2011/08/10

スーダンの古代都市メロエで最古の建造物を発見 初期の宮殿か

世界遺産となったスーダンの古代都市メロエで、建造物の遺構が発見された。
発見された構造物は一部しか明らかになっていないが、おそらく古代の王宮と思われるもので、後世の王宮の下から発見された。
この構造物は、これまでにメロエで発見されている建造物の中でも古い段階のものだという。
CREDIT: Royal Ontario Museum

メロエは2000年間にわたってナイル川流域に栄えたクシュ王国の首都であった。
クシュ王国は紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて栄え、一時はエジプトを含め、ナイル川流域の地中海沿岸部からアフリカ中央部にかけて支配した強大な国だった。
クシュ王国の王は古代エジプト第25王朝のファラオとして君臨し、紀元前671年にアッシリアのエサルハドン王によって追い出されるまで、約1世紀にわたってエジプトを支配した。
メロエの人々はピラミッドを築いており、メロエ文字と呼ばれる、現在でも完全には解読されていない文字を用いていた。

スーダン中央部には、興味深い問題がある、と調査主任のカナダ・トロント王立オンタリオ博物館の学芸員Krzysztof Grzymski氏は語っている。

「紀元前3000年もしくは2500年ごろに、先史文化があったことはわかっている。しかしその後は紀元前800年のメロエ文化が突如として出現するまで、何も痕跡が見られない」 Grzymski氏は述べている。

Grzymski氏らは、クシュ王国の起源を探し求めている。
発見されたより古い時代の建築物を調査することで、空白の期間を埋めることができるかもしれないと期待を寄せている。

建造物はまだほんの一部しか出土していないが、放射性炭素年代測定では紀元前900年頃という値が出ている。
日乾煉瓦による壁体、土器、動物骨の集積がこれまでに発見されており、動物骨は主にウシで構成されていた。

Grzymski氏は、この時代の人々が半遊牧の農耕民であり、ウシや動物の畜産物に多くを依拠していた人々だったのではないかと推測している。

建造物が何に用いられいていたかは現在の段階で言うことは難しいが、Grzymski氏は初期の宮殿か、行政の中心地であったと考えている。
「最初期のメロエは、おそらく、何らかの地域的な部族集団、もしくは王国の首都だった」とGrzymski氏は述べえている。

第一次世界大戦の前夜の時期に、イギリスの考古学者 John Garstangによってメロエが発見され、宮殿や神殿が所狭しと並んでいることが確認された。Garstangはメロエを「王都」と呼んでいた。
John Garstang
Garstangの発見の多くは出版されなかったため、この20年にわたって考古学者はGarstangの残したノートを調べ、出版し、メロエの起源に関する鍵を見つけようと試みてきた。

「後にメロエの王都が築かれる場所をGarstangが発掘している際に、少なくとも紀元前7世紀にさかのぼる初期のアメン神殿と思われる建築遺構が発見されていた」とイギリスのレスター大学のDavid Edwardsが、彼の著書「The Nubian Past: An Archaeology of Sudan(ヌビアの過去:スーダンの考古学)」(2004年)の中で述べている。

アメン神は古代エジプトの神であり、メロエの人々も崇敬していた。
もしその神殿が存在するとすれば、メロエで一番古い神殿ということになり、この文明を築いた人々の信仰を知る手掛かりとなる。
Grzymski氏のチームは磁気探査によって構造物の続きを発見しようと試みた。
しかしこの試みは失敗に終わったため、2012年には大規模な発掘調査を実施する計画だという。

Remains of Ancient Palace Discovered


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