2011/08/15

1100年前のヴァイキング虐殺の考古学的証拠 イギリス・オックスフォード


1100年前のヴァイキング虐殺の証拠が、オックスフォードで発見されていた。
少なくとも35体の人骨があり、全員男性で16~25歳ほど、オックスフォード大学のセント・ジョーンズ・カレッジで2008年に見つかった。
CREDIT: BBC
出土品の分析から、これらが1002年のもので、エゼルレッド無策王がイングランドのデーン人(ヴァイキング)虐殺の命令を下した時のものと考えられている。

人骨は、セント・ジョーンズ・カレッジの中庭で建設作業が始める前に敷地の考古学調査を行った際、発見された。
遺体は、大量に積み上げられた状態で出土している。

人骨学者のCeri Falys氏は出土した人骨の調査を実施した。
その結果、どの個体にも陰惨な怪我の痕跡が数多く発見されたのである。

多くの頭蓋骨はひび割れ、壊れていたが、頭蓋骨の破片をつなぎ合わせていった結果、その内の多くは切り傷や刺し傷の跡が後頭部にみられることがわかった。

例えば、1人は骨盤に刺し傷が複数あり、背後と脇から攻撃を受けた跡があった。
同時に、頭蓋骨に大きな切り傷があることから、様々な方向から少なくとも2人以上の人間に攻撃を受けたことがわかっている。

オックスフォードで発見された大量の人骨は、数多くの史料に記録されている、聖ブライスの日の虐殺(St Brice's Day Massacre)と呼ばれる出来事の被害者である可能性がある。

1002年に、サクソン人の王エゼルレッド無策王はイングランドにいるデーン人(ヴァイキング)の虐殺を命じた。
デーン人が王の暗殺を企てているという話を聞いたことがきっかけである。
エゼルレッド無策王
放射性炭素年代測定では遺体が960年から1020年のものであるという。
この年代は聖ブライスの虐殺と遺体を結びつける根拠となっている。

発掘を指揮した考古学者Sean Wallis氏は「我々はいくつかの骨で炭化している痕跡を発見したが、周囲の土には火を受けた跡がなかった」と述べている。
「これは、遺体を埋める前に体を一部だけ焼いたという記録と一致している」

人骨の同位体分析では、これらの人々が魚介類を多く摂取していたことが分かっている。
ブリテン島の内陸部に住んでいた人々では通常考えられないことであり、このことは彼らがヴァイキング、またはその第2世代だったことを裏付けるさらなる証拠となっている。

同様に大量の人骨が埋められていた場所は、昨年行われたウェーマス・レリーフ・ロードの建設の際にも発見されている。
放射性炭素年代測定でも同様の時期に年代づけられており、若い男性のみで構成されていた。
このことは、当時のヴァイキングの虐殺が一地域にとどまらなかったことを示唆している。

Oxford Viking massacre revealed by skeleton find

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