2013/01/18
2012/12/19
ミイラの分析からラメセス3世暗殺事件の真相に迫る
ラメセス3世は古代エジプト新王国時代第20王朝のファラオで、治世は紀元前1186年から前1155年頃と言われている。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。
しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。
イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
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| ラメセス3世のミイラ |
その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。
しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。
イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。
2012/03/12
2012/02/29
アイスマンの目は茶色、O型、乳製品がダメ DNA分析の結果
1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で発見された約5300年前の男性のミイラ、「アイスマン」のDNAの解析が行われた。
エッツ渓谷で発見されたため、「エッツィ」とも呼ばれている。
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。
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| アイスマンの写真 |
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。
2012/02/08
イースター島の人々はコロンブス以前にアメリカ大陸に来ていた?
アジアから移住してきた太平洋の島々の人々と、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った先住民の人々。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
オスロ大学の免疫学者Erik Thorsby氏は1971年からイースター島に住む人々を対象に、アメリカ先住民がポリネシアに到達していた証拠があるかどうかを調査していた。
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
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| イースター島のモアイ像 |
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。
2011/10/19
2011/10/14
2011/09/12
2011/09/08
2011/08/31
2011/08/04
ヨーロッパ男性の約半数がツタンカーメンと共通するDNAを持つ
ヨーロッパの男性の約半数がエジプト新王国時代のファラオ、ツタンカーメンと同じ遺伝子を持つことが、スイスの遺伝子学者の分析で明らかになった。
チューリヒに拠点を置く遺伝子系図研究所「iGENEA」は、9歳で即位した少年王ツタンカーメンと、その父アクエンアテン、祖父のアメンヘテプ3世のミイラから遺伝子プロファイルを再現した。
分析の結果、ツタンカーメンは「ハプログループ R1b1a2」として知られるグループに属しており、ヨーロッパの男性の50%以上がこのグループに属している。
この結果は、共通の祖先をもっていることを意味する。
なんと、現代のエジプト人でこのハプログループに属するのは1%未満だという。
チューリヒに拠点を置く遺伝子系図研究所「iGENEA」は、9歳で即位した少年王ツタンカーメンと、その父アクエンアテン、祖父のアメンヘテプ3世のミイラから遺伝子プロファイルを再現した。
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| ツタンカーメンの黄金のマスク |
この結果は、共通の祖先をもっていることを意味する。
なんと、現代のエジプト人でこのハプログループに属するのは1%未満だという。
2011/07/28
チンギス・ハンの甥の遺体を発見? ロシア
ロシアでモンゴル帝国の創始者チンギス・ハンの甥と思われる遺体が発掘された。
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| チンギス・ハン |
イスンケ・ハンという名で、ロシアのシベリア東部、トランスバイカリアと呼ばれる地域の発掘で発見された。
発掘調査はロシアの極東連邦大学によって行われていた。
遺体のDNA分析などはまだ行われていない。
Remains of Genghis Khan’s nephew found?
ラベル「歴史上の人物」を含む記事
2011/07/20
あなたにもネアンデルタール人のDNAがある
2011/06/17
アイスマンは虫歯で歯周病だった 新石器時代の歯の病理
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| アイスマンの復元された姿 |
エッツ渓谷で発見されたことから、「エッツィ」とも呼ばれている。
人体そのものや着衣、道具類の多くが氷漬けになって保存されていたので、当時の文化・風習や病理などを明らかにする上で、アイスマンは最高の資料になっている。
アイスマンの死因については、最初は凍死であると考えられていたが、近年の研究から失血死であることがわかっていた。
このアイスマンの最新の研究成果から、彼が虫歯で、歯が摩耗しており、歯周病で苦しんでいたことがわかった。
カリフォルニア・サンディエゴで行われたミイラの研究の国際学会で発表されている。
2011/06/12
2011/05/22
「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく【続報2】
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| 発見された頭蓋骨(credit: EPA) |
過去の記事
「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく (5月15日)
「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく 【続報】(5月16日)
聖ウルスラ女子修道院址の床面から1.5mのところで、人間の肋骨、脊椎とともに頭骨が発見された模様。
2011/05/16
モナ・リザのモデル?の墓をあばく【続報】
アルケオニュースで昨日投稿した「モナ・リザのモデル?の墓をあばく」の続報である。
レオナルド・ダ・ヴィンチによる絵画「モナ・リザ」(ルーブル美術館所蔵)のモデルであった可能性が高い、リサ・ゲラルディーニのものと思われる墓の位置が特定されており、現在発掘が進行している。
調査チームはフィレンツェ・聖ウルスラ女子修道院跡における2週間に及ぶ地中レーダー探査によって、地下の埋葬室を発見していた。
レオナルド・ダ・ヴィンチによる絵画「モナ・リザ」(ルーブル美術館所蔵)のモデルであった可能性が高い、リサ・ゲラルディーニのものと思われる墓の位置が特定されており、現在発掘が進行している。
調査チームはフィレンツェ・聖ウルスラ女子修道院跡における2週間に及ぶ地中レーダー探査によって、地下の埋葬室を発見していた。
2011/05/15
2011/05/01
2011/04/29
タイタニック号事件の被害者の子供 DNA分析で同定
豪華客船タイタニック号が沈んだ5日後の1912年4月21日、救助船のクルーMackay Bennettは大西洋の海からおよそ2歳前後の金髪の子供の遺体を引き上げた。
この子供の遺体は他の多くの犠牲者と同様に、ノヴァ・スコシア州のハリファックスにある墓地に埋葬されている。Mackay Bennettは埋葬に「不明の子(unknown child)」という墓標を捧げた。
タイタニック号の沈没では、乗船者2209人中1497人の命が失われた。
遺体は発見することができたものがあっても名前がわからないことがあり、その他の多くは現在も不明である。
しかし、この「不明の子」が誰の子で、どのような名前であったかを、ついに同定することができたという。この子は生後19ヶ月で、イギリスから来たSidney Leslie Goodwinであったと結論付けられている。
この子供の遺体は他の多くの犠牲者と同様に、ノヴァ・スコシア州のハリファックスにある墓地に埋葬されている。Mackay Bennettは埋葬に「不明の子(unknown child)」という墓標を捧げた。
タイタニック号の沈没では、乗船者2209人中1497人の命が失われた。
遺体は発見することができたものがあっても名前がわからないことがあり、その他の多くは現在も不明である。
しかし、この「不明の子」が誰の子で、どのような名前であったかを、ついに同定することができたという。この子は生後19ヶ月で、イギリスから来たSidney Leslie Goodwinであったと結論付けられている。
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