2011/05/06

エジプト・ファイユームの遺跡メディネット・マアディが観光客へオープン

メディネット・マアディ遺跡
考古省のザヒ・ハワス氏と在エジプトイタリア大使Claudio Pacificoは、エジプトのファイユームにおける「メディネット・マアディ振興プロジェクト(Madinet Madi Development Project)」の第2フェイズが終了し、ビジター・センター(観光客向けの施設)がオープンしたことを報じた。

このプロジェクトは、2005年に始まったエジプト考古庁による文化遺産の環境モニタリングと遺跡整備のサポート事業の一環である。イタリア外務省からは350万ユーロの助成があった。

ファイユーム地方はナイル川の支流が注ぎ込まれてできたカルーン湖の周辺地域。
肥沃な土壌が広がっており、古代エジプトの中王国時代(紀元前20世紀~前17世紀)には広大な農地へと開発が行われ、エジプトの中でも重要な地域へと発展した。中王国時代のファラオは、ファイユームにもピラミッドを造営している。

メディネット・マアディはファイユームでも重要な遺跡の1つで、中王国時代第12王朝のファラオ・アメンエムハト3世とアメンエムハト4世の治世に建設された。遺跡には中王国時代の神殿跡がある。神殿はコブラの頭を持つ女神レネヌテトとワニの頭を持つ神セベクに捧げられたもので、セベクはこの地域が信仰の中心であった。プトレマイオス朝時代(紀元前332年~前30年)には神殿は拡張され、町は発展した。


神殿の遺構
1978年以降、ピサ大学がメディネット・マアディで調査を行ってきた。
5~7世紀のコプト教(エジプトで発展したキリスト教の分派)の教会が10発見され、2頭のワニに捧げられたプトレマイオス朝の神殿が見つかっている。神殿には樽形の天井を持つ独特の構造物があり、ワニの卵の孵化に使用されたと考えられている。
またローマ期のディオクレティアヌス帝時代(284~305年)の要塞化された駐屯地も発見されている。
2004年には、イタリア外務省の援助により、古代ギリシア語で書かれた女神イシスへの4つの賛歌が刻まれた石製ブロックの復元が行われている。

プロジェクトではマアディにある遺構の保存と、遺跡をより観光客向けに整備することが目的とされていた。
今のところ、遺跡にたまっている砂の除去と遺構の復元が行われており、包括的な遺跡の調査と遺構のマッピング(位置記録)が実施された。そしてビジター・センターとエコ・ロッジの建設も行われた。

ザヒ・ハワス氏はエジプトと外国との共同プロジェクトの成功した例として、このプロジェクトを称賛している。

Madinet Madi now on the Egypt tourism map

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