2011/10/31

アンコール遺跡で首なしの石像2体発見 1930年代以降では最大

カンボジアのアンコール遺跡で頭部が失われた石像が2体発見された。
石像が発見されたタ・プローム
専門家のLy Vanna氏によれば、2体の石製の像はタ・プロームで発見されたもので、両者とも頭部が失われていたという。
大きい方の像は、頭部があった場合は高さおよそ3メートルに及ぶという。
石像は12世紀に年代づけられるもので、1930年代以降で発見された像の中では最大のものになる。

2011/10/26

900年前のシカン文化エリート層の墓が発見される ペルー

 ペルー・ランバイエケで900年前のシカン文化の墓が発見された。
当時の社会でもエリート層の埋葬と考えられている。

保存状態の良い元寇船が発見される 長崎県松浦市鷹島町沖

日本の鎌倉時代中期に中国大陸を支配していたモンゴル帝国。
元寇(蒙古襲来)と呼ばれる、モンゴル帝国による二度にわたる対日本遠征は、日本史の教科書に必ず載っている有名な出来事だ。
長崎県松浦市鷹島町の沖合で、この元寇でモンゴル帝国が使用した船が、構造を保った状態で発見された。
CREDIT:琉球大考古学研究室

10月24日に琉球大法文学部の池田榮史教授(考古学)は長崎県庁で正式発表し、現場の映像を公開しながら説明した。船の全長は20メートルに及ぶという。

2011/10/24

ネアンデルタール人はなぜ短足だったのか?

ネアンデルタール人の足は現代人よりも短いことが分かっているが、多くの研究者は寒冷な気候が原因と結論づけていた。
ドイツ・エルクラートにあるネアンデルタール人の像
しかしネアンデルタール人の短い足は、彼らが住んでいた山がちな地形を歩くのにはむしろ便利だった、ということがジョンズ・ホプキンス大学の研究者によって明らかにされた。
足の短さと山がちな環境を結びつけることで、その他の多くの動物にみられる手足のプロポーションについても説明することができるという。

2011/10/21

完全な状態のヴァイキングの船埋葬を発見 スコットランド

スコットランドのハイランド地方西部で、完全な状態のヴァイキングの船埋葬が発見された。
出土した剣、斧、青銅のピン
遺跡はアルドナマーチャンにあり、1000年前のものと考えられている。
遺体とともに埋葬されていた遺物から、この人物は高位の戦士だったようである。

2011/10/19

壺に残るDNAの分析から交易品を復元 古代ギリシア

古代ギリシアの船に積まれていた貯蔵用の壺のDNA分析から、古代ギリシア人がワインだけでなく、様々な食料の交易を行っていたことがわかった。
交易に使用された壺(アンフォラ)
地中海にあった沈没船から発見された9つの壺から、野菜、ハーブ、木の実の存在が分析によって検出されたという。
今後、様々な時期の遺物に対してDNA分析を行うことで、地中海域における交易マーケットの展開をより詳細に知ることができるかもしれない、と分析を行った研究者らは述べている。

2011/10/17

10万年前の塗料製作の痕跡 南アフリカ

南アフリカ・ケープタウンのブロンボス洞窟で、塗料や革の保護に利用されたと考えられる黄土(オーカー、顔料の原料)が豊富に混ぜられた土が、2枚のアワビ貝の中に入れられた状態で見つかった。
10万年前に年代付けられるものだという。

「黄土は装飾する意図があって体や服に塗られていたものだろう」とヨハネスブルグのウィットウォーターズランド大学人類進化研究所のChristopher Henshilwood教授は語っている。
教授は2008年にも、黄土に水を混ぜて混合物を作っていたと考えられる場所を発見していた。

2011/10/15

アメリカ大陸の発見が小氷河期の原因となった?

クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見しなかったら、その後のヨーロッパの気候はもっと温暖だったかもしれない。
中世の後に続く低温期「小氷河期」は、アメリカ大陸の人間活動による植生の変化が原因であるとする研究結果が提出されている。
アメリカ・コロラド州の森
ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服によって、そこに住んでいた人々を追い払い、利用されていた土地をほったらかしの状態にしてしまった。
これらの場所で再生した木々は何十億トンもの二酸化炭素を大気から取り込み、大気が熱をとらえる許容量を減少させ、気候を冷温化させるに至ったと、スタンフォード大学の地球科学者Richard Nevle氏は述べている。

2011/10/14

ペスト菌のゲノムから中世の大流行の原因を探る

これらの人骨はロンドンにある14世紀の墓地から1980年に発掘されたもので、1347年から1351年にかけてヨーロッパで猛威をふるい、30万人が命を落とした「ペスト(黒死病)」による死者と考えられている。
研究者らが、この墓地には2500人のペストによる死者が埋葬されており、ここから発見された遺体の歯を用いて、ペスト菌のゲノムの99%を再現した。

2011/10/12

デジタル技術で甦る海に沈んだ都市 ギリシア・パヴロペトリ

 庭付き一棟二軒の家、庭に干された服、壁や道路・・ギリシア南東岸にあった青銅器時代の郊外の都市パヴロペトリの姿が、デジタル技術を駆使して3次元で甦った。
パヴロペトリは海中から発見された5000年前の都市であり、道路、建物、墓を含めた街全体の構造が、ほぼ完全な姿で残されていた稀有な例である。
街への居住は紀元前2800年頃から開始され、海中に沈んだのは紀元前1000年頃と考えられている。

2011/10/11

アステカの祭壇を発見 付近に王墓の可能性 メキシコ

メキシコシティーのテンプロ・マヨール遺跡で、蛇の頭の彫刻が刻まれたアステカ文明の祭壇が発見された。アステカ文明の皇帝の墓が付近に存在する可能性もある。
アステカ文明の支配者の墓はまだ場所が特定されておらず、研究者らはテンプロ・マヨール遺跡周辺で5年に渡って探し続けていた。

2011/10/07

トルコ・「ガリポリの戦い」戦場跡の調査から見える両陣営の様子

 オーストラリア、ニュージーランド、トルコの考古学者、歴史学者などによる研究チームによって、第一次世界大戦にトルコで行われた「ガリポリの戦い」の戦場跡の調査が行われ、100以上の遺物が発見された。
ガリポリの戦いを描いた絵
ガリポリの戦いは第一次世界大戦中の1915年4月~1916年1月にトルコのガリポリ半島で起きた戦い。
主に大英帝国とフランス連合軍が、オスマン帝国の首都コンスタンチノープルを奪還してロシアへの海路を確保しようとしたもの。
英仏軍は世界で最初となる大規模な上陸作戦を展開したが失敗し、双方に多数の戦死者を出した。

2011/10/06

中国・始皇帝陵の「百戯俑坑」が一般公開へ

古代中国では死者を埋葬する際に「俑」と呼ばれる人形を副葬する習慣がある。
陝西省にある秦の始皇帝の陵墓の周辺には、兵士や馬をかたどった「兵馬俑」が埋納されていることは有名である。
この始皇帝陵の南東にある「百戯俑坑」が10月から一般公開された。

始皇帝陵の周囲では180におよぶ副葬坑が発見されており、「百戯俑坑」はその1つ。
1999年に発見されたことから、副葬坑K9901号と命名された。

2011/10/05

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 実在の科学的解明

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品の存在が、科学的調査によって裏付けられるかもしれない。
その作品は「アンギアリの戦い」という題で、フィレンツェのベッキオ宮殿の壁に描かれていた。
1505年に制作が開始され、完成していれば、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の中でも最も大きいものになるはずだった。
画像は別の人物による模写

しかし壁画の制作は中断され、結局完成されることはなかった。
そしてイタリアの画家ジョルジョ・ヴァザーリがこの場所の改装を委託されるまで、60年にわたってそのままの状態で残されていた。

2011/10/02

ジーンズ工場跡からローマ時代の要塞を発見 スコットランド


スコットランド、キャメロンのジーンズ工場跡から、少なくとも2つのローマ時代の要塞が発見された。
60足分の革製の靴に加えて、土器、炉、硬貨、骨、宝石、斧、槍先などが出土した。
1世紀から2世紀に年代づけられるもので、この時期に要塞が使用されていた。
Credit: Falkirk Herald
発見されたのは「ラングラー(Wrangler)」のジーンズ工場跡であり、この場所にスーパーマーケットが新しく建てられるため、発掘調査が行われていた。