2011/08/26

中世のペスト大流行の原因はネズミではなかった?


14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。
高い致死性を持っていた事や罹患すると皮膚が黒くなる事から黒死病と呼ばれ、恐れられた。
ペストはネズミなどのげっ歯類を媒介にして流行するといわれていた。

しかし、1348年末から1349年のロンドンで猛威を振るったペストの調査によって、ネズミが悪者だったわけではない、という説が出されている。

The Black Death in London(ロンドンの黒死病)」の著者Barney Sloane氏は「ネズミがペスト流行の原因という説を支持する証拠が見当たらない」と述べている。
「ネズミが原因であるならば水辺で大量のネズミの死骸が発見されるべきだが、見つかっていない。私が調査したこれまでの全ての証拠から、ネズミとノミによってペスト菌が運ばれたとする伝統的な説明よりずっと早く疫病が広がっていることが示された。ペストは人から人への感染だった。ネズミを媒介にする時間はなかったのだ」
「”黒死病”であることは確かだが、その病気が何だったのか、実際に腺ペストだったかどうかは定かではない」

Sloane氏は以前はロンドン博物館の調査員であり、数多くの中世の遺跡で発掘調査をしており、今はイギリスの文化遺産に取り組んでいる。
彼は、首都を襲った中でも最悪だった、1348年から1349年の疫病の蔓延が、これまで推測されていたものよりもはるかに早く、大きな影響を及ぼしていたと結論付けた。

ロンドンの人口の半分である6万人が死んだと推定している人もいるが、Sloane氏は3分の2まで及んでいたと考えている。
その後の1357年には、市の3分の1の財産が依然としてなくなっている状態だったので、商人はその土地に対する租税をカットするように試みている。

Sloane氏は、本の執筆に向けて、史料と発掘調査報告書を精査に10年の歳月を費やした。
市を疫病が襲った時の記録は少なく、多くの記録は失われていた。
緊急で作られた3箇所の墓地では、埋葬された人の名前さえも記録されていないようだった。

しかしながら、Sloane氏はロンドンの裁判所の記録で重要な情報を発見した。
そこでは遺書が作成されており、疫病の年にそれが実行されたのである。
疫病が迫ってくるにつれ、パニックに陥り死を覚悟した富裕層によって、遺書の数が急激に増大したのである。
通常の1年分の量の遺書が、1週間で作られたという。

1349年2月5日、 Johanna Elyはすでに夫が亡くなっており、子供のRichardとJohannaへの遺産相続の手続きを整えた。
財産を子供たちへ譲り、ベッドやポット、鍋に至るまでどちらが受け取るかを詳しく書いてあった。
そして自分の母親を子供たちの後見人とすることが記されている。
彼女はそれから72時間以内に亡くなっている。

市民にとっては世界中の全ての人が死に絶えるように思えていただろう。
Richard de Shordychは息子のBenedictに財産を与え、3月の初めに死んだ。
息子はそれより2週間長く生きただけだった。

エドワード3世の娘、ジョアンはカスティーリヤの後継者ペドロと結婚するために、花嫁衣裳、持参金、花嫁介添人を伴ってスペインへ行った。
彼女はスペインに到着後、疫病で10日後になくなってしまったので、結婚式を迎えることはできなかっただろう。

ロチェスターでは、死人を埋める場所さえみつけることができなかったという。
人々は自分の子供たちの遺体をかついで教会に向かい、遺体の山へ投げていた。
その強烈な悪臭で、教会の墓地を通り過ぎることさえできなかったという。

アルダースゲイトの墓地の死者は、現在はスミスフィールドにあるチャーターハウス広場に埋められているが、この墓地では疫病の最盛期には5分に1回の割合で遺体が持ち込まれたとSloane氏は推定している。

しかしながら、発掘調査によると、人々は手厚く埋葬され、墓は列になって並べられており、顔は西を向き、大半の中世の墓地よりも多くの棺が使われていた。
もっとも、それは疫病の感染を恐れてのことだったかもしれない。

Sloane氏は、富裕層と貧困層の死亡率には差がほとんどなかったと考えている。
なぜなら、彼らは極めて接する形で暮らしていたからだ。
疫病は、混雑した町の中で、人と人の間で広がっていったとSloane氏は確信している。

死亡率は、ノミが生存することができない厳しい寒さの冬を通じても上昇している。
14世紀の遺跡からネズミの骨が発見されているが、疫病を運ぶに十分なほどの数はない、と彼は述べている。

テムズ川の河畔の遺跡では、市のほとんどのゴミが捨てられており、ネズミも生息していたはずである。
水分を多く含む土壌は有機物が豊富に残されているが、黒死病のネズミはほとんど発見されなかった。

Sloane氏はチャーターハウスでの発掘を望んでいる。
チャーターハウスの昔の救貧院と現代の建築の下には2万人の遺体が眠っていると彼は考えている。

発掘調査によって、Sloane氏の説を裏付ける形となるか、もしくは否定される結果となるのか、成果が楽しみである。

Black Death study lets rats off the hook


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