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2013/01/18

4000年前にインドからオーストラリアに渡った人々

現生人類の祖先がアフリカ大陸を出た後、様々な地域へ拡散していき、一部の集団は4万年以上前にオーストラリア大陸にたどり着いた。
その後、18世紀にヨーロッパ人が訪れるまで、オーストラリアは外部の人類から隔絶されていたと考えられていた。
アボリジニ

しかし、最近のDNA分析の結果から、4000年前にインドからオーストラリアに渡ってきた人々がいて、アボリジニと混ざり合っていたことがわかってきた。

2012/12/19

ミイラの分析からラメセス3世暗殺事件の真相に迫る

ラメセス3世は古代エジプト新王国時代第20王朝のファラオで、治世は紀元前1186年から前1155年頃と言われている。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
ラメセス3世のミイラ

その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。

しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。

イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。

2012/03/12

氷河期にヨーロッパ人が大西洋を渡っていたという新説

最初にアメリカ大陸へ渡ったのはアジア系の人々であり、彼らがいわゆるネイティブ・アメリカンの祖となったというのが通説だ。
しかし、アジア人よりも1万年も前に、ヨーロッパに起源を持つ人々が北大西洋を渡ってアメリカ大陸に到達していたという新説が発表された。
氷河期の北半球 灰色になっているのが氷河期の最盛期に氷に覆われていたと考えられる範囲

2012/02/29

アイスマンの目は茶色、O型、乳製品がダメ DNA分析の結果

1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で発見された約5300年前の男性のミイラ、「アイスマン」のDNAの解析が行われた。
アイスマンの写真
エッツ渓谷で発見されたため、「エッツィ」とも呼ばれている。
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。

2012/02/08

イースター島の人々はコロンブス以前にアメリカ大陸に来ていた?

アジアから移住してきた太平洋の島々の人々と、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った先住民の人々。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
イースター島のモアイ像
オスロ大学の免疫学者Erik Thorsby氏は1971年からイースター島に住む人々を対象に、アメリカ先住民がポリネシアに到達していた証拠があるかどうかを調査していた。
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。

2011/10/19

壺に残るDNAの分析から交易品を復元 古代ギリシア

古代ギリシアの船に積まれていた貯蔵用の壺のDNA分析から、古代ギリシア人がワインだけでなく、様々な食料の交易を行っていたことがわかった。
交易に使用された壺(アンフォラ)
地中海にあった沈没船から発見された9つの壺から、野菜、ハーブ、木の実の存在が分析によって検出されたという。
今後、様々な時期の遺物に対してDNA分析を行うことで、地中海域における交易マーケットの展開をより詳細に知ることができるかもしれない、と分析を行った研究者らは述べている。

2011/10/14

ペスト菌のゲノムから中世の大流行の原因を探る

これらの人骨はロンドンにある14世紀の墓地から1980年に発掘されたもので、1347年から1351年にかけてヨーロッパで猛威をふるい、30万人が命を落とした「ペスト(黒死病)」による死者と考えられている。
研究者らが、この墓地には2500人のペストによる死者が埋葬されており、ここから発見された遺体の歯を用いて、ペスト菌のゲノムの99%を再現した。

2011/09/12

イギリス人の祖先は何者か? DNAによる人の移動の分析

 これまでイギリス人は5000~10000年前に移住してきた農耕民の子孫であると考えられてきた。
しかし、新しい遺伝学の研究では、この説とは異なる成果が提出されている。

イギリス・オックスフォード大学とエジンバラ大学の研究者らによると、ヨーロッパの男性の大半はそれよりもずっと前の段階にヨーロッパに定住していた人々(おそらくは狩猟採集民)と遺伝的なつながりがあるという。

