区の叶城で、2000体以上の仏像が発見された。
仏像は全部で2895体確認されており、東魏および北斉時代(534~577年)のものだという。
当時、インドから伝来した仏教に対する人気が非常に高かったことをうかがわせる。

2012/03/05

謎のファラオの名が刻まれた門を発見 エジプト・カルナック神殿

セン・ナクト・エン・ラー
エジプト・ルクソールのカルナック神殿で、これまで実在が確認されていなかったファラオの名前がフランスの調査隊によって発見された。まだ謎の多いエジプト第17王朝のファラオのようだ。

当時は第2中間期と呼ばれ、エジプト北部は「ヒクソス」と呼ばれるアジアからの侵入者が占拠していた。
このヒクソスを打ち破り、古代エジプトを全盛期へと導く礎となったのが、この第17王朝の王達だ。

2012/03/02

ネアンデルタール人は海を渡っていた? 離島から石器が出土

ネアンデルタール人が10万年前に地中海を船で移動していたかもしれない。
もっとも、この説に懐疑的な人々は、単純に泳いでいただけと考えている。
ネアンデルタール人は30万年前から地中海周辺に住んでいたと考えられている。
彼らが使用していたムステリアンと呼ばれるタイプの石器が、ギリシア本土だけでなく、レフカダ島、ケファロニア島、ザキントス島でも発見されている。
これは2通りに解釈ができる。1つはこれらの島が昔は地続きで簡単に行き来ができたか、もう1つは彼らが何とかして海を渡っていたかである。

2012/03/01

「バグダッドの雪」 古文書から古代の気候を復元する

アラブの古文書の天候に関する記述から、古代の気象を復元する研究が行われている。
写真はアッバース朝の文書
イスラムの黄金時代である紀元後816~1009年のイラクの学者や歴史家による記述、日記には、異常な気象パターンの解明につながる情報が残されているという。
過去の気象の復元は現代の天候との比較や、気候変動の解明に役立つ。
自然界には、木や氷床コア、サンゴ礁などが過去の気象に関する情報源となるが、人間の観察による情報は、史料に限られている。

2012/02/29

アイスマンの目は茶色、O型、乳製品がダメ DNA分析の結果

1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で発見された約5300年前の男性のミイラ、「アイスマン」のDNAの解析が行われた。
アイスマンの写真
エッツ渓谷で発見されたため、「エッツィ」とも呼ばれている。
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。

2012/02/28

メソポタミアの古代都市ウルの地で神殿跡を発見

イラクにある古代メソポタミアのシュメール人の都市、ウルで紀元前2500年の神殿が発見された。
これまでに、神殿の壁と同時代の墓が多数出土している。
現在のウルの風景
シュメール人の文明は現在のイラク南部を中心に栄え、ウルはその中でも極めて重要な都市であった。

2012/02/27

1500年前の聖書外典がトルコで見つかっていた バチカンは調査許可を要請?

バチカンが、トルコの警察によって発見された1500年前の福音書外典の調査許可を要請しているそうだ。
問題の福音書外典は警察による密輸撲滅活動で発見されたもので、トルコのアンカラ民族学博物館に渡されていた。
発見された問題の文書
この文書はアラム語で記されていた。
アラム語はイエス・キリストが話していたと考えらている言語。
なんと、この文書は4000万トルコ・リラ(2012年2月27日のレートでは約18億円)相当の値がつけられている。

ドイツのガスパイプライン施設で発見された黄金の財宝

ドイツのサイク(Syke)で、昨年ガスパイプラインの施設予定地を発掘したところ、謎の財宝が発見された。
発見された黄金の財宝
財宝は全部で1.8kgにおよぶ金製の装飾品である。
財宝は腕輪、指輪などがあり、2011年の4月にサイク近郊で発見されたもので、現在Lower Saxony’s State Conservation Officeに保管されている。
全部で117点あり、最も新しいものでは中期青銅器時代のもので、紀元前1000年と推測されている。

