2011/05/26

ラマの糞がインカ帝国を生み出した? 最新の研究成果

インカの失われた都市マチュ・ピチュ
エジプトはナイルの賜物といわれていたが、インカはラマの糞の賜物と言えるかもしれない。

ペルー・アンデスにあるインカ帝国のマチュ・ピチュは、6月にアメリカ人探検家ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)による「再発見」から100周年となる。
(ハイラム・ビンガムはあのインディアナ・ジョーンズのモデルになったと言われている)
マニュ・ピチュは1983年に世界遺産にも登録されている。

考古学の学術雑誌「Antiquity」に掲載された研究によると、ラマの糞がインカ帝国の発展の基盤となったという。
ラマ(リャマ)とは、哺乳類ウシ目(偶蹄目)ラクダ科の動物である。体高約1.2m、体重70~140kg。南アメリカのアンデス地方に多く住む。

著者のAlex Chepstow-Lusty氏によれば、インカ帝国の先祖が狩猟採集から農耕へ生業形態を変化させたのが2700年前のことであり、インカの人々はマチュ・ピチュのあるクスコ地域へ居住し、発展を遂げた。

Chepstow-Lusty氏はリマにあるフランス・アンデス学研究所(the French Institute of Andean Studies in Lima)に属している。氏によれば、農業の発達とトウモロコシの増産化が、社会の発達の鍵となったという。

「穀物が文明を生んだ」と氏は述べている。

Chepstow-Lusty氏は、低地に広がるジャングルとマチュ・ピチュの間にある、マルカッコチャ(Marcaccocha)と呼ばれる小さな湖の泥に含まれる有機物の堆積を長年分析してきた。

彼のチームは、最初のトウモロコシ花粉の出現が紀元前700年頃で、動物の糞をエサとするダニの急増と一致していたという。

農耕への大規模な移行は、土壌への栄養を追加することなしには不可能だったと彼らは結論づけている。
栄養は、大量の有機物の肥料によってもたらされてた。つまり、ラマの糞である。


ラマ
ラマは、ペルーのアンデス山脈で荷物の運搬や食肉、毛糸を利用するために、現在でも一般的に用いられている。

マルカッコチャ湖はジャングルと山を結ぶ交易路に位置しており、荷物を運搬するラマがたびたびここで停まり、水を飲み、排泄をしていたと考えられている。

Chepstow-Lusty氏によると、この糞が容易に収集できる肥料を提供していたという。現代でも地元の人々が近隣の農地でこれを利用しているそうだ。

狩猟採集から農耕へと移行してから1800年後、紀元後1100年には、一時期温暖な気候が長引いたことで文明により繁栄をもたらし、オライタイタンボやマチュ・ピチュなどの巨大な石造の都市を築き上げたのである。

1500年頃スペイン人のコンキスタドールによってインカ帝国は一掃され、絶えて久しい。
しかし、その祖先のケチュアの人々は、今でもラマの糞を肥料や調理の際の燃料として利用している。ケチュアの人々は2000年以上、変わらぬ生活を続けているのだ。

Inca success in Peruvian Andes 'thanks to llama dung'

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