2011/07/30

猫のレリーフが刻まれたオルメカ文明の巨大な石を発見 メキシコ

メキシコ、モレロス州のチャルカツィンゴ遺跡で、重さ1.5トンに及ぶレリーフが刻まれた巨大な石が発見されたと、国立考古・歴史研究所(INAH)が報じた。
2800年以上前のオルメカ文明のものだという。
発見されたレリーフ Credit: DMC INAH/ M. MARAT
石は高さ1.5mあり、今年の4月に発見されていた。
チャルカツィンゴ遺跡の北側にある斜面で、この場所で発見された巨石を保護するための壁体と屋根を建設する際に見つかったという。

2011/07/29

聖書の古代都市ガトで祭壇が発見される


聖書に登場するペリシテ人の都市ガトがあった場所と考えられている、イスラエルのテル・アル=サフィ遺跡で、紀元前9世紀の石製の祭壇が発見された。
同時代のユダヤ教徒の祭壇を思わせるもので、何世紀も争いあっていたペリシテ人とユダヤ人の間に文化的な共通性があったことを示している。
祭壇発掘の様子

祭壇は高さ約1m、幅約0.5m、奥行0.5m。
バル・イラン大学のAren Maeir博士の調査チームによって発見された。
最も特徴的な部分は正面にある2本の角と中央にある蛇腹である。
形状は聖書にあるユダヤ教の祭壇に関する記述を連想させるものだが、一番顕著な違いは、ユダヤ人の神殿にあった祭壇は角が4本とされており、ガトのものは2本である点だ。

2011/07/28

チンギス・ハンの甥の遺体を発見? ロシア


ロシアでモンゴル帝国の創始者チンギス・ハンの甥と思われる遺体が発掘された。
チンギス・ハン

イスンケ・ハンという名で、ロシアのシベリア東部、トランスバイカリアと呼ばれる地域の発掘で発見された。
発掘調査はロシアの極東連邦大学によって行われていた。

遺体のDNA分析などはまだ行われていない。

Remains of Genghis Khan’s nephew found?

ラベル「歴史上の人物」を含む記事

「ドン・キホーテ」作者の骨探索計画 スペイン・マドリッド

歴史学者、考古学者のグループによって、「ドン・キホーテ」の作者ミゲル・デ・セルバンテスの顔を復元するために、セルバンテスの骨を探すプロジェクトが進められている。
ドン・キホーテの挿絵
セルバンテスの骨はマドリッド中央部のどこかにある修道院の壁もしくは床の下に埋められている。
セルバンテスの肖像については、彼の死の20年後、画家Juan de Jaureguiによって書かれた絵しか残っていない。

2011/07/27

マチュピチュにはかつてインカ皇帝パチャクティの像があった

ペルーのマチュピチュには、かつてインカ帝国の皇帝パチャクティの石像があったことが、古文書の研究から判明した。
マチュ・ピチュ
テラス状の遺構の1つにある円形の石造の壁体に向かっておかれていたようであるが、アメリカの探検家ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)がマチュピチュ遺跡を発見した1911年7月24日にはすでに失われていた。
ビンガムは映画「インディー・ジョーンズ」の主人公ジョーンズ博士のモデルとされている人物であり、1914年3月26日の日付でマチュピチュの光景を雑誌「ネイチャー」に寄稿している。

しかし、アメリカの探検家で研究者のPaolo Greer氏はこう述べている。
「マチュピチュは地元の人々には古くから知られており、ハイラム・ビンガムが生まれる前にもトレジャー・ハンターや墓泥棒によって荒らされていた」

2011/07/26

考古学・歴史学に新しい「光」を当てる技術 RTI

人がみることができる、そしてカメラで撮ることのできる物体の特徴は、物体の表面にどのように光があたっているかによって見え方が異なってくる。
例えば、外にある岩絵は、まだ日が低い早朝にしか見えず、日が高い正午にはほとんど見えなくなってしまうことがある。
物体に対して当てる光の方向が変わることで、物体の前表面から得られる情報が変わってくるのである。
こうした光の反射に関する情報は、私達を取り巻く世界の形や物体の特徴の多くを語ってくれる。

RTI(Reflectance Transformation Imaging)技術は、この光の反射に関する情報をデジタル撮影によってとらえる手法である。
RTIの有効性は多くの自然科学や文化遺産研究で実証されており、今後の幅広い応用が期待されている。