2012/02/24

ギリシア・クレタ島沖で沈没船が新たに4艘発見される

ギリシア・クレタ島のイラクレイオ湾の30km沖で、4艘の沈没船が発見された。
上空から見たクレタ島
沈没船の内2艘はローマ時代のもので、1艘には1世紀から2世紀のクレタ島のアンフォラ(貯蔵用の壺)が積まれており、もう1艘からは5~7世紀のアンフォラが発見された。
その他の2艘はビザンツ時代のアンフォラがあり、8~9世紀か、それ以降のものであるという。

2012/02/23

エジプト・アスワンで高官の木棺が発見される

エジプト・アスワンにあるクッベト・エル=ハワ(Qubbet el-Hawa)で高官のものとされる木棺が発見された。
クッベト・エル=ハワで発見された人型の木棺の写真 Credit: EuropaPress/A.J.
発見したのはスペイン・ハエン大学の調査隊であり、2008年からこの遺跡で調査を行っていた。
今年の1月に発掘を開始して以来、20体ものミイラを発見している。
発見した墓は紀元前1830年頃のものだという。

2012/02/22

古代アステカ神話を描いたレリーフが出土 メキシコシティー

メキシコシティーにある古代アステカの首都テノチティトランの大神殿の前で、戦の神ウィツィロポチトリの誕生など、アステカ神話を描いたレリーフを持つ石板が発見された。全部で23あり、約550年前のものだという。
テノチティトランの主神殿で発見されたレリーフの内の1つ。ヘビを表している。Credit: INAH
レリーフにはヘビ、捕虜、装飾品、戦士など古代メキシコ文化の神話の起源に関連する図像が描かれていた。
大神殿は古代メキシコ人の宗教生活において最も重要な中心地であり、現在のメキシコシティーのソカロ広場にあたる場所に位置していた。

2012/02/21

続報:クフ王の「第2の太陽の船」木材取り上げ開始 エジプト・ギザ

昨日記事を配信したエジプト・ギザにおける太陽の船復元プロジェクト第2期の開始について、各所で報道されている。

古代エジプト王の船 発掘開始(NHKニュース)

クフ王副葬品、部材採取を開始 吉村作治らのチーム(47News)


第2の太陽の船、木片の引き上げに成功(TBS News i)

クフ王の「第2の太陽の船」が納められた竪坑から木材の一部が取り上げられた。
2015年頃を目標に、木造船の復元を行い、公開する予定とのこと。
第1の太陽の船の尾部

2012/02/20

エジプト・クフ王の「第2の太陽の船」プロジェクト第2期開始 早稲田隊も参加

エジプト・ギザで20日に行われる国際記者会見で、エジプト考古省大臣Mohamed Ibrahim氏によってクフ王の「第2の太陽の船」プロジェクトの第2期を開始するという声明が出される模様だ。Ahram Onlineが2月16日に報じた。
このプロジェクトは、早稲田大学の調査隊と合同で行われている。
写真はクフ王の第1の太陽の船
調査チームは20日に船の木材サンプルの取り上げを行う。
サンプルの分析の結果から、船の復元に向けた詳細なプランを練り上げる予定だ。

2012/02/17

卑弥呼の後継者「壱与」の墓の相似形? 京都府元稲荷古墳

京都府向日市の元稲荷古墳が、邪馬台国の女王・卑弥呼の後継者、壱与(いよ)の墓説がある奈良県天理市の西殿塚古墳の相似形であることが分かり、向日市埋蔵文化センターが 15日に報じた。
元稲荷古墳の航空写真 Credit: 京都府向日市
同センターによると、「相似形で造営するのは、大和の大王家と密接でなければ技術的に無理。被葬者が地域の有力者だったことが裏付けられる」とのことだ。

2012/02/15

古代エジプトの聖地アビドスで動物のミイラを大量に発見

古代エジプトの王朝を通じて「聖地」とされていたアビドスで83体もの動物のミイラが発見された。
その他にも、王の彫像などが出土している。
アビドスの風景(ウンム・エル=カアブ)

