2012/02/17

卑弥呼の後継者「壱与」の墓の相似形? 京都府元稲荷古墳

京都府向日市の元稲荷古墳が、邪馬台国の女王・卑弥呼の後継者、壱与(いよ)の墓説がある奈良県天理市の西殿塚古墳の相似形であることが分かり、向日市埋蔵文化センターが 15日に報じた。
元稲荷古墳の航空写真 Credit: 京都府向日市
同センターによると、「相似形で造営するのは、大和の大王家と密接でなければ技術的に無理。被葬者が地域の有力者だったことが裏付けられる」とのことだ。
西殿塚古墳(前方後円墳、奈良県天理市)
元稲荷古墳は全長92メートルであり、これまでは前方「後方墳」とされていた古墳時代前期の古墳。
前方後円墳は上から見ると○に末広がりの四角形がつながった鍵穴状の形をしているが、前方「後方墳」の場合はその○の部分が四角形になっている(1枚目の写真参照)。

2011年12月より前方部付近の130平方メートルの発掘を行っており、前方部が西殿塚古墳のものと酷似していることが判明したのである。

奈良県天理市の西殿塚古墳は全長約230メートルの前方後円墳であり、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓と考えられている奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳と同様の吉備様式の特殊器台が後円部に並び、埴輪や墳丘の形態等からも箸墓古墳に続く時期の大王墓であるとして、卑弥呼の後継者、壱与(いよ)の墓なのでは、という説があった。
しかし、確定はしておらず、崇神天皇陵であるという説もある。
(宮内庁では、延喜式で山辺郡にあったとされる手白香皇女衾田陵の位置にあたるため、手白香皇女衾田陵とされている。)

元稲荷古墳は、西殿塚古墳の約2.5分の1の大きさで、形状が同じ、ということになる。
西殿塚古墳と酷似する古墳は、大阪府柏原市の玉手山古墳群でも発見されている。

さらに、前方部と後方(円)部の長さの比率が、卑弥呼の墓とされる箸墓古墳と同じだったという。

古墳の墳丘長や後円の径、墳丘の段ごとの高さなどは一定の数値の倍数になっていることが指摘されており、共通する尺度(ものさし)があったと考えられている。
この尺度から古墳の年代を推測する研究もあり、古墳の正確な測量が重要性を増している。



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