2012/12/28
2012/12/19
ミイラの分析からラメセス3世暗殺事件の真相に迫る
ラメセス3世は古代エジプト新王国時代第20王朝のファラオで、治世は紀元前1186年から前1155年頃と言われている。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。
しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。
イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
ラメセス3世のミイラ |
その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。
しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。
イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。
2012/04/20
マルコ・ポーロはウソツキではなかった? 新たな見解
「東方見聞録」を書いたヴェネツィアの商人マルコ・ポーロは、実は中国まで来ていなかったという説があり、アルケオニュースでも以前に取り上げたことがある。
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
しかし、ドイツ・テュービンゲン大学のHans Ulrich Vogel教授が中国側にある資料を精査した結果、マルコ・ポーロは実際に中国を訪れていたことを改めて唱えた。
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
マルコ・ポーロの肖像 |
2012/04/18
タイタニック号の残骸に残る遺体
1912年にイギリス・サウスサンプトンからニューヨークへ向けて出発したタイタニック号が沈没して、100年になる。
100年を経た今、タイタニック号はユネスコによる水中文化遺産として認められるようになった。
タイタニック号の残骸がある場所には、まだ海底の泥の中に遺体が残っている可能性が指摘されている。
100年を経た今、タイタニック号はユネスコによる水中文化遺産として認められるようになった。
3600mの海底にある遺品の靴 Credit: AP Photo/Institute for Exploration, Center for Archaeological Oceanography/University of Rhode Island/NOAA Office of Ocean Exploration |
2012/04/06
2012/04/04
エジプトの「インディ・ジョーンズ」ザヒ・ハワス氏告発される
エジプトの「インディ・ジョーンズ」こと、ザヒ・ハワス氏(前考古省大臣)がアメリカ地理学協会(American Geographical Society)との間で1700万ドルに及ぶ不正取引があり、その資金を私的に利用した疑いで告発されたことを、エジプトの検察が報じた。
検察長官のAbdel Meguid Mahmoud氏は、ザヒ・ハワス前考古省大臣が公的な金を使用し、アメリカとオーストラリアで行われたツタンカーメンに関する展覧会のために考古遺物を不正に持ち出したとして糾弾した、とエジプトのアハラム・オンラインで報じられている。
ザヒ・ハワス氏とクフ王のピラミッド CREDIT:Ahram Online |
2012/04/03
2012/04/02
2012/03/29
2012/03/28
読売新聞の記事:日本最古の食用植物を発見
宮崎県都城市山之口町の王子山遺跡から、縄文時代草創期の炭化したネギやドングリと、ツルマメの痕が残る土器が出土したと、都城市の教育委員会が報じた。国内最古の食用植物と見られている。
2012/03/26
2012/03/24
2012/03/23
2012/03/21
モンスーンの変化がインドの文明の盛衰を左右していた
インド・モンスーンは南西方向の季節風で、6月になるとインド南西部から強まり始め、次第に北東へ拡がっていく。これに伴って雨季が始まり、9月まで続く。
インドのモンスーンはこの2、3000年で、植物が繁茂しやすい湿潤で安定的なものから、乾燥期がより長く続くものへと変化していることが、ウッズホール海洋研究所で進められている研究の結果、明らかとなった。この気候の変化が、インドにおける古代文明の盛衰を左右していた可能性があるという。
インド亜大陸(インド半島)はサハラ砂漠と同じ緯度にあるにも関わらず、10億以上の人々の生活を維持している。
もしモンスーンがなければ、インド亜大陸のほとんどの地域が乾燥し、人が住むことはできなかっただろう。
モンスーンの状況を予測することは、インドの人々の生活や経済にとって重要であるが、そのためには過去のデータを元にモデルを作成していかなくてはならない。
しかし、過去のモンスーンについてはわかっていないことも多い。
