2011/10/11

アステカの祭壇を発見 付近に王墓の可能性 メキシコ

メキシコシティーのテンプロ・マヨール遺跡で、蛇の頭の彫刻が刻まれたアステカ文明の祭壇が発見された。アステカ文明の皇帝の墓が付近に存在する可能性もある。
アステカ文明の支配者の墓はまだ場所が特定されておらず、研究者らはテンプロ・マヨール遺跡周辺で5年に渡って探し続けていた。

テンプロ・マヨール遺跡はアステカ帝国の首都テノチティトランの中心部であり、2つの巨大なピラミッドと多数の構造物が発見されている。

メキシコ国立歴史・人類学研究所によると、石製の祭壇は直径15mほどで、1469年頃に作られたと考えられている。
遺跡はメキシコシティーのダウンタウンに位置しており、街はスペインの征服者によって、テノチティトランの上に建設された。

文書記録によると、テンプロ・マヨール遺跡でアステカ帝国の支配者は死後火葬にされたと伝えられており、火葬が行われた場所は発見された祭壇のような構造物の上だったそうだ。

記録はスペインによる1521年の征服時に同行していたローマ・カトリックの僧侶が残したもので「記録を裏付ける考古学的な証拠を発見した」と考古学者のRaul Barrera氏は述べている。

Barrera氏によると、祭壇は少なくとも19の蛇の頭が刻まれており、蛇は約50cmの長さがある。
記録によれば、この祭壇は別の祭儀でも用いられていたようだ。
アステカの神官が紙でできた蛇とともに付近のピラミッドから降りてきて、蛇を祭壇の上で燃やしていたという。
また、記録では全部で5つの祭壇が神殿域にあったことが示されている。
1つは数年前に発見されたが、その祭壇は儀式上重要だったピラミッドのふもととは離れた場所で出土していた。
今回の発見は、まさにピラミッドのふもとに当たる。

1997年には今回の発見があった場所のすぐ近くで地中レーダーによる探査が実施され、地下に部屋があることが発見された。
当時は、コロンブスがアメリカ大陸に到着したときにアステカを支配していた皇帝アウィツォトルの墓と推測されていた。
その後の発掘によって、地下への階段が見つかり、貝や動物の骨、土器などの祭祀用の供物が発見されたが、墓ではないことが分かった。

「今回の祭壇の発見はアステカ文明の考古学にとって極めて重要なもの」とアリゾナ州立大学のMichael Smith氏は語っている。
「考古学者は少しずつ、アステカの王墓の発見に近づいている」

Researchers find Aztec temple platform



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