2011/05/15

「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく

モナ・リザ
レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた肖像画「モナ・リザ」のモデルであったといわれている女性の墓の発掘が、11日に開始された。

研究者らによれば、地中レーダーによって遺体を特定し、モデルの女性リサ・ゲラルディーニの本当の姿を復元して絵画と比較する予定である。

研究者チームのレーダー調査から、聖ウルスラ女修道会修道院の敷地の地下2mにゲラルディーニ時代の遺体があるということがわかった。

DNA分析の専門家らは遺体の分析を実施し、ゲラルディーニの子孫のDNAと比較を行う予定。

しかし、発掘については議論が巻き起こっており、彼女を安らかに眠らせておくべき、という意見や、冒涜だ、という意見もある。

ゲラルディーニ(1479~1542年)は、結婚後の名前リサ・デル・ジョコンドという名前でも知られており、フィレンツェの絹商人フランシスコの妻であった。

ジョルジョ・ヴァザーリという人物が芸術家の生涯を記した『画家・彫刻家・建築家列伝』(1550年)という書物の中でこの絵についてふれており、モデルがフランシスコ・デル・ジョコンドの妻であると書いてある。
ゲラルディーニはフランチェスコと1495年に結婚したことは記録に残っているが、それ以外はほとんど分かっていない。

その他、モデルについてはさまざまな異説があり、中にはダヴィンチ自身であるというものまである。
しかし、ドイツのハイデルベルク大学図書館は2008年1月14日、「モナ・リザ」のモデルがゲラルディーニであることを裏付ける文献が見つかったことを発表した。
1477年に印刷された古書の欄外に「レオナルドは今、リザ・デル・ジョコンドの肖像を描いている」という書き込みがあった。書き込みは1503年10月になされたもので、ダヴィンチがモナ・リザを描いていた時期と一致している。
ジョルジョ・ヴァザーリの記述が裏付けられることになったのである。

2011年になってから、モナ・リザのモデルがダヴィンチの弟子のサライであったという説が登場した。イタリアの文化財に関する委員会を率いるSilvano Vinceti氏らによる説で、モナ・リザを高解像度で複写し、精査することで小さな文字が書かれていることがわかったという。目の中にアルファベットのLとSの字あったと報告されており、Lはレオナルド、Sはサライを表しているとのこと。サライはダヴィンチの同性の愛人とされている。
しかしこの説に対しルーブル美術館は異を唱えている。美術館では過去に何度も実験室で可能なあらゆる検査が行われたが、文字や数字などは一切見つからなかったと断言している。


ゲラルディーニ自身の墓であることが分かった場合は、この墓は保存され、調査の成果はフィレンツエで展示される予定であるという。

続報

0 件のコメント:

コメントを投稿