2012/12/19

ミイラの分析からラメセス3世暗殺事件の真相に迫る

ラメセス3世は古代エジプト新王国時代第20王朝のファラオで、治世は紀元前1186年から前1155年頃と言われている。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
ラメセス3世のミイラ

その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。

しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。

イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。

CTスキャンの結果、ラメセス3世の首には深く幅広の傷があり、おそらく鋭利な刃物で切られた痕跡であって、これが原因で死去していることが明らかになった。
なお、裁判の記録には、暗殺の際に短剣を準備していたという記述がある。

ラメセス3世の後宮における陰謀についての著書(The Harem Conspiracy: The Murder of Rameses III)がある、ペンシルヴァニア州立大学のSusan Redford氏は「傷の大きさと形状から、首を切ったのは新王国時代の様式の短剣だ」と述べている。

またもう1人の18~20歳の名前が不明な人物のミイラのDNAを調べた結果、息子であった可能性が指摘されている。
このミイラは、胸部が膨張し、首の皮膚に圧迫された痕があることから、絞殺されたと推測されている。
またこのミイラは一般的なミイラ化が行われていないだけでなく、ヤギの革で覆われていた。
古代エジプトのミイラ製作では、通常亜麻布が使用される。
通常とは異なる方法で埋葬が行われているのは、ミイラが罰として殺されたていた可能性を示している。
したがってこのミイラは、ティイの息子ペンタウェレトなのでは、とZink博士は述べている。

研究の成果から、暗殺計画は完遂されたと見る方が、妥当かもしれない。


Revisiting the harem conspiracy and death of Ramesses III: anthropological, forensic, radiological, and genetic study


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