インドのモンスーンはこの2、3000年で、植物が繁茂しやすい湿潤で安定的なものから、乾燥期がより長く続くものへと変化していることが、ウッズホール海洋研究所で進められている研究の結果、明らかとなった。この気候の変化が、インドにおける古代文明の盛衰を左右していた可能性があるという。
モンスーンによる厚い雲(インド南部のナーガルコイル) |
もしモンスーンがなければ、インド亜大陸のほとんどの地域が乾燥し、人が住むことはできなかっただろう。
モンスーンの状況を予測することは、インドの人々の生活や経済にとって重要であるが、そのためには過去のデータを元にモデルを作成していかなくてはならない。
しかし、過去のモンスーンについてはわかっていないことも多い。
「ツタンカーメン展」が大阪で開催中
「ツタンカーメン展」が大阪で開催されている。
この展覧会は世界各都市を巡回しており、全米、ロンドン、メルボルンで1000万人以上を記録した。
ツタンカーメン王墓から発掘された副葬品約50点など、日本未公開の展示品を含むエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵の122点が展示される。
この展覧会は世界各都市を巡回しており、全米、ロンドン、メルボルンで1000万人以上を記録した。
ツタンカーメン王墓から発掘された副葬品約50点など、日本未公開の展示品を含むエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵の122点が展示される。
2012/03/18
2012/03/17
産経ニュースの記事:貞観地震前後の関東で起きた大地震
平安時代の貞観11年(西暦869年)5月26日に起きた貞観地震は陸奥国東方沖の海底を震源域として発生した巨大地震であり、津波による被害も甚大であった。マグニチュードは8.3以上であったと推測されており、2011年3月11日に起きた東日本大震災との類似が指摘されていた。
この地震の前後に、関東地方で大地震があった記録が残っていることが、MSN産経ニュースに掲載されていた。
【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】
この地震の前後に、関東地方で大地震があった記録が残っていることが、MSN産経ニュースに掲載されていた。
【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】
2012/03/16
レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 ついに発見か?
イタリアのヴェッキオ宮殿(フィレンツェ政庁舎)にある壁画の裏に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「幻の壁画」が隠されている可能性が確認された。
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間」にはジョルジョ・ヴァザーリの壁画「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」があり、その裏にダ・ヴィンチの「アンギアリの戦い」が隠されているのでは、という話は以前からもあり、実在の科学的解明に関する記事を、本紙でも以前に取り上げていた。
レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 実在の科学的解明
壁画の裏に高性能カメラを通して調査した結果、実在する証拠を発見したという。
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間 |
レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 実在の科学的解明
壁画の裏に高性能カメラを通して調査した結果、実在する証拠を発見したという。
エジプトで盗掘者が生き埋めになる 10人が死亡
エジプト、ルクソールの北部にある村で、盗掘者が生き埋めになり、10人が死亡した。
レスキュー隊が遺体の救助を行った。
またこの事故で2名が怪我をしたという。
レスキュー隊が遺体の救助を行った。
またこの事故で2名が怪我をしたという。
2012/03/12
2012/03/09
2012/03/07
2012/03/05
2012/03/02
2012/03/01
2012/02/29
アイスマンの目は茶色、O型、乳製品がダメ DNA分析の結果
1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で発見された約5300年前の男性のミイラ、「アイスマン」のDNAの解析が行われた。
エッツ渓谷で発見されたため、「エッツィ」とも呼ばれている。
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。
アイスマンの写真 |
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。
2012/02/28
メソポタミアの古代都市ウルの地で神殿跡を発見
2012/02/27
1500年前の聖書外典がトルコで見つかっていた バチカンは調査許可を要請?
