2012/03/29

古代ギリシアの医学の神アスクレピオスの聖域を発見

ギリシア中央部の高速道路建設に伴う発掘調査で、古代ギリシアの医学の神、アスクレピオスの聖域が発見された。
遺跡はアテネから北へ200km、古代の港街ダフノウンタ(Dafnounta、現在のラミア市付近)の近郊に位置している。
アスクレピオスの像(ナポリ国立考古学博物館所蔵)
紀元前5世紀に年代づけられるもので、アスクレピオスの祭祀に関わる遺跡では最古級のものであり、これまでギリシアで発見されたものの中では最も保存状態が良いそうだ。平面の規模は30m×15mある。

2012/03/28

3万枚以上のローマ時代の銀貨を発見 イギリス・バース

イギリス・バース市にあるローマ時代の浴場の遺跡から、30000枚以上の銀貨が発見された。
銀貨は紀元後270年のものであり、これまでイギリスで発見された埋蔵硬貨の中でも5番目に多い。
発見された銀貨[Credit: BBC]
銀貨はまとめられ、大英博物館に移送されて保存処置を受けることになる。

読売新聞の記事:日本最古の食用植物を発見

宮崎県都城市山之口町の王子山遺跡から、縄文時代草創期の炭化したネギやドングリと、ツルマメの痕が残る土器が出土したと、都城市の教育委員会が報じた。国内最古の食用植物と見られている。

2012/03/26

第2次大戦で消えた北京原人の骨を求めて

中国・北京の近くにある周口店で、1929年に中国の考古学者が頭蓋骨を含む40体の骨を発見した。
骨はホモ・エレクトスのものであることがわかり、「北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)」と呼ばれるようになった。
北京原人の頭蓋骨
近年の研究では77万年前のものと推定されており、これまでに発見された原人の化石群の中で最も多い資料となっている。
現在この周口店は世界遺産にも指定されている。
この北京原人の骨は、第2次世界大戦の時に消失してしまった。

2012/03/24

最新の研究成果で浮かび上がってきた古代ケルト人像

近年のドイツにおける調査の成果によって、古代のケルト人の姿がより鮮明に浮かび上がってきた。

ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の人類学教授Bettina Arnold氏は10年以上に渡ってドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州にあるホイネブルク丘上集落の発掘を行ってきた。
ここにある2600年前の2基のケルト人墳墓から、装飾品や酒器を含む遺物が発見された。
墓から発見された杯やその他の輸入品から、ヨーロッパ中央部のケルト人は地中海岸の人々と交易を行っていたことが分かってきた。

2012/03/23

万里の長城の続き?をモンゴル南部で発見

万里の長城の一部?がモンゴルで発見された。
場所はモンゴル南部、ゴビ砂漠の奥地にあたり、泥と低木で造られていた。
長さは100kmに渡り、高さは2.75メートル、チンギス・ハーンとその息子オゴデイが築いた「チンギス・ハーンの壁」に連なるという。
しかし、年代測定の結果はチンギス・ハーン以前のものであることを示しており、万里の長城の未発見部分ではないかとする説が持ち上がっている。
既存の長城の位置を示した図

2012/03/21

モンスーンの変化がインドの文明の盛衰を左右していた

インド・モンスーンは南西方向の季節風で、6月になるとインド南西部から強まり始め、次第に北東へ拡がっていく。これに伴って雨季が始まり、9月まで続く。
インドのモンスーンはこの2、3000年で、植物が繁茂しやすい湿潤で安定的なものから、乾燥期がより長く続くものへと変化していることが、ウッズホール海洋研究所で進められている研究の結果、明らかとなった。この気候の変化が、インドにおける古代文明の盛衰を左右していた可能性があるという。
モンスーンによる厚い雲(インド南部のナーガルコイル)
インド亜大陸(インド半島)はサハラ砂漠と同じ緯度にあるにも関わらず、10億以上の人々の生活を維持している。
もしモンスーンがなければ、インド亜大陸のほとんどの地域が乾燥し、人が住むことはできなかっただろう。
モンスーンの状況を予測することは、インドの人々の生活や経済にとって重要であるが、そのためには過去のデータを元にモデルを作成していかなくてはならない。
しかし、過去のモンスーンについてはわかっていないことも多い。

「ツタンカーメン展」が大阪で開催中

「ツタンカーメン展」が大阪で開催されている。
この展覧会は世界各都市を巡回しており、全米、ロンドン、メルボルンで1000万人以上を記録した。
ツタンカーメン王墓から発掘された副葬品約50点など、日本未公開の展示品を含むエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵の122点が展示される。

2012/03/18

「インカ帝国展」が東京・上野の国立科学博物館で開催中

マチュピチュが再発見されてから100年経った今年、東京・上野の国立科学博物館で「インカ帝国展」が開催されている。
3月10日(土)に始まり、6月24日(日)まで行われる。
世界遺産・マチュピチュ
考古遺物およそ160点を展示するほか、マチュピチュ遺跡を再現した3D映像の上映が行われる。
開館時間は9時~17時。入場料は、一般・大学生=1,400円、小・中・高校生=500円。

2012/03/17

産経ニュースの記事:貞観地震前後の関東で起きた大地震

平安時代の貞観11年(西暦869年)5月26日に起きた貞観地震は陸奥国東方沖の海底を震源域として発生した巨大地震であり、津波による被害も甚大であった。マグニチュードは8.3以上であったと推測されており、2011年3月11日に起きた東日本大震災との類似が指摘されていた。

この地震の前後に、関東地方で大地震があった記録が残っていることが、MSN産経ニュースに掲載されていた。
【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】

2012/03/16

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 ついに発見か?

