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2012/12/28

マヤ暦「世界の終末の日」の騒ぎで遺跡に被害

「世界の終末の日」としてグアテマラの遺跡に集まった観光客によって、マヤ文明の大都市ティカルの石造神殿が被害にあった模様だ。
ティカルの神殿Ⅱ

遺跡のテクニカル・アドバイザーであるOsvaldo Gomez氏は「悲しいことに、多くの観光客が神殿Ⅱに昇ってダメージを与えてしまったようだ」と述べている。
「お祭りをするのはいいのだが、これが世界遺産であることを(観光客は)もっと自覚してほしい」とGomez氏。

2011/09/18

ナポレオンの頭髪を発見 スコットランド・旧ウォルター・スコット邸

スコットランドのボーダー地方にある旧ウォルター・スコット(スコットランドの詩人、作家)邸で、ナポレオンの頭髪の一房が発見された。
また、小さな手書きのメモも見つかっている。
ウォルター・スコットの邸宅はアボッツフォード・ハウスと呼ばれ、一般にも公開されている。

ナポレオンの記録簿を研究しているグループが発見した。
アボッツフォード・トラストのJason Dyer氏は、この発見が「アボッツフォード・ハウスとそこに収められているものを保存することの重要性」を示すものだと述べている。

2011/07/21

世界屈指の古代遺跡に戦争の危機 リビア

リビアは5つの世界文化遺産を有し、古代ギリシア、ローマの極めて残存状態の良い遺跡に恵まれている。
この古代遺跡の保存修復・復元作業を行う国際的なプロジェクトが立ち上げられているが、2011年に始まったリビア騒乱が行く手を阻んでいる。

リビア北東部のシャッハート村は最近反政府デモがあった場所であり、現在反政府軍の支配下にあると言われている
ここはキュレネと呼ばれる古代ギリシアの植民都市がかつてあったところで、リビアおよび地中海世界においても群を抜く巨大な遺跡が残っている。
リビア東部は「キレナイカ」と呼ばれることがあるが、これは古代都市キュレネの名にちなんでいる。
キュレネ遺跡

2011/05/31

ヒッタイトのスフィンクス像をドイツからトルコへ返還

ハットゥシャのスフィンクス象
ベルリンにあるヒッタイトのスフィンクス像が、トルコに返還される。

このスフィンクス像は3000年以上前のもので、1934年以来ベルリンのペルガモン博物館にあったもの。この像がドイツとトルコの友好の証として返還されるという。

引渡しは11月28日に行われる。
この日は像が発見されたハットゥシャがユネスコの世界遺産に登録された25周年に当たる。

今後ドイツとトルコは博物館や考古学の活動で協力していくことを予定しており、この返還はその一連の活動の一部である。

2011/05/25

エジプト革命のドサクサにまぎれて現代の墓地を遺跡に建設 政府は撤去へ

新たに建設された墓地(背後はサッカラの階段ピラミッド)
今年1月25日のデモをきっかけに、エジプトのムバラク大統領が退陣に追い込まれたのは記憶に新しい。
デモのドサクサにまぎれて、カイロのエジプト考古学博物館には暴徒が乱入、展示遺物の一部が盗まれるという騒ぎがあった。
2月にデモは収束しているものの、遺跡の警備は手薄になっており、その後も文化遺産の盗掘・盗難が相次いでいた。

エジプトの考古省の大臣となった、エジプト人考古学者ザヒ・ハワス氏は、自身のブログで被害の状況についても伝えてきた。
ブログの先日の記事で、遺跡の近くに住んでいてる人々が、革命の混乱に乗じて、遺跡の上に現代の墓地を築いていることを報じた。

2011/05/24

トピック:青銅器時代から続く町がダムの底へ? トルコ・ハサンケイフ

ハサンケイフの風景
チグリス川沿いにある町は、青銅器時代から続いているものもあり、数々の国の興隆、旱魃、戦争、厳しい気候の変化の中でも生き残ってきた。

しかし、トルコ南東部バトマン(Batman)地方のチグリス川流域にあるハサンケイフが、ダム建設によって水没する恐れがあるという。
トルコ政府は南東アナトリアのダム開発を急いでおり、ダムが完成すればこの地域の川の水面レベルが60m上昇する。

