2011/07/29

聖書の古代都市ガトで祭壇が発見される


聖書に登場するペリシテ人の都市ガトがあった場所と考えられている、イスラエルのテル・アル=サフィ遺跡で、紀元前9世紀の石製の祭壇が発見された。
同時代のユダヤ教徒の祭壇を思わせるもので、何世紀も争いあっていたペリシテ人とユダヤ人の間に文化的な共通性があったことを示している。
祭壇発掘の様子

祭壇は高さ約1m、幅約0.5m、奥行0.5m。
バル・イラン大学のAren Maeir博士の調査チームによって発見された。
最も特徴的な部分は正面にある2本の角と中央にある蛇腹である。
形状は聖書にあるユダヤ教の祭壇に関する記述を連想させるものだが、一番顕著な違いは、ユダヤ人の神殿にあった祭壇は角が4本とされており、ガトのものは2本である点だ。

Maeir氏は、聖書に敵対する存在として登場する2つの国の間にみられる文化的類似性を示すものであると述べている。
「すべての集団は、他とは違うものとして自分たちを規定するが、そこには多くの交流があるのだ。サムソンのことをちょっと考えてほしい」と彼は語る。
サムソンは古代イスラエルの士師の一人で、怪力の持ち主として有名な人物として旧約聖書に登場する。
「サムソンの物語が真実であるかどうかは問題ではない。彼がペリシテ人を殺し、ペリシテ人が彼を殺したことも事実だが、一方で、彼はペリシテ人の女性と結婚しており、ペリシテ人の結婚式にも参列しているのだ」
「祭壇は小さいが、当時のペリシテ人とイスラエル人の文化を明らかにする「窓」であり、とりわけ宗教儀式についての情報を与えてくれる。聖書の記述にこれほど関連するような遺物が発見されるのは、めったにあることではない」

Maeir氏はテル・アル=サフィ遺跡の発掘プロジェクトを15年間にわたって指揮しており、その調査対象は主にペリシテ人の遺跡がある層に向けられている。
ガトはペリシテ人の都市の中でも最も大きく、際立っており、Maeir氏はアラム人の王ハザエルによって紀元前830年に破壊されるまで、イスラエル全土の中でも最も大きな都市だったと考えている。
ガトの陥落は当時の地政学上重要な出来事だったといえる。
テル・アル=サフィ遺跡ではどこを掘っても破壊された痕跡があり、大量に土器の破片が含まれている層があるという。

Maeir氏によると、イスラエル南部におけるガトの陥落とペリシテ人の王国の弱体化はユダ王国の台頭につながり、紀元前8世紀から7世紀におけるユダ王国の黄金時代を導いた。

ガトの発掘に関する過去の記事
旧約聖書のペリシテ人の姿を解き明かす 古代都市ガトの発掘調査

元記事
3,000-year-old altar uncovered at Philistine site suggests cultural links to Jews

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