2011/06/13

第一次世界大戦のトンネル戦跡の調査が進行中 フランス、ラ・ブワッセル

第一次世界大戦の西部戦線のトンネル戦跡で、考古学者による調査が始められている

場所はフランスのラ・ブワッセルと呼ばれる郊外の村にある私有地で、最も激しかったソンムでの戦いを除いて、1918年には戦闘が終わっており、その後まったく手をつけていない状態で残っている。
ラ・ブワッセルの塹壕
第一次大戦と言えば塹壕を用いた戦闘のイメージがある。
しかし一方で、大戦ではトンネルを用いた戦略も重要な役割を果たしていた。

要塞の壁の下を掘る戦術は古代からあった。
第一次世界大戦で高性能な爆弾が導入されてから、新たな利用の仕方が生まれた。

最も特筆すべきは1917年のメシヌの戦いで、イギリス軍は21のトンネルに455トンの爆弾を仕掛けた。この準備には1年以上かかったという。
大規模なトンネル爆破によって、推定で1万人ものドイツ軍兵士が殺害されたと言われている。

トンネルの掘削は、イギリスの鉱山から西部先生に派遣された専門の鉱山労働者が行う。

1915年から16年にラ・ブワッセルで行われたのは古典的なトンネル戦であり、お互いがトンネルの位置を特定しあって、相手のトンネルを破壊していた。

ソンムの戦いの様子
イギリスの考古学者、歴史家やフランス、ドイツの協力者は、亡くなった人々の記念碑としてこの地を保存することを望んでいる。

ラ・ブワッセルでの発掘調査は来年行われる予定で、地中レーダーによるトンネルと塹壕の位置の特定が現在進行している。

いくつかのトンネルにはすでに入っており、良好な状態で保存されていることが確認された。

調査チームは、崩壊したトンネルの中にある遺体はそのままの状態で安置するつもりである。
それ以外の出土品については、戦没者共同墓地委員会との合意で、再埋葬される予定。

発掘調査で不発弾が発見されるのは不可避であり、爆弾処理の専門家が常に控えることになるという。

壁に書かれた落書きや誌、飲み物のボトルなど、様々な遺物が戦闘後の状態で残っていることが予想されている。

長期的には、この遺跡が一般に公開される予定であり、プロジェクト全体で5年から10年はかかる見込み。

WWI underground: Unearthing the hidden tunnel war

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