2011/07/25

メキシコで15世紀の食人の風習が発見される

メキシコで1450年頃に洞窟に家を作り居住していたシシメ(Xixime)と呼ばれるインディアンの人骨を調査した結果、食人の風習を有していた可能性をメキシコの人類学者が発見した。
食人は戦争や穀物豊穣の儀式の最中に行われていたと考えられている。

北部メキシコのドゥランゴ州にあるマゲイ洞窟(Maguey Cave)で発見された40体分の人骨を4年かけて調査したもので、その中の少なくとも80%は切断の跡や煮沸の痕跡があったと国立人類学・歴史研究所(INAH)が報じた。
マゲイ洞窟 Credit: EFE
これらの痕跡は儀式の一部として行われた食人の風習を示すものであり、食人は同じシシメの人間に対してしか行われなかった、と同研究所は伝えている。

2011/07/24

中世ヨーロッパの重装鎧は逆効果? レプリカによる実験結果


百年戦争中のアジャンクールの戦いで、数に勝るフランスの重装騎兵は長弓隊を駆使したイングランド軍に大敗した。
この時、フランス軍がもっと軽い鎧を使っていたら、結果はもっとマシだったかもしれない。

アジャンクールの戦いは1415年10月25日にフランスのアジャンクールで行われたもので、ヘンリー5世率いるイングランド軍は約7000名、フランス諸侯軍は約20000名だった。
大敗によってフランスはヘンリー5世の子孫によるフランス王位継承を認めるはめになったのである。
アジャンクールの戦い
イギリス・リーズ大学のGraham Askew氏の主導によって行われた研究によると、中世の鎧をまとっていた兵士は、鎧を着ていない状態の兵士の2倍のエネルギーを消耗するということがわかった。
中世の兵士が鎧を着ていた時の負荷が、実験によって証明されたのは初めて。

2011/07/23

先インカ期の保存状態良好な埋葬を発見 ペルー


ペルー北部フアカ・チョツナ(Huaca Chotuna)遺跡でランバイエケ文化のまだ荒らされていない墓が発見された。
ランバイエケ文化はシカン文化とも呼ばれており、現在のペルー北部沿岸地域にインカ帝国より前の時代の750年から1400年に居住していた人々である。

墓は神官のような役割を持っていた人物で、豊穣祈願の儀式で人間を生贄としてささげていた人物と考えられている。

2011/07/22

北部イタリアで5000年前の女性の人骨を発見

北部イタリアの小さな町イントロッドで5000年前の人骨が発見された。
人骨は女性のもので、右わきを下にして見つかっており、顔は西の方向を向いていた。
副葬品とみられるような遺物は発見されていない。

人骨はすでに発掘が完了しており、研究室に送られている。
現在、死去した時の年齢、食べ物、考えられる死の原因について調査が行われている。

2011/07/21

世界屈指の古代遺跡に戦争の危機 リビア

リビアは5つの世界文化遺産を有し、古代ギリシア、ローマの極めて残存状態の良い遺跡に恵まれている。
この古代遺跡の保存修復・復元作業を行う国際的なプロジェクトが立ち上げられているが、2011年に始まったリビア騒乱が行く手を阻んでいる。

リビア北東部のシャッハート村は最近反政府デモがあった場所であり、現在反政府軍の支配下にあると言われている
ここはキュレネと呼ばれる古代ギリシアの植民都市がかつてあったところで、リビアおよび地中海世界においても群を抜く巨大な遺跡が残っている。
リビア東部は「キレナイカ」と呼ばれることがあるが、これは古代都市キュレネの名にちなんでいる。
キュレネ遺跡

2011/07/20

あなたにもネアンデルタール人のDNAがある

「現在の人類には、ネアンデルタール人のDNAが混じっている」ことが、新たな研究成果によって確認された。
これまで、現生人類とネアンデルタール人の異種交配の可能性については言及されてきたが、それを裏付ける形になった。
現生人類(左)とネアンデルタール人(右)

カナダのモントリオール大学セント・ジャスティン大学病院研究センターのDamian Labuda氏が共同研究者とともに成果を公表した。
彼らの研究によると、人間のX染色体にはネアンデルタール人由来のものがあるという。
ただし、サハラ以南のアフリカに住んでいた人々以外である。

2011/07/19

革命のドサクサで盗難された遺物が一部戻る エジプト・カンターラ


エジプト北部にある東部カンターラで、今年1月の反政府デモのドサクサに紛れて博物館から盗難された遺物群が見つかった。

考古省のザヒ・ハワス博士によると、22の遺物が発見されており、ヒクソス時代の土器やプトレマイオス朝時代の青銅製の硬貨5枚などが含まれていた。
発見された土器群
カンターラ博物館はスエズ運河から近いイスマイーリア市の近郊にある。
今年の1月28日に盗難が行われた模様。
これまでに約300の遺物が戻ってきている。その多くは、良識ある市民によってもたらされた。

