2011/08/11

新ヒッタイトのライオン像が完全な状態で発見される トルコ

トロント大学の調査隊がトルコ南西部で石像によって飾られた新ヒッタイト(シリア=ヒッタイト)の建造物の門が発見された。
CREDIT: University of Toronto

石像には、精巧に彫られた完全な状態のライオンの像も含まれていた。
門は新ヒッタイトの王国パティナ(紀元前950年~前725年頃)の首都であるクヌルアの城塞への入口であり、ヒッタイト帝国の都市カルケミシュで1911年にイギリスの考古学者Leonard Woolley卿によって発見された城塞の門を彷彿とさせる。

紀元前2千年紀における青銅器時代の大帝国の崩壊後、地中海世界の東側で鉄器時代の小国が勃興しており、パティナもその1つであった。
今回の発見は、当時の洗練された文化や、革新的な要素を知るうえで価値の高いものであるという。

「ライオン像は完全な状態で、高さ約1.3m、長さ約1.6mである。座った姿勢で耳は後ろにあり、爪が長く、吠え声をあげている」とトロント大学のTimothy Harrison教授は述べている。
「もう1つ彫像が発見されていて、そちらは人物が2頭のライオンに挟まれる形で描かれている。これは近東の文化では「主人とその動物」のモチーフとして知られているものだ。これは自然世界の混沌が文明の秩序によって統御されていることを象徴している」

「ライオン、スフィンクス、主人とその動物のモチーフを表す巨像が新ヒッタイトの城塞に存在することは、青銅器時代のヒッタイトの伝統が続いているということを意味しており、境界の地であることの象徴的な役割、人間集団における守護者、門番として任命された王としての役割が強調されている」

門の建築複合体は紀元前738年のアッシリアによる征服で破壊されたようであり、この場所は舗装され、アッシリア帝国の神殿の中庭に変えられてしまった。

ライオン像の様式にみられる特徴は1930年代にアッシリア帝国の神殿の入口で発見された2頭のライオンによる柱の礎石によく似ている。
このライオン像がアッシリア統治時代に再利用されたか、もしくは再加工されたのかは定かではないが、後世のライオン像は明らかにこの地の新ヒッタイトの伝統的な様式に属している。これまではこの様式がアッシリア文化の影響を受けたものと考えられていたが、そうではなく、より古い時期の伝統を受け継いだものであるということが、発見によって明らかになった。

Archaeologists uncover 3,000-year-old lion adorning citadel gate complex in Turkey


ラベル「城塞」を含む記事

0 件のコメント:

コメントを投稿