2011/10/07

トルコ・「ガリポリの戦い」戦場跡の調査から見える両陣営の様子

 オーストラリア、ニュージーランド、トルコの考古学者、歴史学者などによる研究チームによって、第一次世界大戦にトルコで行われた「ガリポリの戦い」の戦場跡の調査が行われ、100以上の遺物が発見された。
ガリポリの戦いを描いた絵
ガリポリの戦いは第一次世界大戦中の1915年4月~1916年1月にトルコのガリポリ半島で起きた戦い。
主に大英帝国とフランス連合軍が、オスマン帝国の首都コンスタンチノープルを奪還してロシアへの海路を確保しようとしたもの。
英仏軍は世界で最初となる大規模な上陸作戦を展開したが失敗し、双方に多数の戦死者を出した。
発見された遺物は、銃弾によって穴の開いた水筒、薬箱の破片、食品の缶詰、使用済みの砲弾、ガラスの破片、榴散弾、有刺鉄線の破片などがあった。
メルボルン大学教授のAntonio Sagona氏は、今回の発見から、前線における連合国側とオスマン・トルコ帝国側の状況に関する、興味深い仮説が浮かび上がってきたと述べている。
「トルコ側の食糧供給源は連合国側よりもずっと前線に近いことから、より新鮮な食事を得ることができた。連合国側では加工食品の入れ物が一般的であり、トルコ側はそうではなかった」
「いくつかの場所では、トルコ軍の兵士は煉瓦や陶器の屋根のタイルなど在地のものを塹壕やトンネルの補強に使用していたが、連合国側には煉瓦やタイルは発見されなかった」

オーストラリア退役軍人庁のWarren Snowdon氏によると、調査によって前線の塹壕の複雑さが明らかになっており、極めて入り組んでいることから現代の技術をもってしても塹壕の地図を作ることは容易ではないという。

ガリポリの戦場跡は歴史的に重要な遺跡であるが、この遺跡に関する我々の知識は今のところ地図と文字記録に基づいている。現代の考古学の手法による詳細な調査は行われてこなかった」とSnowdon氏は語っている。

Exciting finds at Gallipoli battlefields



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