2011/07/04

親族関係よりも共同体の中での関係の方が大事? 世界最古級の都市における埋葬の特徴

トルコのチャタル・ホユック遺跡は、9000年前にさかのぼる住居址が発見されており、遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡と称されることもある。
チャタル・ホユックの発掘調査の様子
チャタル・ホユックの住民は、死者を村の内部で埋葬した。遺体は日乾しレンガ造りの家屋の床下に埋葬された。特に暖炉の下、主たる部屋の基壇や「ベッド」の下から遺体が発見されている。
遺体は、基壇の下60cmくらいの深さに、体を小さく折り曲げて、左脇を下、頭を部屋の中央に向けて、かごやアシ類のござのようなものにくるまれていることが一般的であった。
この遺体、家屋の下から発見されていることから、居住者の家族が代々埋葬されていくと普通は考えるが、どうやら血のつながりがないということが研究の結果わかってきた。
8歳の子供でさえ、自分の両親や親族とは別々に埋葬されているという。

チャタル・ホユックは面積が10.5ヘクタールほどあり、人口は時代によって異なるものの、約1万人に達することもあったと推測されている。
人々は穀物を栽培し、家畜を育てて生活していたと考えられている。

チャタル・ホユック以前の人類は、狩猟採集による生活を行っており、定住はせず各地を放浪していた。
チャタル・ホユックで定住が行われた後の時代では、農耕を営む定住生活者が中東でも生まれており、それが都市を生み、最初の文明へと発展する下地となった。

1950年代と1960年代に初めて考古学的な発掘が行われた時、この住居址には通りがない、ということがわかった。
家屋の遺構
漆喰が塗られた日乾しレンガ造りの家屋は隙間なく建てられており、住居には梯子をつかって天井から入った。つまり家の屋根が通路の代わりになっていたのである。
そして家の床下には死者を埋葬しており、1つの家につき30体に及ぶこともあるという。

埋葬された人々がどのような関係を持っていたかを明らかにするために、研究者らはDNAを頭蓋骨から取り出して分析しようと試みたが、遺体が古すぎることや汚染によってうまくいかなかった。

そこで、アメリカ、オハイオ州立大学のMarin PilloudとClark Spencer Larsenの両氏は、チャタル・ホユックの遺体の歯の大きさと形を分析した。
血のつながりがある場合、歯の形状に類似性があることから、遺跡から発見された266の個体の歯を比較してみた。
彼らの分析結果の詳細は、最近出版されたアメリカの自然人類学の学術雑誌(American Journal of Physical Anthropology)に掲載されている

結果として、家屋の床下に埋葬された遺体は、通常、近い血のつながりがないということがわかった。
1つの住居だけは例外である可能性があったが、それ以外の住居ではこの傾向が見られたという。

Pilloud氏は、チャタル・ホユックで生きていた人々には、親族関係による強い連帯があったとは言えない、と述べている。
「私はチャタルホユックに住んでいた人々にとって、親族的なつながりが重要な意味を持っていなかった、ということを言いたいわけではない。むしろ、我々が狩猟採集段階の社会で想定しているような親族的なつながりが、チャタル・ホユックでは埋葬における唯一の原則にはなっていない、ということだ」と述べている。

現在チャタル・ホユックで調査を指揮しているアメリカ・スタンフォード大学のイアン・ホッダー(Ian Hodder)教授は、この結果が古代の集落での生活の様子に対して、新たな視点を提供してくれる、と述べている。

<チャタル・ホユックに関するホッダー教授の著書>
The Leopard's Tale: Revealing the Mysteries of Catalhoyuk

「非常にエキサイティングなことだ。通常考古学者は古代の親族的なつながりがどのようなものだったか、想像することしかできなかった。この発見によって新たな世界が開けた」
「いろいろな意味で、この結果は我々の直観にそぐわないものだった。まったく予想外だった」
ホッダー教授は、「チャタル・ホユックの家では、生物学的な親族関係に基づくのではなく、さまざまな種類のプロセスを経て、家に加わることができるようになるのだ」と説明している。

それぞれの家は各自の道具、狩猟場、水の確保先、農地があったと考えられる。
「家の単位を分けるものは、各種のリソースに対する共同保有だった」とホッダー教授は述べている。

親族的なつながりから、より実用的なつながりへの変化は、チャタル・ホユックの人々が農耕を基礎にした都市のライフスタイルを採用していたことに由来しているようだ。
都市でのライフスタイルが、彼らの考え方を一変させた。

「狩猟採集の社会では、人々の集団は移ろいやすい、弱いつながりにあった。しかしチャタル・ホユックの段階では、全員が連帯し、極めて近い場所に集住するようになった」とPilloud氏は述べている。
「彼らは家畜の群れを放牧したり、収穫を助けたりなど、より人が必要な作業を行うようになった。そのため家族の枠を超えて、他のグループに頼る必要があっただろう」

ホッダー教授は、この発見によってチャタル・ホユックがこれまで考えていたよりもずっと複雑な社会であったことを示されたと述べている。
「社会が定住化し、より複雑化するにつれて、家族の関係はお互いをつなぎとめておくには不十分なようだ。これは、チャタル・ホユックに人々が、家族よりもより複雑なものを求める段階に十分達していたということを示している」

No Family Plots, Just Communal Burials In Ancient Settlement

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