2011/05/02

フィリピンで2隻の沈没船が発見される 財宝満載?

海底からの引き上げ作業や調査を行う会社、「Oceanic Research and Recovery Inc.(海洋調査・回収会社、略称:ORRV)」は、フィリピンで2つ沈没船を発見したと4月29日に報じた。

これまでの調査で少なくとも1つの船は、マニラからメキシコのアカプルコに向かうマニラ・ガレオン船であると考えられている。
もう1つの船は内海のマニラ・ガレオン船で、東洋の交易品を購入するための銀と金を積んでいたようである。
地元のガイドがこの会社のメンバーに、この場所で発見された1786年製(カルロス3世)の銀のコインを見せたという。

「「貿易風プロジェクト」の目的はマニラ・ガレオン船を発見することで、どうやら成功したようだ。船のバラスト(船を安定させるために船底に入れるおもり)の1つが調査によって船が沈没したと推測される地点で発見された。バラストの寸法も正しかった。バラストは長さ50m、幅が15mある。沈没した当時では引き上げることができない深さに沈んでいた」とORRVのCEO、 Scott Heimdal氏は語った。
スペインのガレオン船

船の構造の保存状態は驚異的だとHeimdal氏は述べている。
マニラ・ガレオン船が沈んだ記録通りの場所で、残骸が発見されている。付近の岩礁からは何百もの磁器の破片が発見されており、それが発見につながったという。
2つの船の残骸はきわめて大きい。
マニラ・ガレオン船はこれまでに作られた帆船の中でも最大級のもの。

「貿易風プロジェクト」はこれまでにおよそ4年間もの調査を行ってきた。
次の計画は数週間後にスタートする予定で、フィリピンの国立博物館とその他の政府機関と共同で行われる。

予定されている作業には、非破壊による残骸の調査が含まれている。
高精度の横からの形状スキャニング、全体の詳細な写真撮影と、測量ポイントの設定である。
これらのデータはORRVが全てのプロジェクトで使用している水中考古学用のGISプログラムの基礎データとして利用される。
これらのデータをベースにして、考古学者による沈没船の発掘調査が進められる。
これらの発掘に関するシステムの詳細はORRVのホームページ(英語)に掲載されている。


フィリピンは7000を超える島と13000平方マイルに及ぶ危険な岩礁と浅瀬で構成される群島である。
現在のマニラや島々にある他の多くの港は、数千年に渡って貿易船の目的地となっていた。

富を満載した沈没船は世界中で発見されているが、フィリピンは特種である。
この地域は何千年にも渡って、海洋貿易の中心となっており、船は金銀を満載して港に入り、精巧な磁器、象牙、ヒスイ、金で作られた美しい、エキゾチックな交易品の取引を行った。
主要な海洋国家の船は国の富を満載してフィリピンの海を航行していた。
フィリピンはまさに、文明の交差点だったのである。

メキシコのアカプルコからマニラに向かうスペインのガレオン船の積み荷は主にペルーとメキシコの鉱山で採掘された金塊と銀塊、コインであり、これらはマニラの市場で商品を購入するための対価となっていた。
その他のヨーロッパ諸国の船も似たようなものである。

マニラからアカプルコへ行く船は等しく高価は積み荷を持っているが、より多種多様でエキゾチックな内容になる。磁器、銀細工、ヒスイや象牙の交易品、真珠や貴石が入った箱などである。
ガレオン船はまた、ペンダント、イヤリング、ブレスレットや指輪などの宝石、宝石がちりばめられた剣の柄、敷物、扇、櫛、多くの種類の高価な香辛料や薬を積んでいた。
その他、白檀材の工芸品、金鈴、銅のボウル、それから信仰に関するもの、数珠や神像、聖遺物なども対象だった。
メキシコからは莫大な量の金塊と金細工が輸出された。
これらのガレオン船の価値は完全な積み荷のリストを作らない限り計算が難しいが、当時の記録を参照すると、近海の交易船よりははるかに高価だったことがわかっている。

プロジェクトでは文献による調査が行われ、1694年にアカプルコへ向かう途中、マニラ湾の南西のルバング島の近くで消息を絶ったマニラ・ガレオン船の積み荷の概要が明らかになった。
絹と香辛料に加え、197,000点の中国と日本の陶磁器、金製品が納められた箱が47、貴石が入れられた箱が12、真珠を入れた箱が2、「中国からの品」と書かれた箱が423あった。
マニラの税関の記録によると、上記の品は絹と香辛料を除き、総計7,694,742ペソという値段がついており、それに対する税が支払われている。これは、現在の価値に換算すると、5億ドルを上回る。

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