2012/03/21

モンスーンの変化がインドの文明の盛衰を左右していた

インド・モンスーンは南西方向の季節風で、6月になるとインド南西部から強まり始め、次第に北東へ拡がっていく。これに伴って雨季が始まり、9月まで続く。
インドのモンスーンはこの2、3000年で、植物が繁茂しやすい湿潤で安定的なものから、乾燥期がより長く続くものへと変化していることが、ウッズホール海洋研究所で進められている研究の結果、明らかとなった。この気候の変化が、インドにおける古代文明の盛衰を左右していた可能性があるという。
モンスーンによる厚い雲(インド南部のナーガルコイル)
インド亜大陸(インド半島)はサハラ砂漠と同じ緯度にあるにも関わらず、10億以上の人々の生活を維持している。
もしモンスーンがなければ、インド亜大陸のほとんどの地域が乾燥し、人が住むことはできなかっただろう。
モンスーンの状況を予測することは、インドの人々の生活や経済にとって重要であるが、そのためには過去のデータを元にモデルを作成していかなくてはならない。
しかし、過去のモンスーンについてはわかっていないことも多い。

インド中央部にある地域はモンスーンの変化に対して敏感であり、この地域の研究がモンスーンを理解するための1つの鍵となる。
問題は、長期間にわたる気候の記録がないことだ。

ウッズホール海洋研究所の地理学者Liviu Giosan氏と地球化学者のTim Eglinton氏は、2006年に河川で採取された土壌コアによって、ここ1万年のインド亜大陸中央部の気候を調べることに成功した。

土壌コアには微小の木、草、灌木や、海洋からくるプランクトンの化石などが含まれていた。
Giosan氏によれば、葉のろう状物質の分析から、気候の変化を読み取ることができるという。
1万年前から4500年前の間、川は湿潤な環境の植物が生息する地域を流れていたことがわかった。
段階的な変化は4000年前頃に訪れ、1700年前以降に植生が乾燥に適した植生へと変化している。

プランクトンの化石にも、乾燥化傾向が示されていた。
また、年輪や洞窟の石筍(鍾乳洞の床にできた石灰質の石)にも同様の乾燥化が記録されているという。

4000年前の乾燥化の時期は、インド亜大陸において農耕が拡大し、定住生活が始まる時期と一致する、とロンドン大学の考古学者Dorian Fuller氏は述べている。
乾燥に強い雑穀、土壌を回復させる豆類の栽培するなど、乾燥地に適応した食料生産の形態はこの地域の文化的伝統である。
この100年で、水と化学薬品を用いる集約的な現代の農業にシフトしてしまい、こうした伝統的な方法は失われてしまった。

4000年前以降の乾燥化は、インド亜大陸の初期文明に変化をもたらした。
インダス川流域のハラッパー文化は厳しくなる環境に対応できず、少しずつ崩壊していった。
一方、インド中央部と南部では乾燥化が進むにつれて熱帯雨林が著しく減少し、人々は定住化するようになり、農耕の比重が大きくなった。
1700年前以降、旱魃が長く続くようになると、雨水を貯蔵するための施設がインド半島で急速に広まっていった。

モンスーンの変化はインドの文明に大きな影響を受けてきたことがわかってきた。
今後もそれは続くのだろう。

Study Links Past Changes in Monsoon to Major Shifts in Indian Civilizations


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