Press Release: Seized Artifacts

ラベル「古代エジプト」、「被害」を含む記事

2011/07/18

メキシコで新たに67の遺跡を確認


メキシコ南部のオアハカ州の山間部で、新たに67の先スペイン期とスペイン植民地時代の遺跡が確認された。

国立人類学・歴史研究所(The National Institute of Anthropology and History:INAH)によれば、そのうちのいくつかの遺跡は紀元前1000年にまでさかのぼるという。
写真はオアハカにある世界遺産モンテアルバン遺跡

調査は現在遺跡の位置記録、写真記録、土器の表面採集だけが行われており、本格的な発掘調査は行われていない。

発見された中には宗教的センターと思われる遺跡、10の先スペイン期の球技場、洞窟の岩絵、スペインからもたらされたガラス・ビーズなどがあった。

2011/07/17

バルト海底で船を発見 中世デンマーク王の伝説の船か 


スウェーデンの東にあるゴットランド島とエーランド島の間の海底で、12世紀から14世紀にかけてバルト海で使用された船らしきものが発見された。

ソナーによる船影
ソナーによる調査で船影が見つかった。
沈没船調査の専門家Erik Bjurström氏は「初めて画像を見たとき、首の後ろの毛が逆立った」と語っている。

船の時期と発見された場所から、歴史家達はデンマーク王ヴァルデマー4世の伝説の船なのではないかと期待を寄せている。
船は1361年にゴットランド島のヴィスビューで大量の財宝を積みこんで、帰国する途中に沈んだという。

2011/07/16

ブルガリアでアポロン神の姿が刻印された青銅の硬貨を発見

ブルガリアの考古学者がギリシアの神アポロンの姿を描いた紀元前4から3世紀の青銅製硬貨を発見した。
ブルガリアの南東部、黒海岸の町ソゾポルの近くにある、聖マリナ丘陵を発掘している際に出土した。
聖マリナ丘陵の発掘調査の様子

青銅製の硬貨は片方にアポロン神の横顔が描かれ、もう片方にはオンファロスに座るアポロンの姿があった。
オンファロスとは、「大地のヘソ」と呼ばれ、地球の中心と考えられていた古代の石造の宗教的な遺物である。

2011/07/15

ギリシアのオリンピア崩壊の原因は巨大津波だった 新説の登場

ギリシアのペロポネソス半島にある古代都市オリンピアは有名なゼウス神殿がかつてあった場所であり、古代ギリシアのオリンピック競技の開催地であった。
このオリンピアはこれまで地震と河川の氾濫によって崩壊したとこれまで考えられてきたが、実は内陸部にまで及ぶ津波が繰り返し押し寄せたのが崩壊の原因である、という説が提出された。
ドイツ隊によるオリンピア発掘の様子
オリンピアの津波による崩壊説は、ドイツのヨハンネス・グーテンベルグ大学地理学研究所のAndreas Vött教授によるもの。
Vött教授とその研究チームは、過去11000年間の地中海東部の沿岸部で起こった古代の津波を研究しており、そのプロジェクトの一環としてオリンピア遺跡で調査を行った。
教授の報告では、地形学的、堆積学的な見地から、オリンピアとその周辺は津波によって破壊されたことが示されているという。

2011/07/14

人類最古の宗教的儀式の痕跡? ボツワナ・ツォディロ

オスロ大学の准教授Sheila Coulsonは、7万年前のアフリカで人類による儀式の証拠を発見したと伝えられている。
この説が正しければ、人類が何らかの宗教活動を行っていた最古の証拠となる。

Coulson氏は、サン人の起源に関する研究を行っている。
サン人は南部アフリカのンガミランドとして知られるボツワナ北西部にまばらに居住している人々である。
カラハリ砂漠に住み、狩猟採集の生活を営んでいる。

Coulson氏は中期旧石器時代の遺物を求めて、カラハリ砂漠に拡がる小丘陵を調査していた。
この丘陵群はツォディロ・ヒルズと呼ばれ、10キロ四方に4500もの岩絵があることで知られている。
2001年にはボツワナ初の世界遺産に登録された。
ツォディロの岩絵