これらの発見は、カナダ・トロント大学のMary-Ann Pouls Wegner教授が率いる調査隊によるものである。
教授らはアビドスで倉庫と推測されている建造物の発掘を行っていた。
建造物の壁は厚さが2mもあり、そのデザインから宗教活動に関連していたと考えられている。
わずかに残存していた碑文には、セティ1世の名前が残っていた。
セティ1世は新王国時代第19王朝の2代目のファラオであり、紀元前1300年頃にエジプトを支配していた。

2012/02/13

幻の王国「Tuwana」の大遺跡を発見 トルコ

トルコ、カッパドキアの南部にあるキニク・ホユック(Kınık Höyük)で、文献でしか確認されていなったツワナ(Tuwana, Tyana)の広大な遺跡が発見された。
この発見は、イスタンブールで行われた記者会見で、イタリアパヴィア大学とニューヨーク大学の合同調査隊を率いているイタリア人考古学者、Lorenzo d'Alfonso氏によって発表された。
カッパドキア南部の風景(背後に見えるのはトロス山脈)
Credit: Department of Antiquities, Orientalistic Studies, Pavia University

遺跡は紀元前1千年紀の最初の時期にあたるという。
ツワナはこれまで象形文字やアッシリア帝国のいくつかの文献でしか言及されていなかった国であり、その存在が考古学的に確認されたのは初めてのことだ。

2012/02/10

聖書の預言者「ヨナ」の地で要塞跡を発見 イスラエル

イスラエル南部の都市アシュドッドにある丘で、聖書に登場する預言者ヨナの時代の要塞址が発見された。
この丘は「ヨナの丘」と呼ばれており、預言者ヨナが埋葬された場所であると伝えられている。
ヨナの丘の遺構 Credit: Israel Antiquities Authority
発見されたのは幅1m以上の巨大な壁であり、紀元前8世紀後期から前7世紀初頭に年代づけられるという。

2012/02/08

イースター島の人々はコロンブス以前にアメリカ大陸に来ていた?

アジアから移住してきた太平洋の島々の人々と、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った先住民の人々。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
イースター島のモアイ像
オスロ大学の免疫学者Erik Thorsby氏は1971年からイースター島に住む人々を対象に、アメリカ先住民がポリネシアに到達していた証拠があるかどうかを調査していた。
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。

2012/02/06

地下鉄工事で発見された膨大な遺跡の数々 ギリシア・テッサロニキ

ギリシア、テッサロニキの地下鉄工事で、2000年以上の期間に渡る膨大な量の遺構と遺跡が発見されている。
発掘現場の一部 Credit: Greek Reporter
内容は金製品からベンチ、日々の生活に使われていた遺物、教会の遺構など様々だ。
この地域は紀元前4世紀にアレクサンドロス大王によって創建されて以来、現在にいたるまでコンスタントに居住が行われており、多種多様な文化、時代による歴史の「モザイク」が掘りだされたのである。

2012/02/03

ミクロネシアの人々はどこからやってきたのか? テニアン島の調査

太平洋、ミクロネシアの人々はいったいどこからやってきたのか?
北マリアナ諸島にあるテニアン島で、手掛かりを求めて調査をしている人々がいる。
テニアン島は第一次世界大戦後に日本の統治領となり、太平洋戦争の際にはアメリカ軍が占領し、日本の本土空襲の起点となった。広島、長崎への原爆投下を行ったB29も、ここから発進しており、日本にとっては縁の深い島でもある。
タガ遺跡の風景 看板は日本語でも書かれている。

2012/01/30

失われたメロエ王国時代の宮殿を再発見 スーダン

スーダンのヴァド・ボン・ナガという町の近くにある遺跡で、チェコの調査隊がメロエ王国時代の神殿を再発見した。
遺跡はハルツームから130km北にある。
19世紀初頭にヨーロッパの旅行者が神殿の遺跡を見ていたのだが、その後砂漠に埋もれてしまっていたという。
写真は同じ地域で2011年に行われたアマニシャケトの宮殿の発掘のもの Credit: Prague Post