2011/05/01

保存状態良好の古代ローマの船発見される イタリア・オスティア

ローマ帝国時代の港であったオスティアで、古代の船が発見された。
現在までに、11mにおよぶ船体の脇の部分が見つかっている。

港にはローマ帝国の最も大きい船団が配備され、帝国首都の物流の窓口であったが、今回の発見はその正確な位置に関する新たな情報になるという。

この場所は幹線道路の橋が再建される予定であり、いわゆる「救出考古学」による調査が実施されていた。

調査主任のPaola Germoni氏は、この種の調査が古代の遺跡の保存の必要性と公共の需要の両方を満たすものであることを強調している。

沈泥と河川の堆積作用が、かつてにぎやかだった港のあった地域を押し返してしまっていた。この場所はオスティア・アンティカと呼ばれる主要な考古学的遺跡であり、ポンペイを除いて最もよく残っている古代ローマ時代の町である。

ポンペイに比べると観光客ははるかに少ないが、熱狂的な愛好者によればポンペイと同じ興奮を与え、古代の生活を感じさせてくれるという。

オスティア・アンティカ

ローマとオスティア・アンティカの考古学的調査の最高責任者Anna Maria Moretti氏によれば、発見は非常に珍しいものとのこと。地表面から4mの深さでは、これまで建造物址と1つの構造物しか発見されておらず、船の発見は初だという。今のところ非常に大きな側面の部分が発見されているだけであり、船尾はまだ発見されていない。また、ロープや係留索などが出土している。

Moretti氏は「船体の復元は極めて慎重な作業になるだろう」と述べている。「我々は船を水で満たされた状態にしておくことで、木材の乾燥化を防いでる。残骸は高度に洗練された保存技術を用いて扱われるべきだろう」

いくつかの古代ローマ時代の船が、1950年代に行われた近傍のフィウミチーノ空港の建設時に発見されており、現在オスティア・アンティカの博物館に収蔵されている。

古代ローマのオスティアはティベル川の河口に位置しており、クラウディウス帝によって巨大な町が建設され、港を意味するポルトゥスという名前が与えられた。

続くトラヤヌス帝とハドリアヌス帝の時代には拡張され、皇帝の多くの大遠征のための基地となった。

またオスティアは帝都の物資の需要を満たすための、莫大な富、穀物やその他の供給物の集積地となっていた。

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