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2011/10/26

保存状態の良い元寇船が発見される 長崎県松浦市鷹島町沖

日本の鎌倉時代中期に中国大陸を支配していたモンゴル帝国。
元寇(蒙古襲来)と呼ばれる、モンゴル帝国による二度にわたる対日本遠征は、日本史の教科書に必ず載っている有名な出来事だ。
長崎県松浦市鷹島町の沖合で、この元寇でモンゴル帝国が使用した船が、構造を保った状態で発見された。
CREDIT:琉球大考古学研究室

10月24日に琉球大法文学部の池田榮史教授(考古学)は長崎県庁で正式発表し、現場の映像を公開しながら説明した。船の全長は20メートルに及ぶという。

2011/10/07

トルコ・「ガリポリの戦い」戦場跡の調査から見える両陣営の様子

 オーストラリア、ニュージーランド、トルコの考古学者、歴史学者などによる研究チームによって、第一次世界大戦にトルコで行われた「ガリポリの戦い」の戦場跡の調査が行われ、100以上の遺物が発見された。
ガリポリの戦いを描いた絵
ガリポリの戦いは第一次世界大戦中の1915年4月~1916年1月にトルコのガリポリ半島で起きた戦い。
主に大英帝国とフランス連合軍が、オスマン帝国の首都コンスタンチノープルを奪還してロシアへの海路を確保しようとしたもの。
英仏軍は世界で最初となる大規模な上陸作戦を展開したが失敗し、双方に多数の戦死者を出した。

2011/09/13

万里の長城の一部は2重・3重の構造だった

中国の世界遺産、万里の長城は1筋のとてつもなく長い構造物である、とたいていの人は考えているだろう。
しかし、万里の長城はいくつかの部分で、平行する複数の壁があることが分かってきた。
万里の長城の一部を調査した結果、メインの長城と平行する2つから3つの小さな壁があることが判明した。
調査に当たった研究者によると、陝西省に位置している長城の一部は実は2つから3つの壁によって構成されているという。
こうした壁の建て方は、軍隊を駐屯させるのに便利で、防護としての壁の力をより強固にしてくれる。
中国の他の地域であっても、同様の構造があると考えられている。

2011/08/12

ハワイの海に沈む第2次世界大戦の遺産


米国海洋大気庁(NOAA)とハワイ大学はハワイ・マウイ島の南岸に沈んだ第2次世界大戦時代の飛行機と沈没船の調査を完了した。

調査チームは6つの残骸の図面作成と写真撮影を行った。
残骸は艦載爆撃機(SB2C-1C Helldiver)、艦載戦闘機(F6F Hellcat)、3台の水陸両用の攻撃車両(LVT-4 and LVTA-4s)、内2台は75㎜榴弾砲を搭載していたものだった。
攻撃車両(LVT-4)の残骸 CREDIT: NOAA

記録は残骸の劣化状況を評価するのに利用され、また遺物が移動もしくは失われてしまった場合に位置を特定するのに役立つ。

2011/07/29

聖書の古代都市ガトで祭壇が発見される


聖書に登場するペリシテ人の都市ガトがあった場所と考えられている、イスラエルのテル・アル=サフィ遺跡で、紀元前9世紀の石製の祭壇が発見された。
同時代のユダヤ教徒の祭壇を思わせるもので、何世紀も争いあっていたペリシテ人とユダヤ人の間に文化的な共通性があったことを示している。
祭壇発掘の様子

祭壇は高さ約1m、幅約0.5m、奥行0.5m。
バル・イラン大学のAren Maeir博士の調査チームによって発見された。
最も特徴的な部分は正面にある2本の角と中央にある蛇腹である。
形状は聖書にあるユダヤ教の祭壇に関する記述を連想させるものだが、一番顕著な違いは、ユダヤ人の神殿にあった祭壇は角が4本とされており、ガトのものは2本である点だ。

2011/07/01

世界で初めて船を沈めた潜水艦H.L.ハンリー 保存修復作業が進行中

潜水艦H.L.ハンリー
アメリカ連合国(アメリカ南北戦争時の南部諸州の国)の潜水艦H.L.ハンリーは1864年の2月17日、潜水艦史上発の船舶への攻撃を行い、沈没させることに成功した。
攻撃後、すぐに基地への帰還のため引き返したようだが、消息を絶ってしまった。
最近になって、ハンリーはチャールストン湾沖の海中に沈んでいることが発見され、乗組員であった8名も死亡していたことが確認された。

ハンリーは右舷側に45度傾いた状態で発見されており、2000年にその角度のままで引き上げが行われた。
今年の6月に保存修復作業が完了し、直立した状態でおくことができるようになった。

2011/06/13

第一次世界大戦のトンネル戦跡の調査が進行中 フランス、ラ・ブワッセル

第一次世界大戦の西部戦線のトンネル戦跡で、考古学者による調査が始められている

場所はフランスのラ・ブワッセルと呼ばれる郊外の村にある私有地で、最も激しかったソンムでの戦いを除いて、1918年には戦闘が終わっており、その後まったく手をつけていない状態で残っている。
ラ・ブワッセルの塹壕
第一次大戦と言えば塹壕を用いた戦闘のイメージがある。
しかし一方で、大戦ではトンネルを用いた戦略も重要な役割を果たしていた。

2011/04/22

鉄器時代の要塞で行われた殺戮の証拠 イギリス

ダービーシャーの要塞遺跡から鉄器時代の戦争に関連する虐殺の証拠が発見された。

ピーク・ディストリクトのフィン・コップにある要塞の周りにある溝の一画から、9体の骨がが発見され、さらに数百体分の骨が溝に残っているだろうと研究者は予測している。