2011/04/21

ガゼルを絶滅に導いた古代の壁 シリア、テル・クラン遺跡

中東の乾燥地で先史時代の狩猟採集民が、野生のガゼルの群れを追いこむ壁を築いて狩猟を行い、結果としてこの地域のガゼルの絶滅に追い込んだ可能性が報じられている。

捕殺されたガゼルの大量の骨が、シリア北西部、ハブール川流域のテル・クラン(Tell Kuran)遺跡から発見された。
ここでは1930年代から重要な考古学的発見が報告されるようになっており、6000年前の100体に及ぶガゼルの骨の層が最近発見された。



「発掘を行ってみると、この堆積は一度の短い時間にできたものであることが明らかだった。なぜなら、骨はきわめて密集しており、1つの薄い層から発見されたからだ」とイスラエル・ハイファ大学の研究者のGuy Bar-Oz氏は述べている。

群れの狩猟

Bar-Oz氏と、共同研究者のスミソニアン研究所のMelinda Zeder氏は、これらの骨がどのようにして密集して堆積するにいたったかを明らかにするために、骨の詳細な分析をおこなった。
骨は、長期間にわたって集積したときに見られるような風化が見られないことから、1つの群れ全体を捕殺した後に一度に集積した可能性が高い。
遺跡には長い壁状の遺構があり、堆積の位置と近いことから、カゼルはこれらの遺構のある場所で殺されたと考えられるのである。この遺構は、デザート・カイトと呼ばれている。

研究者は動物達がこのカイトに追い込まれたと推測している。
カイトは1000m(3000フィート以上)の長さがあった。
2、30人のハンターによって行われ、犬を利用していたかもしれない。
2つの壁は狭くなって、終端には円形の囲いがあり、そこで捕殺が行われた。

遺跡で発見されたガゼルは100体ほどで、年齢と雌雄の構成は通常の回遊性の群れと変わらない。
足の骨が大量にあり、足から皮を剥ぎ、解体されたことを意味している。
「動物たちはカイトに追い込まれ、跳びはね、怪我し、狩猟された」とBar-Oz氏は語る。「もし全ての群れが殺されたならば、結果としてこの地域での絶滅に至っただろう」

絶滅に至る狩猟
当時では、在地の文化は主に牧畜と農耕で生活しており、ガゼルの肉はこれらの食品を補足するものであったと推測されている。

しかしながら、この地域のいくつかのカイトで行われたこれまでの発掘調査では、大きな動物の墓所に関する証拠は得られなかった。

カイトでの捕殺はおそらく1年に1度だけで、ガゼルが南へ移動する夏の終わり頃に行われたのではないかとBar-Oz氏は推測している。
捕殺は儀式的な行為であって、宗教との結びつきがあった可能性も指摘されている。

「彼らは冷蔵庫を持っていない。肉は短期間で消費する必要があった」とBar-Oz氏。
「これが、宗教的な集合活動もしくは祭りと結びつけた理由だ。これらの活動の時期に、大量の肉が手に入り、人々の間で共有することができた」

より初期の狩猟民では、一度の狩猟で得られるガゼルは1、2頭であった。
このような大規模なガゼルの捕殺は、ガゼルの絶滅の始まりにつながっているかもしれない。
他の地域のガゼルは火器が狩猟で普及した19、20世紀になって消滅している。

テル・クランは1990年代初期に発見されたが、ガゼルの骨について記述されたのは最近のことである。


Ancient Herders' Walls Guided Gazelles to Mass Slaughter

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