2011/07/13

大西洋のアゾレス諸島でカルタゴ人の遺跡を発見

ポルトガル考古学調査協会(Portuguese Association of Archeological Research:略称APIA)は、ポルトガル領のアゾレス諸島において、紀元前4世紀以後のカルタゴ人による女神タニトの神殿を発見した。
アゾレス諸島はポルトガル沖約1000kmの大西洋上にある。
1427年にポルトガル人によって発見される前のアゾレス諸島における人類の足跡は、これまであまり知られていなかった。

遺跡はテルセイラ島のモンテ・ブラジル、アングラ・ド・エロイズモで発見された。
APIAの考古学者Nuno Ribeiro氏とAnabela Joaquinito氏によれば、5つ以上の地下神殿と、少なうとも3つの岩を掘ってつくられた聖域が発見されている。
地下神殿

2011/07/12

雨の神トラロックの図像が刻まれた巨大な一枚岩を発見 メキシコ・モレロス州

メキシコのモレロス州でアステカの神が描かれた60トンに及ぶ巨大な一枚岩が発見された。
岩は8世紀のものだという。
発見された一枚岩
側面には農耕に関する図像が刻まれており、アステカ人によって雨の神トラロックを呼ぶためのものだったと考えられている。

岩に描かれた図像は農耕と水に深く結びついている。我々はこの岩が雨を呼ぶための儀式に使用されていて、ポポカテペトル山(メキシコ・プエブラ州にある火山。標高5426m)に向けておかれた可能性が高いと考えている」と考古学者Raul Gonzalez氏は語っている。

2011/07/11

旧約聖書のペリシテ人の姿を解き明かす 古代都市ガトの発掘調査

イスラエルのテル・アル=サフィ遺跡は、古代イスラエルの主要な敵として聖書に登場するペリシテ人の都市、ガトがあった場所として知られている。
発掘調査が現在進行中で、古代のペリシテ人の姿について、考古学的な成果から新たな事実が分かってきている。
現在のテル・アル=サフィ
毎年発掘が行われており、先日今年の調査が開始されたようだ。

約3000年前に、ペリシテ人は地中海岸周辺に居住しており、ガトは新たに開拓された都市だった。
この都市で最も有名な住民は、サムエル記にある羊飼いの若者ダビデの投石によって倒された巨人ゴリアテである。

2011/07/10

イラクでの考古遺物の不法取引がテロリストの資金源に

イラク戦争で盗難されたアダド・ニラリ王の石碑
CNNにイラクでの考古遺物の不法取引を調査したMatthew Bogdanos氏の話があった。
興味深い内容なので、以下に原文から日本語訳したものを記載する。

「考古遺物の不法な取引は麻薬や武器の密輸、人身売買と並んで世界的に蔓延しているが、それほど語られることはない。
私は2003年にアメリカ海軍大佐としてイラクの対テロ作戦に従軍した際、ボランティアとしてイラクの国立博物館で遺物の略奪について調べていた。

私の経験から言えるのは、考古遺物の不法取引はこの地域のテロ活動の収益源になっているということだ。

2005年に我々が捕らえた武器の輸送船には、それがテロリストのものであれ反政府グループのものであれ、考古遺物も積まれていた。
トラックや洞窟、建造物、その他の隠れ場所にも携行式ロケット弾とともに古代の石碑や像が入れられた箱が見つかることもあった。

2011/07/08

古代のイベリア人の宮殿が発見される スペイン・ハエン

1970年代初頭にスペインのハエンで発見されたイベリア人の居住地遺跡プエンテ・タブラス(Puente Tablas)の発掘調査で、400平方メートルに及ぶ2500年前のイベリア人の宮殿が発見された。
プエンテ・タブラスの発掘の様子
イベリア人は先史、古代からイベリア半島に住んでいた人々を指しており、古代ギリシャ・古代ローマの文献にその名称が現れている。

2011/07/07

ベトナムで3000年前の先サーフィン文化の遺物が発見される 山間部では初

ベトナム・クアンガイ省の山地にある遺跡で、先サーフィン文化の遺物が発見された。

調査を行っているクアンガイ博物館のDoan Ngoc Khoi氏によると、タイ・トラ県(Tây Trà District)の遺跡で10基の墓が発見されており、出土した遺物は3000年前のものだという。

遺物は先サーフィン文化期のものと類似しており、この文化が山岳地帯でも存在していたことが明らかになった。
以前は先サーフィン文化は平原や沿岸部でしか発見されていな
かった。