ハサンケイフは、ローマ、ビザンツ、アッシリア、アラブ、モンゴル、オスマン・トルコなどの数々の文明による支配を受け、それぞれの文明の痕跡が今も町に残っている。
中世にチグリス川に架けられた橋は、当時としては最大のものであり、今も残っている。

2011/05/23

エジプト・南サッカラの新王国時代の高官墓が観光地としてオープン


ホルエムヘブ墓のトゥーム・チャペル内部
本日23日の現地時間9:30に、エジプト、メンフィス・ネクロポリスの一画、南サッカラの新王国時代の墓が観光客に公開される。

墓はトゥーム・チャペル(神殿型貴族墓、神殿型平地墓とも訳される、新王国時代の高官墓)と呼ばれる形式のもので、ツタンカーメン王時代の宝庫長を勤めたマヤという人物の墓や、当時将軍でその後ファラオにもなったホルエムヘブの墓が含まれている。

2011/05/19

アメリカ・ルート66のモーテルを遺跡として保護する運動

ルート66の看板
アメリカ合衆国を横断する国道、ルート66()のモーテル「ブーツ・モーテル」が、商業考古学会(the Society for Commercial Archeology)の「10の危険にさらされている道沿いの場所」リストに加えられた。

ルート66はアメリカ合衆国中西部・南西部の8州を通り、イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結んでいた。全長3,755kmにおよぶ。アメリカの最初の国道の1つとして1926年11月11日に創設された。

ルート66は大陸を横断する国道として、アメリカ合衆国南西部の経済・産業の発展に大きく寄与した。20世紀中盤の映画や音楽などポップ・カルチャーの中にも多く登場し、多くの人々に愛された道であったことがうかがえる。

しかし、州間高速道路に取って代わられ、1985年に廃線となった。現在では、旧国道66号線(Historic Route 66)として、国指定景観街道(National Scenic Byway)に指定されている。

2011/05/17

ギリシア・デロス島の遺跡整備計画策定

デロス島の遺跡
ギリシアの聖なる島「デロス島」はギリシアの中でも特に重要な遺跡として、世界遺産にも登録されている。

このデロス島の復元と管理の事業が実施されることが正式に決まった。
1873年からこの島で発掘を行ってきた、フランスの考古学研究所による提案がギリシアの考古会議で受け入れられた模様。

デロス島はギリシア神話のアポロ神、アルテミス神の生誕地として、両神の神殿があり、聖地とされていた。
かつてはヘレニズム文化の宗教的、芸術的、商業的な中心地として栄えた。

2011/05/11

海賊キャプテン・キッドの沈没船が水中博物館へ

キャプテン・キッドの肖像
ウィリアム・キッドは1645年にスコットランドで生まれた海賊船の船長であり、「キャプテン・キッド」という名で有名だ。

キッドは当初海賊退治とフランス船の略奪を目的としていたが、英国以外の船ならどの船でも略奪するようになってしまい、喧嘩の末船員を殺害してからは本格的に海賊として海に乗り出すようになった。

最後はニューヨークで拘束され、イギリスに護送された後に海賊行為と船員の殺害容疑で投獄された。
1701年にはロンドンで絞首刑にされた。遺体はテムズ川の上の鉄製の檻に入れられ、2年間の間、見せしめとして放置された。

キッドは処刑直前に自分が隠した宝の在り処について話そうとしたが、そのまま処刑されてしまった。この逸話から、今もどこかにキャプテンキッドの財宝が眠っているという伝説が生まれ、数々のフィクションが生まれたのである。

2011/05/06

エジプト・ファイユームの遺跡メディネット・マアディが観光客へオープン

メディネット・マアディ遺跡
考古省のザヒ・ハワス氏と在エジプトイタリア大使Claudio Pacificoは、エジプトのファイユームにおける「メディネット・マアディ振興プロジェクト(Madinet Madi Development Project)」の第2フェイズが終了し、ビジター・センター(観光客向けの施設)がオープンしたことを報じた。