潜水艦H.L.ハンリー |
攻撃後、すぐに基地への帰還のため引き返したようだが、消息を絶ってしまった。
最近になって、ハンリーはチャールストン湾沖の海中に沈んでいることが発見され、乗組員であった8名も死亡していたことが確認された。
ハンリーは右舷側に45度傾いた状態で発見されており、2000年にその角度のままで引き上げが行われた。
今年の6月に保存修復作業が完了し、直立した状態でおくことができるようになった。
潜水艦の角度を変えるためには、潜水艦の内部に入り込んでいた堆積物から遺物や8人の乗組員の遺体を取り上げる作業をまず実施する必要があった。
埋没した当時の内部の状況を撹乱しないための措置であり、なぜハンリー沈没の原因を知る手掛かりにもなるからである。
ハンリーの内部 人力でスクリューを回す構造 |
ハンリーの保存修復チームは傾きを直すために、3次元のレプリカを用いてシミュレーションまで行ったという。
「この潜水艦は技術の発展を示す重要な証拠。潜水艦の傾きを直す作業は最善の注意を払って行った」とハンリー・プロジェクトの考古学者代表Maria Jacobsen氏は語っている。
考古学者によるハンリーの船体の精査が行われた後、腐食した鉄の層を取り除くための作業が実施された。
その後、考古学者と歴史学者によって、ハンリー沈没の原因についての調査が行われる予定。
「今の段階でハンリーが乗組員とともに沈没した原因を決定するのは時期尚早だ。しかし潜水艦の全貌が明らかになった今、沈没の原因の解明に至る自身はある」とJacobsen氏は述べている。
ハンリーは1864年にチャールストン湾の北側入り口に停泊していたUSSフーサトニックへの攻撃を行った。
George Dixonによって指揮が行われ、水雷をフーサトニックにひっかけ、爆発によって右舷に穴をあけることに成功した。
戦闘後、ハンリーは基地に戻らず、忽然と姿を消してしまった。
1995年には海中に沈んだ潜水艦の位置が特定され、2000年にはWarren Lasch保存修復センターに運ばれた。
2000年のハンリー引き上げの様子 |
内部からは船員の遺骸、衣服の残骸や金貨などが発見されたが、沈没の原因に関する証拠は発見できなかった。
そのため、傾きのため見えていなかった右舷の精査を実施することにしたのである。
傾きの修正と表面の腐食を取り除いたことで、潜水艦の全面の調査を行うことができる。
調査が終わった後には、チャールストンにある博物館(Charleston Civil War naval museum)に移送される予定。
Civil War submarine rotated to upright position
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