2011/06/30

100以上の彩色された神殿の建材を発見 エジプト サン・エル=ハガル


ファラオの彩色が施された建材
エジプト北部のサン・エル=ハガル(タニス)で、フランスの調査隊が100以上もの彩色された石灰岩の建材を発見した。
建材は古代エジプト第22王朝のファラオ、オソルコン2世の神殿に利用されたものと考えられている。

考古省のザヒ・ハワス氏は、これらの建材が後の末期王朝時代とプトレマイオス王朝時代に再利用されていた、と述べている。
建材が網羅的に発掘された後に復元研究を行い、本来どのような建築だったのかを明らかにしていく予定だという。

2011/06/29

スフィンクスの参道が10月にオープン エジプト・ルクソール

スフィンクス参道
エジプト、ルクソールでカルナック神殿とルクソール神殿の間をつなぐ参道「スフィンクス参道」が10月に観光客にオープンされることになった。

参道は当時の姿が再現されており、修復には5年の歳月が費やされた。
観光客は、古代エジプト人がかつてそうしていたように、参道を歩くことができる。
参道の脇には修復プロジェクトの過程で発見されたギリシア・ローマ時代の工房やワイン工場などが発見されている。

10月には、オープンを祝して特別なセレモニーが行われる予定。

陰惨な奴隷貿易を物語る廃墟 アフリカ・シエラレオネ共和国

ベンス島の廃墟Credit: Winston-Salem State University
考古学の国際チームが西アフリカでもっとも大きな「奴隷の城」とよばれた遺跡で、300年前の奴隷貿易に関する廃墟を発見した。

遺跡はベンス島と呼ばれる場所で、シエラレオネ共和国の首都フリータウンから30kmほど上流にいったところにある。
この遺跡は北部アメリカの奴隷貿易と密接な関係があったという。

ニューヨーク州のシラキュース大学人類学科長Christopher DeCorse氏によれば、ベンス島は南カロライナとジョージアにあったイギリスの植民地で、米作に従事する奴隷を供給していた主要な輸出地だった。

2011/06/28

保存状態最高の古代ビザンツの船を積み荷とともに発見 トルコ・イェニカプ

トルコ・イェニカプで、イスタンブールを中心とする地下鉄網工事のための事前発掘調査が行われている。
このイェニカプで、5世紀以降の船がほぼ完全な状態で、積み荷とともに発見された。
発掘中の船の一部
この遺跡では2004年から調査が行われており、現在は船の発掘が継続されている。
船のフレームが完全に残っており、積み荷が満載された状態の船の発見は世界初の可能性がある。

2011/06/27

メキシコ・パレンケの未発掘のピラミッドに小型カメラを入れて撮影

墓内部の写真
未発掘のマヤのピラミッドに小型のカメラを入れ、内部の様子が撮影された。
ピラミッドは1500年前のもので、内部には赤色に塗られた壁画、土器やヒスイと真珠層によって飾られた被葬者の覆いの一部などが確認された。

場所はメキシコのチアパスにあるマヤの古代都市パレンケで、ピラミッド内部に墓があることが1999年に発見されていた。
被葬者はマヤの王と考えられる人物で、紀元後431年から550年の間に生きていた。
この墓は今もなお考古学者による発掘調査が行われていない。

ピラミッドにある小さい穴から、約5m下へリモートコントロールが可能なカメラを下ろし、まだ荒らされていない状態の墓内部の撮影に成功したのである。

2011/06/25

インダス文明でも脳外科手術が行われていた?

インドで人類学の研究を行っている専門家が、ハラッパーの青銅器時代の人骨に脳外科手術の痕跡があることを発見した。

頭蓋骨は4300年前のもので、トレパネーションとして知られる明確な穿孔の跡があった。
発見されたトレパネーションの痕跡
トレパネーションは先史時代に行われていた外科手術で、しばしば頭蓋冠への穿孔もしくは切開を伴う。
頭部の怪我や、頭部への衝撃による骨破片または血栓に対する処置と考えられている。

