2012/02/29

アイスマンの目は茶色、O型、乳製品がダメ DNA分析の結果

1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で発見された約5300年前の男性のミイラ、「アイスマン」のDNAの解析が行われた。
アイスマンの写真
エッツ渓谷で発見されたため、「エッツィ」とも呼ばれている。
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。

2012/02/28

メソポタミアの古代都市ウルの地で神殿跡を発見

イラクにある古代メソポタミアのシュメール人の都市、ウルで紀元前2500年の神殿が発見された。
これまでに、神殿の壁と同時代の墓が多数出土している。
現在のウルの風景
シュメール人の文明は現在のイラク南部を中心に栄え、ウルはその中でも極めて重要な都市であった。

2012/02/27

1500年前の聖書外典がトルコで見つかっていた バチカンは調査許可を要請?

バチカンが、トルコの警察によって発見された1500年前の福音書外典の調査許可を要請しているそうだ。
問題の福音書外典は警察による密輸撲滅活動で発見されたもので、トルコのアンカラ民族学博物館に渡されていた。
発見された問題の文書
この文書はアラム語で記されていた。
アラム語はイエス・キリストが話していたと考えらている言語。
なんと、この文書は4000万トルコ・リラ(2012年2月27日のレートでは約18億円)相当の値がつけられている。

ドイツのガスパイプライン施設で発見された黄金の財宝

ドイツのサイク(Syke)で、昨年ガスパイプラインの施設予定地を発掘したところ、謎の財宝が発見された。
発見された黄金の財宝
財宝は全部で1.8kgにおよぶ金製の装飾品である。
財宝は腕輪、指輪などがあり、2011年の4月にサイク近郊で発見されたもので、現在Lower Saxony’s State Conservation Officeに保管されている。
全部で117点あり、最も新しいものでは中期青銅器時代のもので、紀元前1000年と推測されている。

2012/02/24

ギリシア・クレタ島沖で沈没船が新たに4艘発見される

ギリシア・クレタ島のイラクレイオ湾の30km沖で、4艘の沈没船が発見された。
上空から見たクレタ島
沈没船の内2艘はローマ時代のもので、1艘には1世紀から2世紀のクレタ島のアンフォラ(貯蔵用の壺)が積まれており、もう1艘からは5~7世紀のアンフォラが発見された。
その他の2艘はビザンツ時代のアンフォラがあり、8~9世紀か、それ以降のものであるという。

2012/02/23

エジプト・アスワンで高官の木棺が発見される

エジプト・アスワンにあるクッベト・エル=ハワ(Qubbet el-Hawa)で高官のものとされる木棺が発見された。
クッベト・エル=ハワで発見された人型の木棺の写真 Credit: EuropaPress/A.J.
発見したのはスペイン・ハエン大学の調査隊であり、2008年からこの遺跡で調査を行っていた。
今年の1月に発掘を開始して以来、20体ものミイラを発見している。
発見した墓は紀元前1830年頃のものだという。

2012/02/22

古代アステカ神話を描いたレリーフが出土 メキシコシティー

メキシコシティーにある古代アステカの首都テノチティトランの大神殿の前で、戦の神ウィツィロポチトリの誕生など、アステカ神話を描いたレリーフを持つ石板が発見された。全部で23あり、約550年前のものだという。
テノチティトランの主神殿で発見されたレリーフの内の1つ。ヘビを表している。Credit: INAH
レリーフにはヘビ、捕虜、装飾品、戦士など古代メキシコ文化の神話の起源に関連する図像が描かれていた。
大神殿は古代メキシコ人の宗教生活において最も重要な中心地であり、現在のメキシコシティーのソカロ広場にあたる場所に位置していた。

2012/02/21

続報:クフ王の「第2の太陽の船」木材取り上げ開始 エジプト・ギザ

昨日記事を配信したエジプト・ギザにおける太陽の船復元プロジェクト第2期の開始について、各所で報道されている。

古代エジプト王の船 発掘開始(NHKニュース)

クフ王副葬品、部材採取を開始 吉村作治らのチーム(47News)


第2の太陽の船、木片の引き上げに成功(TBS News i)

クフ王の「第2の太陽の船」が納められた竪坑から木材の一部が取り上げられた。
2015年頃を目標に、木造船の復元を行い、公開する予定とのこと。
第1の太陽の船の尾部

2012/02/20

エジプト・クフ王の「第2の太陽の船」プロジェクト第2期開始 早稲田隊も参加

エジプト・ギザで20日に行われる国際記者会見で、エジプト考古省大臣Mohamed Ibrahim氏によってクフ王の「第2の太陽の船」プロジェクトの第2期を開始するという声明が出される模様だ。Ahram Onlineが2月16日に報じた。
このプロジェクトは、早稲田大学の調査隊と合同で行われている。
写真はクフ王の第1の太陽の船
調査チームは20日に船の木材サンプルの取り上げを行う。
サンプルの分析の結果から、船の復元に向けた詳細なプランを練り上げる予定だ。

