2011/05/05

2600年前のケルト人女性の墓 未盗掘の状態で発見・ドイツ

ドイツで2600年前に埋葬されたケルト人の墓が未盗掘の状態で発見された。

墓はそのままの状態で、バーデン・ヴュルテンベルク州の考古学関連施設の庭に移設された。
全体で80トンに及び、トラックで運ばれたという。

トラックが施設へ到着した後は、コンクリートによって覆われ、トラックから降ろされた後に、覆い屋が建てられた。
墓全体の移設を行うことで、コンピュータやX線分析など現代的な技術による分析を可能にすることができるという。

発掘者は墓の土坑の上にある足場でかがみ込み、骨や宝石についている土を少しずつはがしていった。

発見されたのは女性と子供、そしてその装飾品であった。

金と琥珀の宝石の量からみて、位の高い人物であり、王女と幼少の王子もしく幼少の王女の埋葬と推測されている。
これは初期のケルト人の間で貴族階級があったことを示している。この問題については考古学者の
ケルト人の宝飾品の例:トーク(腕輪)
間でもこれまで議論が行われてきた。

正確な年代
発掘にあたっているDr Dirk Krausse氏によれば、「木でつくられた埋葬室を持つ初期のケルト人の貴族の墓では、唯一の例」だという。

水分の多い土壌によって墓が良い状態で保存されており、例えば墓のオーク材の床がそのままの状態でのっていた。年輪による年代測定によってこのオーク材は2620年前に切り倒されたことがわかった。この墓の造営のために切り倒されたのだとすれば、この女性が死んだのは紀元前609年ということになる。

他の多くの墓とは違って、この墓は2600年間盗掘されずに残っていた。
したがって宝石もまだ残っていることになり、おそらくケルト様式の金や琥珀でできた美しいブローチも発見されるだろう。

ケルト人の中心地域
通常、ケルト人の中心的な居住地はヨーロッパの西の端、すなわちウェールズやスコットランド、アイルランド、フランスのブルターニュ地方と思われがちである。

しかし、Krausse氏は実際のケルト人の中心地はドナウ川の上流域であり、そこからケルト人は交易を行っていたと述べている。

ケルト人の美術や風習の期限は西南ドイツ、東部フランス、スイスにあり、そこからヨーロッパの各地に拡散していった。その後、北からの民族と南のローマ人による圧迫で、現在残っているように大陸の西側へ移動することになったとKrausse氏は言っている。

指輪やブローチに加えて、ケルト人の王女の歯も発見されている。さらに、この女性の服の一部や食物、その他の有機物なども出土しており、当時の生活を復元するための資料になる。

今後の研究の進展が楽しみである。

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