2012/03/23

万里の長城の続き?をモンゴル南部で発見

万里の長城の一部?がモンゴルで発見された。
場所はモンゴル南部、ゴビ砂漠の奥地にあたり、泥と低木で造られていた。
長さは100kmに渡り、高さは2.75メートル、チンギス・ハーンとその息子オゴデイが築いた「チンギス・ハーンの壁」に連なるという。
しかし、年代測定の結果はチンギス・ハーン以前のものであることを示しており、万里の長城の未発見部分ではないかとする説が持ち上がっている。
既存の長城の位置を示した図

この記事は「ナショナル ジオグラフィック」誌中国版3月号に掲載された。

古代モンゴルの文献によると、「チンギス・ハーンの壁」は息子のオゴデイ(第2代皇帝)が野生のガゼルを領地内に留めるために柵として造らせたという。だが、今回の壁がある地域には、ガゼルの大規模な群れはいない。

一方、中国の研究者の間では、漢王朝(紀元前206~紀元後220年)が紀元前115年頃に建てたと考えられていた。

しかし、壁から部分的に露出していた木や縄の遺物を取り出して放射性炭素年代測定を試みた結果、紀元後1040~1160年という値が出た。
年代から推測すると、壁を建設したか、もしくは漢王朝の古い壁を再建したのは西夏王朝(1038年~1227年)に相当するようだ。

中国北西部の西夏王朝が長城建設に関わった証拠はないが、理にかなう点もある。西夏王朝時代、モンゴル民族は勢力を拡大し、南方に進出していた。

万里の長城は主に北の異民族の侵入を防ぐ目的で作られたもので、秦の始皇帝(紀元前259年~前210年)が過去に作られていた長城を繋げて大長城とした。
当時は粘土質の土を固めて築いた壁であり、馬や人が簡単に乗り越えられない程度のものであり、多くの区間では幅3~5m、高さは2m程度だったと言われている。その東端は朝鮮半島にまで及んだ。
現存し、世界遺産にも認定されている長城の大部分は、明代(1368年~1644年)に作られたもので、比較的新しい。

"Lost" Great Wall of China Segment Found?


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