2012/04/20

マルコ・ポーロはウソツキではなかった? 新たな見解

「東方見聞録」を書いたヴェネツィアの商人マルコ・ポーロは、実は中国まで来ていなかったという説があり、アルケオニュースでも以前に取り上げたことがある。
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
マルコ・ポーロの肖像
しかし、ドイツ・テュービンゲン大学のHans Ulrich Vogel教授が中国側にある資料を精査した結果、マルコ・ポーロは実際に中国を訪れていたことを改めて唱えた。

マルコ・ポーロは実は中国に到達しておらず、黒海やコンスタンティノープル、ペルシアで、中国や日本、モンゴル帝国について得た情報をつなぎ合わせて「東方見聞録」を完成させた、という説がこれまで流れていた。

Hans Ulrich Vogel教授はこの説に賛同する意見と反対する意見を徹底的に調べることから始めた。
そして、関連する中国、日本、イタリア、フランス、ドイツ、スペインの文献から証拠を探っていった。
その結果、マルコ・ポーロは確かに元朝の中国にいたという結論に達しているのだ。

18世紀半ばから、マルコ・ポーロが本当に中国へ行っていたのかどうかが疑問視されていた。
懐疑的な意見を持つ人たちは、マルコ・ポーロが万里の長城に言及していないことを指摘していた。
しかし、これまでの調査からよく知られているように、現存する万里の長城は明代のものであって、より古い土塁の壁ははるか昔に崩壊しており、マルコ・ポーロが来た時期には軍事的な意味をなさなくなっていた。

また、マルコ自身や、彼の父と叔父についても中国側の文書には記録がない。
しかしながら、当時の中国の歴史家が何事も頻繁に記録をしていたわけではない。
ローマ教皇の特命使節で元朝の宮廷にいたジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノでさえ、中国側の記録にはない。
彼の32人の従者や、教皇の名前さえない。
フランク王国から1342年に贈られた馬についての言及がある程度だ。

Vogel教授はまた、中国が極めて複雑な状況であり、マルコ・ポーロが記述しているような流通の状況や塩の生産と専売による歳入などを正確に伝えるには、高いレベルの歴史に関する専門的知識が必要となると述べている。
他の西洋人、アラブ人、ペルシア人には、元朝の独特の流通を正確かつ詳細に報告することはできなかったとVogel教授は結論付けている。

マルコ・ポーロは桑の樹皮から紙幣が作られる様子を正確に描写した唯一の旅行者であった。
かれは紙幣の形や大きさを細かく記録しているだけでなく、標章の使用や紙幣の単位名までも著述している。
また彼は国による金、銀、真珠、宝石の専有(これは紙幣の流通を強制的に促す効果があった)や、使い古された紙幣には3%の交換手数料がかかること、公的・私的に関わらず商業活動に広く紙幣が使われていた様子まで伝えている。

マルコ・ポーロはさらに、同時代の人々の中で唯一、紙幣が中国の全土で流通していたわけではないことを説明していた。
紙幣は北部と長江流域で使用されていたが、福建や雲南ではそうではなく、ポーロによればコヤスガイ、塩、金と銀が主要な通貨だったそうだ。
これらのほとんどの記録はマルコ・ポーロよりも後の時代に照合されるか、翻訳されることによって確かめられた。

マルコ・ポーロの塩の生産に関する記述も正確だ。彼は知っている塩の主要な生産地と、それを運営している者を列挙していた。
山東省での塩生産方法に関する彼の記述は、元朝時代の文書と合致している。
ベネチアでは塩は異なる方法によって作られていたことが分かっている。

これらの情報は、他のものも含めその精確さが完全に評価されてはいないが、マルコ・ポーロが実際に元朝に仕えていたことを示していると、Vogel教授は結論付けている。

Marco Polo was not a swindler: He really did go to China


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3 件のコメント:

  1. 更新やめちゃったんすか?
    結構楽しみにしてたのに残念ですわ。

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  2. 上の方に同感です。
    もしよろしければ、
    余裕が有る時でもいいので、続けて欲しいです。

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  3. 今年4月に初めてこのブログをみつけたときからお気に入りに入れてチェックしてます。更新楽しみにしています。マヤのXデーが近いですね。

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