このオリンピアはこれまで地震と河川の氾濫によって崩壊したとこれまで考えられてきたが、実は内陸部にまで及ぶ津波が繰り返し押し寄せたのが崩壊の原因である、という説が提出された。
ドイツ隊によるオリンピア発掘の様子 |
Vött教授とその研究チームは、過去11000年間の地中海東部の沿岸部で起こった古代の津波を研究しており、そのプロジェクトの一環としてオリンピア遺跡で調査を行った。
教授の報告では、地形学的、堆積学的な見地から、オリンピアとその周辺は津波によって破壊されたことが示されているという。
オリンピア遺跡は250年前に再発見されており、砂とその他の堆積物による深さ8mの層によって覆われていた。
「堆積物の構成と厚さからみて、クラデオス川の水理ポテンシャルと遺跡のある谷の地形ではオリンピアが埋没していた状況には至らない。この小川(の氾濫)ではまずありえないと言える」とVött教授は述べている。
これまでの説では、紀元後551年に地震が起き、その後クラデオス川の氾濫による堆積物でオリンピアは埋没したとされてきた。
しかしながらこのシナリオでは、小さなクラデオス川がこれほど厚い堆積を生みだした点に疑問が残る。
教授らは地元の考古遺物に関する行政局やドイツ考古学研究所、アーヘン、ダルムシュタット、フライブルグ、ハンブルグ、ケルンの各大学の協力を得て、地形学的、考古学的な方法と技術を用いて調査を行った。
その結果、オリンピアはその歴史の中で繰り返し壊滅的な洪水に見舞われており、そのため大量の堆積物に埋まったということが判った。
軟体動物と腹足類の殻、有孔虫などの大量の微生物の痕跡は、堆積物が海洋に由来しているものである明確な証拠となる。
堆積物は明らかに早い速度、高いエネルギーによって内陸に運ばれており、海抜33mに位置するオリンピアに到達している。
この状況は、津波がオリンピアと海を隔てている丘陵群の低い場所を通ってあふれ出た結果、というのが教授らの意見である。
「オリンピアは現在海岸から22km離れた場所にあるが、古代では違っていた。海岸線は8kmかそれ以上内陸にあったようだ」と教授は述べている。
教授によれば、津波は細いアルフェイオス川谷に流入して、そこからクラデオス川に流れ、オリンピアの背後にある尾根を乗り越えた。
そしてオリンピアは洪水に見舞われたのである。
Vött教授はあふれた水がひいていくのはゆっくりだったと推測している。
なぜなら、クラデオス川からアルフェイオス川への水の流出を、押し寄せる津波と付随する堆積物がせき止めていたからである。
オリンピアの堆積物にみられるいくつもの層の分析から、こうしたシナリオが過去7000年の間に何度か起こっていたことがわかってきた。最も新しいものは紀元後6世紀であり、ちょうどそのときオリンピアが破壊され、埋まったのである。
オリンピアが津波に見舞われたという仮説は、海岸側の丘陵部に見られる堆積物からも裏付けられる。
海岸側の堆積物の構成はオリンピア周辺にあるものと同じであり、オリンピアの堆積物が津波由来であることは間違いないと言える。
また、Vött教授はオリンピアの破壊が地震によるものではないことも説明している。
もし地震による破壊であれば、ゼウス神殿の柱などがその直下で発見されるはずだが、実際には堆積の中に浮いた状態で発見されているのである。
現在のゼウス神殿跡 |
ここではアフリカ・プレートがユーラシアプレートに沈み込んでおり、繰り返し大きな地震を引き起こし、津波が発生している。
近年地中海で起こった巨大な津波は1908年のものであり、南イタリアのメッシーナ海峡で起こった地震によるものである。
付近の海岸地域に壊滅的な打撃を与え、10万人以上の死者が出ている。
エーゲ海の南では1956年に高さ30mに及ぶ津波が記録されている。
歴史記録によれば、ギリシア西部では平均8~11年に1回津波が発生している。
Andreas Vött教授は2011年9月にギリシアのコリントスで行われる国際学会でオリンピア津波崩壊説の発表を行う予定。
Olympia hypothesis: Tsunamis buried the cult site on the Peloponnese
ラベル「神殿」、「世界遺産」を含む記事
堆積学って面白いんですね?それにしても今の日本とカブる…(-_-;)
返信削除コメントありがとうございます!
返信削除私も堆積学について良く知らないのですが、地質学の一分野のようです。
今の日本にかぶるので、記事にするのには少し躊躇したのですが、科学的な内容であるのと、古代の津波が堆積学や関連諸科学の研究成果によってわかる、という事実は今後の災害研究にも役立つはず、と思い書きました。