2012/02/17

卑弥呼の後継者「壱与」の墓の相似形? 京都府元稲荷古墳

京都府向日市の元稲荷古墳が、邪馬台国の女王・卑弥呼の後継者、壱与(いよ)の墓説がある奈良県天理市の西殿塚古墳の相似形であることが分かり、向日市埋蔵文化センターが 15日に報じた。
元稲荷古墳の航空写真 Credit: 京都府向日市
同センターによると、「相似形で造営するのは、大和の大王家と密接でなければ技術的に無理。被葬者が地域の有力者だったことが裏付けられる」とのことだ。

2012/02/15

古代エジプトの聖地アビドスで動物のミイラを大量に発見

古代エジプトの王朝を通じて「聖地」とされていたアビドスで83体もの動物のミイラが発見された。
その他にも、王の彫像などが出土している。
アビドスの風景(ウンム・エル=カアブ)

これらの発見は、カナダ・トロント大学のMary-Ann Pouls Wegner教授が率いる調査隊によるものである。
教授らはアビドスで倉庫と推測されている建造物の発掘を行っていた。
建造物の壁は厚さが2mもあり、そのデザインから宗教活動に関連していたと考えられている。
わずかに残存していた碑文には、セティ1世の名前が残っていた。
セティ1世は新王国時代第19王朝の2代目のファラオであり、紀元前1300年頃にエジプトを支配していた。

2012/02/13

幻の王国「Tuwana」の大遺跡を発見 トルコ

トルコ、カッパドキアの南部にあるキニク・ホユック(Kınık Höyük)で、文献でしか確認されていなったツワナ(Tuwana, Tyana)の広大な遺跡が発見された。
この発見は、イスタンブールで行われた記者会見で、イタリアパヴィア大学とニューヨーク大学の合同調査隊を率いているイタリア人考古学者、Lorenzo d'Alfonso氏によって発表された。
カッパドキア南部の風景(背後に見えるのはトロス山脈)
Credit: Department of Antiquities, Orientalistic Studies, Pavia University

遺跡は紀元前1千年紀の最初の時期にあたるという。
ツワナはこれまで象形文字やアッシリア帝国のいくつかの文献でしか言及されていなかった国であり、その存在が考古学的に確認されたのは初めてのことだ。

2012/02/10

聖書の預言者「ヨナ」の地で要塞跡を発見 イスラエル

イスラエル南部の都市アシュドッドにある丘で、聖書に登場する預言者ヨナの時代の要塞址が発見された。
この丘は「ヨナの丘」と呼ばれており、預言者ヨナが埋葬された場所であると伝えられている。
ヨナの丘の遺構 Credit: Israel Antiquities Authority
発見されたのは幅1m以上の巨大な壁であり、紀元前8世紀後期から前7世紀初頭に年代づけられるという。

2012/02/08

イースター島の人々はコロンブス以前にアメリカ大陸に来ていた?

アジアから移住してきた太平洋の島々の人々と、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った先住民の人々。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
イースター島のモアイ像
オスロ大学の免疫学者Erik Thorsby氏は1971年からイースター島に住む人々を対象に、アメリカ先住民がポリネシアに到達していた証拠があるかどうかを調査していた。
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。

2012/02/06

地下鉄工事で発見された膨大な遺跡の数々 ギリシア・テッサロニキ

ギリシア、テッサロニキの地下鉄工事で、2000年以上の期間に渡る膨大な量の遺構と遺跡が発見されている。
発掘現場の一部 Credit: Greek Reporter
内容は金製品からベンチ、日々の生活に使われていた遺物、教会の遺構など様々だ。
この地域は紀元前4世紀にアレクサンドロス大王によって創建されて以来、現在にいたるまでコンスタントに居住が行われており、多種多様な文化、時代による歴史の「モザイク」が掘りだされたのである。

2012/02/03

ミクロネシアの人々はどこからやってきたのか? テニアン島の調査

太平洋、ミクロネシアの人々はいったいどこからやってきたのか?
北マリアナ諸島にあるテニアン島で、手掛かりを求めて調査をしている人々がいる。
テニアン島は第一次世界大戦後に日本の統治領となり、太平洋戦争の際にはアメリカ軍が占領し、日本の本土空襲の起点となった。広島、長崎への原爆投下を行ったB29も、ここから発進しており、日本にとっては縁の深い島でもある。
タガ遺跡の風景 看板は日本語でも書かれている。