2011/09/08

オーストラリアの義賊ネッド・ケリーの首なし遺体を発見

オーストラリアで有名な無法者であり義賊・英雄として名高い、ネッド・ケリーの遺骨が発見された。
ネッド・ケリーはブッシュ・レンジャー(森を棲家とする盗賊)であり、130年前に絞首刑になった人物。
ネッド・ケリーの処刑前日の写真
ネッドの悪行は家畜泥棒、警官攻撃、銀行強盗、大地主への攻撃などがあったが、それらはいずれも経済的な支配者であった資本家たちへの攻撃ともみられ、貧しい人々にとっては義賊としての扱いを受けており、生前から人気が高かった。
彼の生涯は、小説・映画の題材にもしばしば取り上げられている。

2011/08/31

9000年前にはすでに馬が家畜化されていた? アラビア半島の遺跡で発見

アラビア半島で9000年前の馬の家畜化の痕跡を示す遺跡が発掘された。
アル・マカルという遺跡から発見されたもので、馬の家畜化が初めて行われたのは5500年前の中央アジアだと言われていたため、それよりも3500年も古いことになる

2011/08/04

ヨーロッパ男性の約半数がツタンカーメンと共通するDNAを持つ

ヨーロッパの男性の約半数がエジプト新王国時代のファラオ、ツタンカーメンと同じ遺伝子を持つことが、スイスの遺伝子学者の分析で明らかになった。

チューリヒに拠点を置く遺伝子系図研究所「iGENEA」は、9歳で即位した少年王ツタンカーメンと、その父アクエンアテン、祖父のアメンヘテプ3世のミイラから遺伝子プロファイルを再現した。
ツタンカーメンの黄金のマスク
分析の結果、ツタンカーメンは「ハプログループ R1b1a2」として知られるグループに属しており、ヨーロッパの男性の50%以上がこのグループに属している。
この結果は、共通の祖先をもっていることを意味する。
なんと、現代のエジプト人でこのハプログループに属するのは1%未満だという。

2011/07/28

チンギス・ハンの甥の遺体を発見? ロシア


ロシアでモンゴル帝国の創始者チンギス・ハンの甥と思われる遺体が発掘された。
チンギス・ハン

イスンケ・ハンという名で、ロシアのシベリア東部、トランスバイカリアと呼ばれる地域の発掘で発見された。
発掘調査はロシアの極東連邦大学によって行われていた。

遺体のDNA分析などはまだ行われていない。

Remains of Genghis Khan’s nephew found?

ラベル「歴史上の人物」を含む記事

2011/07/20

あなたにもネアンデルタール人のDNAがある

「現在の人類には、ネアンデルタール人のDNAが混じっている」ことが、新たな研究成果によって確認された。
これまで、現生人類とネアンデルタール人の異種交配の可能性については言及されてきたが、それを裏付ける形になった。
現生人類(左)とネアンデルタール人(右)

カナダのモントリオール大学セント・ジャスティン大学病院研究センターのDamian Labuda氏が共同研究者とともに成果を公表した。
彼らの研究によると、人間のX染色体にはネアンデルタール人由来のものがあるという。
ただし、サハラ以南のアフリカに住んでいた人々以外である。

2011/06/17

アイスマンは虫歯で歯周病だった 新石器時代の歯の病理

アイスマンの復元された姿
アイスマンは、1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で見つかった、約5300年前の男性のミイラの愛称である。

エッツ渓谷で発見されたことから、「エッツィ」とも呼ばれている。
人体そのものや着衣、道具類の多くが氷漬けになって保存されていたので、当時の文化・風習や病理などを明らかにする上で、アイスマンは最高の資料になっている。

アイスマンの死因については、最初は凍死であると考えられていたが、近年の研究から失血死であることがわかっていた。

このアイスマンの最新の研究成果から、彼が虫歯で、歯が摩耗しており、歯周病で苦しんでいたことがわかった。
カリフォルニア・サンディエゴで行われたミイラの研究の国際学会で発表されている。