2011/06/24

クフ王の第2の太陽の船・日本隊による発掘開始 エジプト・ギザ

古代エジプト第4王朝のクフ王のために建造され、4500年以上もギザのピラミッド脇に埋められていた大型の木造船「太陽の船」の2隻目の発掘作業が23日、カイロ郊外のギザで始まった。
第2の太陽の船が納められた溝の内部
太陽の船は長さ約30mの細長い溝の中に入れられており、上には41に及ぶ直方体の石材で蓋がしてあった。
今回その蓋石が取り上げられ、4500年間納められていた船の木材が、初めて直接人の目にさらされることになったのである。石蓋は重さ16トンに及ぶ。

2011/06/21

古代ローマ建築の方位と天文との関連 ヴィッラ・アドリアーナ(イタリア)

ヴィッラ・アドリアーナの風景(大浴場)
ヴィッラ・アドリアーナは古代ローマ帝国のハドリアヌス帝によって建設された広大な別荘地。
イタリアのローマから東へ約30kmのところにあるティボリに位置している。
紀元後118年に建設に着手し、133年に完成したと言われている。
1999年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。

ヴィッラ・アドリアーナに30以上あるハドリアヌス帝の建築物の方位は、特に規則はなく、ランダムに配置されていたと長年考えられていた。
しかし、イタリアの考古学者Marina De Franceschini氏によれば、2つの建物で夏至の時に細い光が貫通するという。

2011/06/19

1000年以上前の球技選手を表した石像が発見される メキシコ

発見された石像
メキシコのサカテカス州の遺跡で、紀元後900~1000年頃の球技選手の巨像が発見されたと国立人類学・歴史研究所が報じた。

エル・テウル(El Teul)という遺跡で、像は深さ1.5mから発見された。
昨年末にも、球技選手の像の存在が同じ遺構群から確認されていた。

2体の球技選手像は、古代マヤの創生神話ポポル・ブフで語られる聖なる双子を想起させる、と研究者は述べている。

2011/06/18

人間の排泄物からわかる古代ローマ人の生活 ヘルクラネウム遺跡

ヘルクラネウムの通り
イタリアのヘルクラネウム遺跡で、2000年前のローマ人が古代の下水に残したものから、彼らの生活を解き明かそうとする試みが行われている。

ヘルクラネウムは現在のイタリア南部・カンパーニャ州エルコラーノに位置しており、紀元後79年にポンペイをはじめとする諸都市を破壊したヴェスビオ火山の噴火によって埋没した遺跡である。

ヘルクラネウムの保存プロジェクトに参加している専門家達は、古代の下水の発掘を行っており、そこは古代ローマの遺跡の中でも最も有機遺物が豊富な堆積であることを発見した。

排泄物の層が火山の泥の層の下に何世紀にも渡って保存されており、古代ヘルクラネウムに住んでいた人々の食生活や健康を知る新たな手掛かりになるという。

2011/06/17

アイスマンは虫歯で歯周病だった 新石器時代の歯の病理

アイスマンの復元された姿
アイスマンは、1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で見つかった、約5300年前の男性のミイラの愛称である。

エッツ渓谷で発見されたことから、「エッツィ」とも呼ばれている。
人体そのものや着衣、道具類の多くが氷漬けになって保存されていたので、当時の文化・風習や病理などを明らかにする上で、アイスマンは最高の資料になっている。

アイスマンの死因については、最初は凍死であると考えられていたが、近年の研究から失血死であることがわかっていた。

このアイスマンの最新の研究成果から、彼が虫歯で、歯が摩耗しており、歯周病で苦しんでいたことがわかった。
カリフォルニア・サンディエゴで行われたミイラの研究の国際学会で発表されている。

崩壊の危機に瀕するピラミッドを21世紀の技術が守る

サッカラの階段ピラミッド
南ウェールズの会社が21世紀の技術を用いて、紀元前2700年のピラミッドの修復を行っている。

サッカラにあるジェセル王の階段ピラミッドは、エジプトで最古のピラミッドである。
このピラミッドが、1992年の地震後、崩壊の危機に瀕している。

シンテック社はホワイトハウスやウィンザー城の構造的問題に対して、ソリューションを提供してきた実績がある。
今回の4700年前のピラミッドに対しても、この先の4700年間も残り続けることができるよう、対策を講じているという。