2011/07/06

シャバカ王の宝庫の門を発見 エジプト・ルクソール


エジプトとフランスの共同調査隊が、ルクソールで紀元前2700年に年代づけられる石造の門の遺構を発見した。
遺構はヌビア(現在のスーダン)出身の王がエジプトを支配していた時期のもので、シャバカ王のものとわかった。
Credit: AFP/HO/SUPREME COUNCIL OF ANTIQUITIES
門は極めて良好な状態で発見されており、かつては王の宝庫への入口だったという。
「古代エジプト第25王朝のもので、これほどいい状態で発見されたのは初めて」と共同調査隊のエジプト側の主任Mansur Boraik氏は語っている。

門にはシャバカ王がマアト女神とアメン・ラー神へ供物をささげる場面の彩色レリーフがあった。

2011/07/05

ヴァイキングの埋蔵銀貨を発見 イギリス・カンブリア州

イギリス・カンブリア州の田舎で、ヴァイキングが埋蔵した銀貨が金属探知によって発見された。
この埋蔵物群は何万ポンドにも及ぶ価値があると言われており、カンブリア州ファーネスの未公開の遺跡での発見だった。
埋蔵されていた遺物群
発見された埋蔵物は大英博物館の専門家によって調査される予定。

埋蔵物は92の銀貨とインゴットを含む遺物群、そして銀のブレスレットなどである。
銀貨の中にはアラブ世界のディルハム銀貨も含まれいていた。

この発見は、9世紀から10世紀のヴァイキングの物質文化に関する重要な証拠になる、と専門家は述べている。

2011/07/04

親族関係よりも共同体の中での関係の方が大事? 世界最古級の都市における埋葬の特徴

トルコのチャタル・ホユック遺跡は、9000年前にさかのぼる住居址が発見されており、遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡と称されることもある。
チャタル・ホユックの発掘調査の様子
チャタル・ホユックの住民は、死者を村の内部で埋葬した。遺体は日乾しレンガ造りの家屋の床下に埋葬された。特に暖炉の下、主たる部屋の基壇や「ベッド」の下から遺体が発見されている。
遺体は、基壇の下60cmくらいの深さに、体を小さく折り曲げて、左脇を下、頭を部屋の中央に向けて、かごやアシ類のござのようなものにくるまれていることが一般的であった。
この遺体、家屋の下から発見されていることから、居住者の家族が代々埋葬されていくと普通は考えるが、どうやら血のつながりがないということが研究の結果わかってきた。
8歳の子供でさえ、自分の両親や親族とは別々に埋葬されているという。

2011/07/03

古代のアボリジニの焼畑が気象に変化をもたらしていた?

最初のヨーロッパ人居住者が17世紀にオーストラリアに来た時、アボリジニ達は奇妙な農耕の習慣を有していた。
冬のモンスーンの時期の間にある、乾季の涼しい期間に、北部オーストラリアの各地にある草原、植物を決まって燃やすのである。
Credit: Lindsay Brown / Lonely Planet Images/Newscom
このような一定の規則に従った焼却は、続く雨の多い季節での土地の再生をより活性化させることを意図していたようだ。
しかし、この活動が夏の乾季を通常より暑く、より乾燥させることに一役かっていたという新たな研究成果が提出された。

2011/07/02

エジプトをも支配した強大なクシュ王国の中心地・メロエが世界遺産に登録される スーダン

スーダンの首都ハルツームから北200kmにある、メロエの遺跡群がユネスコの世界遺産に登録された。
メロエのピラミッド
パリで行われたユネスコの第35回世界遺産委員会の会議で29日に登録が決定した。
メロエはスーダンのナイル川とアトバラ川の間にあり、「クシュ」と呼ばれる王国の中心地であった。
クシュ王国は紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて栄え、一時はエジプトを含め、ナイル川流域の地中海沿岸部からアフリカ中央部にかけて支配した強大な国だった。
クシュ王国の王は古代エジプト第25王朝のファラオとして君臨し、紀元前671年にアッシリアのエサルハドン王によって追い出されるまで、約1世紀にわたってエジプトを支配した。

2011/07/01

世界で初めて船を沈めた潜水艦H.L.ハンリー 保存修復作業が進行中

潜水艦H.L.ハンリー
アメリカ連合国(アメリカ南北戦争時の南部諸州の国)の潜水艦H.L.ハンリーは1864年の2月17日、潜水艦史上発の船舶への攻撃を行い、沈没させることに成功した。
攻撃後、すぐに基地への帰還のため引き返したようだが、消息を絶ってしまった。
最近になって、ハンリーはチャールストン湾沖の海中に沈んでいることが発見され、乗組員であった8名も死亡していたことが確認された。

ハンリーは右舷側に45度傾いた状態で発見されており、2000年にその角度のままで引き上げが行われた。
今年の6月に保存修復作業が完了し、直立した状態でおくことができるようになった。