イタリアのヴェッキオ宮殿(フィレンツェ政庁舎)にある壁画の裏に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「幻の壁画」が隠されている可能性が確認された。
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間」にはジョルジョ・ヴァザーリの壁画「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」があり、その裏にダ・ヴィンチの「アンギアリの戦い」が隠されているのでは、という話は以前からもあり、実在の科学的解明に関する記事を、本紙でも以前に取り上げていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 実在の科学的解明

壁画の裏に高性能カメラを通して調査した結果、実在する証拠を発見したという。

中国で謎の人類の骨を発見 現生人類と共存していた可能性

中国南部で未知の人類の化石が発見された。
平たい顔、幅広の鼻、おとがい(下アゴ)の小さい突き出たアゴ、大きな臼歯、丸い頭蓋、飛び出た眉弓(目の上の骨の隆起)、分厚い頭蓋骨という特徴を備えていた。
中国の馬鹿洞から発見された頭蓋骨 Credit: Darren Curnoe
放射性炭素年代測定の結果では、なんと、1万4500~1万1500年前という値が出ており、比較的最近に生存していたことがわかった。
この年代であれば、現生人類と共存していたことになる。

エジプトで盗掘者が生き埋めになる 10人が死亡

エジプト、ルクソールの北部にある村で、盗掘者が生き埋めになり、10人が死亡した。

レスキュー隊が遺体の救助を行った。
またこの事故で2名が怪我をしたという。

2012/03/12

氷河期にヨーロッパ人が大西洋を渡っていたという新説

最初にアメリカ大陸へ渡ったのはアジア系の人々であり、彼らがいわゆるネイティブ・アメリカンの祖となったというのが通説だ。
しかし、アジア人よりも1万年も前に、ヨーロッパに起源を持つ人々が北大西洋を渡ってアメリカ大陸に到達していたという新説が発表された。
氷河期の北半球 灰色になっているのが氷河期の最盛期に氷に覆われていたと考えられる範囲

2012/03/09

セントヘレナ島に埋められた奴隷達 大西洋奴隷貿易の負の歴史を語る

イギリス・ブリストル大学の考古学者が、大西洋の離島セント・ヘレナで大量の奴隷の墓所を発見した。
セントヘレナ島の衛星写真
島の新空港建設に伴う調査で見つかったもので、悪名高い大西洋奴隷貿易の負の歴史を物語るものだった。

2012/03/07

2000体以上の仏像を発見 中国・新疆ウイグル自治区

中国・新疆ウイグル自治区の叶城で、2000体以上の仏像が発見された。
仏像は全部で2895体確認されており、東魏および北斉時代(534~577年)のものだという。
当時、インドから伝来した仏教に対する人気が非常に高かったことをうかがわせる。

2012/03/05

謎のファラオの名が刻まれた門を発見 エジプト・カルナック神殿

セン・ナクト・エン・ラー
エジプト・ルクソールのカルナック神殿で、これまで実在が確認されていなかったファラオの名前がフランスの調査隊によって発見された。まだ謎の多いエジプト第17王朝のファラオのようだ。

当時は第2中間期と呼ばれ、エジプト北部は「ヒクソス」と呼ばれるアジアからの侵入者が占拠していた。
このヒクソスを打ち破り、古代エジプトを全盛期へと導く礎となったのが、この第17王朝の王達だ。

2012/03/02

ネアンデルタール人は海を渡っていた? 離島から石器が出土

ネアンデルタール人が10万年前に地中海を船で移動していたかもしれない。
もっとも、この説に懐疑的な人々は、単純に泳いでいただけと考えている。
ネアンデルタール人は30万年前から地中海周辺に住んでいたと考えられている。
彼らが使用していたムステリアンと呼ばれるタイプの石器が、ギリシア本土だけでなく、レフカダ島、ケファロニア島、ザキントス島でも発見されている。
これは2通りに解釈ができる。1つはこれらの島が昔は地続きで簡単に行き来ができたか、もう1つは彼らが何とかして海を渡っていたかである。

2012/03/01

「バグダッドの雪」 古文書から古代の気候を復元する

アラブの古文書の天候に関する記述から、古代の気象を復元する研究が行われている。
写真はアッバース朝の文書
イスラムの黄金時代である紀元後816~1009年のイラクの学者や歴史家による記述、日記には、異常な気象パターンの解明につながる情報が残されているという。
過去の気象の復元は現代の天候との比較や、気候変動の解明に役立つ。
自然界には、木や氷床コア、サンゴ礁などが過去の気象に関する情報源となるが、人間の観察による情報は、史料に限られている。