2011/06/13

第一次世界大戦のトンネル戦跡の調査が進行中 フランス、ラ・ブワッセル

第一次世界大戦の西部戦線のトンネル戦跡で、考古学者による調査が始められている

場所はフランスのラ・ブワッセルと呼ばれる郊外の村にある私有地で、最も激しかったソンムでの戦いを除いて、1918年には戦闘が終わっており、その後まったく手をつけていない状態で残っている。
ラ・ブワッセルの塹壕
第一次大戦と言えば塹壕を用いた戦闘のイメージがある。
しかし一方で、大戦ではトンネルを用いた戦略も重要な役割を果たしていた。

2011/06/12

東アフリカまで到達していた中国・明時代の大船団 水中考古学による裏付け調査

中国・明時代の鄭和による大船団が、その一部が東アフリカにまで来ていたというのは、もはや定説のようになっている。
鄭和の船団が訪れた地域
この説を考古学的にも証明するために、中国とケニアの考古学者は東アフリカ沖で沈没船の調査を行っている。

鄭和は明の永楽帝に重用され、南海へ7回の大航海を行った人物。東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカまで航海したと伝えられている。
用いられた船の大きさと船団の規模には目を見張るものがある。
第1次航海の例では、船の大きさが長さ137m、幅56mの巨艦で、船団は62隻、総乗組員は2万7800名に登ったという。

2011/06/11

文化財保護地域で埋蔵金狙いダイナマイトを使用 6人逮捕・ギリシア

北部ギリシアの警察が、埋蔵されている金を狙って、遺跡として保護されたエリア内でダイナマイトを使用した6人の男を逮捕した。

9日の報道では、犯人の内4人はギリシア人で2人はアルバニア人であり、8日に逮捕された。
場所はアテネから北へ700kmのところにあるカバラ(Kavala)市の近くであり、付近の山腹がダイナマイトで吹き飛ばされており、中から12mのトンネルが発見された。

2011/06/10

少年王ツタンカーメン墓の壁画の染みが語る埋葬秘話

ツタンカーメン墓の壁画にみられる点状の染み
エジプトの新王国時代の少年王ツタンカーメンの墓には見事な壁画が描かれているが、全体に褐色の染みが見られる。

ほとんど1世紀にわたって科学的な調査が行われているが、いまだにこの染みが何であるかは正確にわかっておらず、謎のままである。

新王国時代第18王朝の少年王として有名なツタンカーメンが、なぜ10代にして若く死んでしまったのか、様々な説が流れている。たとえば頭部の怪我であったり、足の骨折が原因としているもの、マラリアなど多様である。

ハーバード大学の微生物学者Ralph Mitchellによれば、ツタンカーメンの死の原因が何であるにせよ、少年王が墓の壁画が乾ききる前に、当時としては異例の速さで埋葬が行われたことを、壁画にみられる暗褐色の染みが示しているという。

2011/06/08

ヨーロッパ最古? 7000年前の都市がブルガリアで発見される

Credit: actualno.com
ブルガリアで、ヨーロッパ最古と考えられる町が発見された、と地元メディアが報じている。
遺跡はブルガリア南西部にあるパザルジク市の近くにある。

2008年には考古学者のYasen Boyadzhiev氏が率いるチームが、この地域で広大な墓地を発見していた。
墓地はこの地域の名前であるYunatsiteとして知られるようになった。

その後調査区を拡大した結果、面積10万平方メートルにおよぶ紀元前4700年~4600年頃の巨大な都市が先日発見された。

2011/06/07

メキシコ・古代テオティワカンの地下に120mの巨大トンネルを発見

トンネル発掘の風景
メキシコの古代テオティワカンの地下で、地中レーダーによって巨大なトンネルがあることが明らかになった。

トンネル発掘は完了していないが、レーダーによれば120mの長さがあることがわかっており、末端にはいくつかの部屋があるようだ。

2011/06/06

鉛を用いた新しい年代測定方法を開発 スペイン・バレンシア大学

金属でできた考古遺物の年代を測定する方法は数少ない。

スペイン・バレンシア大学のAntonio Doménech-Carbó氏が率いる研究チームが、鉛が含有された遺物に対して、ボルタンメトリーと呼ばれる方法を用いた年代測定方法を開発した。
新しい年代測定の補正に利用された鉛遺物(文字が刻まれいている)
鉛が含まれた考古遺物は数多くあり、例えば漁猟用の網、錨、水道管、宝石、像などにも含まれている。
開発された手法は、幅広い種類の遺物に対する年代測定が可能になるという。