2011/06/12

東アフリカまで到達していた中国・明時代の大船団 水中考古学による裏付け調査

中国・明時代の鄭和による大船団が、その一部が東アフリカにまで来ていたというのは、もはや定説のようになっている。
鄭和の船団が訪れた地域
この説を考古学的にも証明するために、中国とケニアの考古学者は東アフリカ沖で沈没船の調査を行っている。

鄭和は明の永楽帝に重用され、南海へ7回の大航海を行った人物。東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカまで航海したと伝えられている。
用いられた船の大きさと船団の規模には目を見張るものがある。
第1次航海の例では、船の大きさが長さ137m、幅56mの巨艦で、船団は62隻、総乗組員は2万7800名に登ったという。

2011/05/22

「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく【続報2】

発見された頭蓋骨(credit: EPA)
アルケオニュースで5月15日、16日に掲載した、レオナルド・ダ・ヴィンチによる絵画「モナ・リザ」(ルーブル美術館所蔵)のモデルであった可能性が高い、リサ・ゲラルディーニの墓の発掘の続報である。




過去の記事
「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく (5月15日)
「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく 【続報】(5月16日)

聖ウルスラ女子修道院址の床面から1.5mのところで、人間の肋骨、脊椎とともに頭骨が発見された模様。

2011/05/16

モナ・リザのモデル?の墓をあばく【続報】

アルケオニュースで昨日投稿した「モナ・リザのモデル?の墓をあばく」の続報である。

レオナルド・ダ・ヴィンチによる絵画「モナ・リザ」(ルーブル美術館所蔵)のモデルであった可能性が高い、リサ・ゲラルディーニのものと思われる墓の位置が特定されており、現在発掘が進行している。

調査チームはフィレンツェ・聖ウルスラ女子修道院跡における2週間に及ぶ地中レーダー探査によって、地下の埋葬室を発見していた。

2011/05/15

「モナ・リザ」のモデル?の墓をあばく

モナ・リザ
レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた肖像画「モナ・リザ」のモデルであったといわれている女性の墓の発掘が、11日に開始された。

研究者らによれば、地中レーダーによって遺体を特定し、モデルの女性リサ・ゲラルディーニの本当の姿を復元して絵画と比較する予定である。

研究者チームのレーダー調査から、聖ウルスラ女修道会修道院の敷地の地下2mにゲラルディーニ時代の遺体があるということがわかった。

DNA分析の専門家らは遺体の分析を実施し、ゲラルディーニの子孫のDNAと比較を行う予定。

2011/05/01

トピック:アメリカの謎の浮浪者「革男」 今春に墓が暴かれる予定

実際の革男の姿
革男とは自分で革をつなぎ合わせた服を着て、1856年から1889年の間、コネチカットとハドソン川の間をグルグルと回り続けていた謎の浮浪者である。

その素性は知られておらず、カナダ人でるとも、フランス人であるとも言われている。
Jules Bourglayという名前であったといわれる時もあるが、未だその存在は謎に包まれている。

服やスカーフ、靴や帽子に至るまで、革で自作していたという。
流浪していたルートは1週365マイルで、34日間で回っており、ルート上の町々で食料の供給のために立ち止まっていたという。寝床は洞窟だった。

2011/04/29

タイタニック号事件の被害者の子供 DNA分析で同定

豪華客船タイタニック号が沈んだ5日後の1912年4月21日、救助船のクルーMackay Bennettは大西洋の海からおよそ2歳前後の金髪の子供の遺体を引き上げた。
この子供の遺体は他の多くの犠牲者と同様に、ノヴァ・スコシア州のハリファックスにある墓地に埋葬されている。Mackay Bennettは埋葬に「不明の子(unknown child)」という墓標を捧げた。

タイタニック号の沈没では、乗船者2209人中1497人の命が失われた。
遺体は発見することができたものがあっても名前がわからないことがあり、その他の多くは現在も不明である。
しかし、この「不明の子」が誰の子で、どのような名前であったかを、ついに同定することができたという。この子は生後19ヶ月で、イギリスから来たSidney Leslie Goodwinであったと結論付けられている。