2013/01/10
2012/12/19
ミイラの分析からラメセス3世暗殺事件の真相に迫る
ラメセス3世は古代エジプト新王国時代第20王朝のファラオで、治世は紀元前1186年から前1155年頃と言われている。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。
しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。
イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
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| ラメセス3世のミイラ |
その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。
しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。
イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。
2012/04/20
マルコ・ポーロはウソツキではなかった? 新たな見解
「東方見聞録」を書いたヴェネツィアの商人マルコ・ポーロは、実は中国まで来ていなかったという説があり、アルケオニュースでも以前に取り上げたことがある。
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
しかし、ドイツ・テュービンゲン大学のHans Ulrich Vogel教授が中国側にある資料を精査した結果、マルコ・ポーロは実際に中国を訪れていたことを改めて唱えた。
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
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| マルコ・ポーロの肖像 |
2012/04/03
2012/03/17
産経ニュースの記事:貞観地震前後の関東で起きた大地震
平安時代の貞観11年(西暦869年)5月26日に起きた貞観地震は陸奥国東方沖の海底を震源域として発生した巨大地震であり、津波による被害も甚大であった。マグニチュードは8.3以上であったと推測されており、2011年3月11日に起きた東日本大震災との類似が指摘されていた。
この地震の前後に、関東地方で大地震があった記録が残っていることが、MSN産経ニュースに掲載されていた。
【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】
この地震の前後に、関東地方で大地震があった記録が残っていることが、MSN産経ニュースに掲載されていた。
【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】
2012/03/01
2012/02/27
1500年前の聖書外典がトルコで見つかっていた バチカンは調査許可を要請?
2011/09/18
2011/09/07
2011/08/26
2011/08/13
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
マルコ・ポーロ(1254年9月15日 - 1324年1月8日)は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』を口述した人物である。
マルコ・ポーロによる旅の記録は、中世ヨーロッパの人々に中国やシルクロードのエキゾチックな世界を紹介したことで、歴史上偉大な探検家としてその名をとどめるに至った。
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| マルコ・ポーロの肖像 |
むしろ、彼の話は黒海で会ったペルシア人の商人から、中国、日本、モンゴル帝国について聞いた、又聞きの物語であり、他の情報をつなぎ合わせて「東方見聞録」を完成させたというのだ。
2011/07/28
2011/07/27
マチュピチュにはかつてインカ皇帝パチャクティの像があった
ペルーのマチュピチュには、かつてインカ帝国の皇帝パチャクティの石像があったことが、古文書の研究から判明した。
テラス状の遺構の1つにある円形の石造の壁体に向かっておかれていたようであるが、アメリカの探検家ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)がマチュピチュ遺跡を発見した1911年7月24日にはすでに失われていた。
ビンガムは映画「インディー・ジョーンズ」の主人公ジョーンズ博士のモデルとされている人物であり、1914年3月26日の日付でマチュピチュの光景を雑誌「ネイチャー」に寄稿している。
しかし、アメリカの探検家で研究者のPaolo Greer氏はこう述べている。
「マチュピチュは地元の人々には古くから知られており、ハイラム・ビンガムが生まれる前にもトレジャー・ハンターや墓泥棒によって荒らされていた」
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| マチュ・ピチュ |
ビンガムは映画「インディー・ジョーンズ」の主人公ジョーンズ博士のモデルとされている人物であり、1914年3月26日の日付でマチュピチュの光景を雑誌「ネイチャー」に寄稿している。
しかし、アメリカの探検家で研究者のPaolo Greer氏はこう述べている。
「マチュピチュは地元の人々には古くから知られており、ハイラム・ビンガムが生まれる前にもトレジャー・ハンターや墓泥棒によって荒らされていた」
2011/07/11
旧約聖書のペリシテ人の姿を解き明かす 古代都市ガトの発掘調査
2011/07/08
古代のイベリア人の宮殿が発見される スペイン・ハエン
2011/05/18
2011/04/25
チベットの古代文書で脳外科手術の記述発見
脳の外科手術が2900年前の医師に行われていたことが、チベット文化と文学の専門家による40年に及ぶチベットの古代の百科事典「大蔵経」の調査によって明らかになった。
ラサのチベット大学・チベット言語・文学科准教授Karma Trinleyによれば、2900年前のチベットの大蔵経が何故、またどのようにして脳の外科手術を行うのかについて、明瞭に述べているという。
ラサのチベット大学・チベット言語・文学科准教授Karma Trinleyによれば、2900年前のチベットの大蔵経が何故、またどのようにして脳の外科手術を行うのかについて、明瞭に述べているという。
2011/04/13
初期キリスト教の「鉛文書」 偽物の可能性が指摘される
70におよぶ金属製の本がヨルダンの洞窟から発見されており、キリスト教に関する最初期の文書として注目を浴びている。
キリストの死の約10年後に書かれたとされている。研究者達は「鉛文書」と呼び、歴史上最も重要な発見としてもてはやし、主要メディアが「鉛文書」研究の成果を報道して過熱気味になっている。
しかし、鉛で鋳造されたクレジットカードサイズの板が、鉛のリングによってつなぎあわされたこの「鉛文書」について、その信ぴょう性に対する疑問が徐々に沸き起こってきている。
現在、あるアラム語の翻訳者は文書の分析を終え、これが偽物であるという動かし難い証拠を発見したと述べている。
キリストの死の約10年後に書かれたとされている。研究者達は「鉛文書」と呼び、歴史上最も重要な発見としてもてはやし、主要メディアが「鉛文書」研究の成果を報道して過熱気味になっている。
しかし、鉛で鋳造されたクレジットカードサイズの板が、鉛のリングによってつなぎあわされたこの「鉛文書」について、その信ぴょう性に対する疑問が徐々に沸き起こってきている。
現在、あるアラム語の翻訳者は文書の分析を終え、これが偽物であるという動かし難い証拠を発見したと述べている。
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