2011/06/05

人類の祖先に見られる行動パターンの性別差 理化学的分析による研究成果

アウストラロピテクス・アフリカヌスの頭骨
これまでに、初期のヒト亜科(2足歩行をし、比較的小さな歯と大きな頭脳を持つ、ヒトやチンパンジーおよびその祖先を指す)の行動範囲と居住パターンは形態学や石器の調達先、現生の霊長類、系統発生学などから推測されてきた。

ドイツ・ライプツィヒのMax Planck進化人類学研究所の研究チームは、南アフリカのアウストラロ・ピテクスとパラントロプス・ロブストゥスの化石に対して、ストロンチウムの同位体による分析から、行動範囲の分析を実施した。

この方法によって、歯が石化している時期に動物が生息していた範囲を特定できるという。

2011/06/04

グリーンランドのヴァイキング消滅の原因は12世紀の大寒波だった?

現在のアイスランドの風景
グリーンランドは北欧のヴァイキングによって入植が行われていたが、15世紀には姿を消してしまう。
ヴァイキング消滅の原因が、12世紀にグリーンランドで起こった寒波だったとする説が提出された。

この報告では、西部グリーンランドにある池の堆積物のボーリング調査によって、5600年前からの温度を復元している。
その結果、先史時代の居住者も、厳しい気候変動にさらされていたことが明らかになった。

2011/06/03

海賊「黒ひげ」のいかりが引き上げられる アメリカ・ノースカロライナ州

回収された黒ひげの船のいかり
アメリカ・ノースカロライナ州沖の海底で、伝説的な海賊「黒ひげ」の旗艦のいかりが引き上げられた。
旗艦「クイーン・アンズ・リベンジ号(女王アンの復讐号)」にあった3つのいかりの内の1つであり、重さは1360キロもある。

1996年にノースカロライナ州のビューフォートの近くで発見され、数年前から段階的に船に積まれている品の回収作業が行われていた。
すでに大砲、金貨、大皿、コップなど25万点以上の品が回収されたという。

6月11日には、ノースカロライナ州ボーフォートにあるノースカロライナ海洋博物館でクイーン・アンズ・リベンジ号の残骸から回収した品の展示会が開催される。
1996年の発見以後、付近は観光名所となっている。

2011/06/02

エジプト・ルクソール西岸でアメンヘテプ3世の巨像の顔を発見

エジプト・ルクソール西岸、新王国時代第18王朝のファラオ、アメンヘテプ3世の葬祭殿跡で、ファラオの彫像が発見された。
発見されたアメンヘテプ3世の彫像

頭の部分だけで2.5mもある巨大なもの。
アメンヘテプ3世の治世は紀元前1390年から1352年頃だったと言われている。

古代ローマの船に魚の貯蔵タンク 新鮮な魚を各地へ輸送していた

ローマ時代の船の船体に鉛のパイプが通っているものが発見されていたが、その用途については良くわかっていなかった。
イタリアの考古学者の研究によって、実はこのパイプが生きた魚を貯蔵するのに使用されており、水中に継続的に酸素を入れるための、巧みなポンプ機能を有していたという説が提出された。
発見されていた鉛のパイプ

歴史学者は、古代には冷蔵庫がなく、運んでいるうちに腐ってしまうので、魚を消費していたのは魚がとれる場所のすぐ近くに住んでいる人々だと考えていた。
もし、新説が事実ならば、ローマ時代の船は生きた魚を地中海中の港に運ぶことができた可能性がある。

2011/06/01

衛星によるピラミッド発見の報道に対しエジプト側は非難 BBCは謝罪

先日、アラバマ大学による衛星画像による調査で、17ものピラミッドが発見されたという報道があった。
アルケオニュースでも取り上げており、各紙でも報じられている。
アルケオニュースの5月27日の記事

元々はイギリス・BBCによる報道だったが、これに対しエジプト考古省のザヒ・ハワス博士は不正確な情報であるとして非難している。