2012/02/24
2012/02/23
2012/02/22
2012/02/21
続報:クフ王の「第2の太陽の船」木材取り上げ開始 エジプト・ギザ
昨日記事を配信したエジプト・ギザにおける太陽の船復元プロジェクト第2期の開始について、各所で報道されている。
古代エジプト王の船 発掘開始(NHKニュース)
クフ王副葬品、部材採取を開始 吉村作治らのチーム(47News)
第2の太陽の船、木片の引き上げに成功(TBS News i)
クフ王の「第2の太陽の船」が納められた竪坑から木材の一部が取り上げられた。
2015年頃を目標に、木造船の復元を行い、公開する予定とのこと。
古代エジプト王の船 発掘開始(NHKニュース)
クフ王副葬品、部材採取を開始 吉村作治らのチーム(47News)
第2の太陽の船、木片の引き上げに成功(TBS News i)
クフ王の「第2の太陽の船」が納められた竪坑から木材の一部が取り上げられた。
2015年頃を目標に、木造船の復元を行い、公開する予定とのこと。
第1の太陽の船の尾部 |
2012/02/20
エジプト・クフ王の「第2の太陽の船」プロジェクト第2期開始 早稲田隊も参加
エジプト・ギザで20日に行われる国際記者会見で、エジプト考古省大臣Mohamed Ibrahim氏によってクフ王の「第2の太陽の船」プロジェクトの第2期を開始するという声明が出される模様だ。Ahram Onlineが2月16日に報じた。
このプロジェクトは、早稲田大学の調査隊と合同で行われている。
調査チームは20日に船の木材サンプルの取り上げを行う。
サンプルの分析の結果から、船の復元に向けた詳細なプランを練り上げる予定だ。
このプロジェクトは、早稲田大学の調査隊と合同で行われている。
写真はクフ王の第1の太陽の船 |
サンプルの分析の結果から、船の復元に向けた詳細なプランを練り上げる予定だ。
2012/02/17
2012/02/15
古代エジプトの聖地アビドスで動物のミイラを大量に発見
古代エジプトの王朝を通じて「聖地」とされていたアビドスで83体もの動物のミイラが発見された。
その他にも、王の彫像などが出土している。
これらの発見は、カナダ・トロント大学のMary-Ann Pouls Wegner教授が率いる調査隊によるものである。
教授らはアビドスで倉庫と推測されている建造物の発掘を行っていた。
建造物の壁は厚さが2mもあり、そのデザインから宗教活動に関連していたと考えられている。
わずかに残存していた碑文には、セティ1世の名前が残っていた。
セティ1世は新王国時代第19王朝の2代目のファラオであり、紀元前1300年頃にエジプトを支配していた。
その他にも、王の彫像などが出土している。
アビドスの風景(ウンム・エル=カアブ) |
これらの発見は、カナダ・トロント大学のMary-Ann Pouls Wegner教授が率いる調査隊によるものである。
教授らはアビドスで倉庫と推測されている建造物の発掘を行っていた。
建造物の壁は厚さが2mもあり、そのデザインから宗教活動に関連していたと考えられている。
わずかに残存していた碑文には、セティ1世の名前が残っていた。
セティ1世は新王国時代第19王朝の2代目のファラオであり、紀元前1300年頃にエジプトを支配していた。
2012/02/13
幻の王国「Tuwana」の大遺跡を発見 トルコ
トルコ、カッパドキアの南部にあるキニク・ホユック(Kınık Höyük)で、文献でしか確認されていなったツワナ(Tuwana, Tyana)の広大な遺跡が発見された。
この発見は、イスタンブールで行われた記者会見で、イタリアパヴィア大学とニューヨーク大学の合同調査隊を率いているイタリア人考古学者、Lorenzo d'Alfonso氏によって発表された。
遺跡は紀元前1千年紀の最初の時期にあたるという。
ツワナはこれまで象形文字やアッシリア帝国のいくつかの文献でしか言及されていなかった国であり、その存在が考古学的に確認されたのは初めてのことだ。
この発見は、イスタンブールで行われた記者会見で、イタリアパヴィア大学とニューヨーク大学の合同調査隊を率いているイタリア人考古学者、Lorenzo d'Alfonso氏によって発表された。
カッパドキア南部の風景(背後に見えるのはトロス山脈) Credit: Department of Antiquities, Orientalistic Studies, Pavia University |
遺跡は紀元前1千年紀の最初の時期にあたるという。
ツワナはこれまで象形文字やアッシリア帝国のいくつかの文献でしか言及されていなかった国であり、その存在が考古学的に確認されたのは初めてのことだ。
2012/02/10
2012/02/08
イースター島の人々はコロンブス以前にアメリカ大陸に来ていた?
アジアから移住してきた太平洋の島々の人々と、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った先住民の人々。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
オスロ大学の免疫学者Erik Thorsby氏は1971年からイースター島に住む人々を対象に、アメリカ先住民がポリネシアに到達していた証拠があるかどうかを調査していた。
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
イースター島のモアイ像 |
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。
2012/02/06
2012/02/03
2012/01/30
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