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2013/01/18

4000年前にインドからオーストラリアに渡った人々

現生人類の祖先がアフリカ大陸を出た後、様々な地域へ拡散していき、一部の集団は4万年以上前にオーストラリア大陸にたどり着いた。
その後、18世紀にヨーロッパ人が訪れるまで、オーストラリアは外部の人類から隔絶されていたと考えられていた。
アボリジニ

しかし、最近のDNA分析の結果から、4000年前にインドからオーストラリアに渡ってきた人々がいて、アボリジニと混ざり合っていたことがわかってきた。

2013/01/16

ローマ時代のポンペイには2階にトイレがあった!

イタリア・ナポリの近郊にあった古代都市ポンペイは、紀元後79年のヴェスビオ火山の噴火による火砕流で、一瞬にして地中深くに埋まってしまった。その後町18世紀に至るまで地中に没したままであったことが原因で、古代ローマの都市の様子がそのままの状態で残されていた。
テーブルには食器がそのまま置かれていたり、壁のフレスコ画が良好な状態で残されているなど、当時の町や生活の様子を知るための稀有な遺跡であり、世界遺産にも登録されている。
ポンペイの遺跡。背後にはヴェスビオ火山が見える。
このポンペイ遺跡には、どうやら2階にもトイレが備えられていたらしい。
2階建ての住居があったことは知られているが、2階まで残っている例は多くはない。
しかし、2階に続いていた垂直方向のパイプが残っており、トイレが上の階に存在していたらしいことがわかってきた。

2013/01/10

ボランティア奴隷?紀元前2世紀エジプトの不思議な契約

自ら望んで奴隷になるという人は、普通いない。
しかし、紀元前2世紀のエジプトでは、人々が自ら奴隷として神殿で働く契約を結んでいた証拠が残っている。
しかも、彼らは望んで奴隷になっただけでなく、奴隷になるために神殿に費用を支払うことまでしているのだ。
テブトゥニスにあるセベク神殿
コペンハーゲン大学のエジプト学者Kim Ryholt氏の研究によるもので、ファイユーム地方の神殿都市テブトゥニスの古代のゴミの堆積から発見されたパピルスを解読した結果、奴隷の契約に関する文書であることがわかった。

2012/12/19

ミイラの分析からラメセス3世暗殺事件の真相に迫る

ラメセス3世は古代エジプト新王国時代第20王朝のファラオで、治世は紀元前1186年から前1155年頃と言われている。
新王国時代は古代エジプトの最盛期と言われているが、その末期は労働者の給与が問題となってストライキが起きるなど、経済的にも疲弊し、ファラオの権力も弱体化していたと言われている。
ラメセス3世のミイラ

その事実を示すのが、ラメセス3世の暗殺事件の存在である。
王妃の1人ティイが、息子のペンタウェレトを王位につけたいと願うあまり、後宮や王宮の関係者と共謀して、王の暗殺を計画した。
この暗殺計画に関する裁判の記録が残っており、32人が取り調べられ、全員有罪で22人が死刑、王子を含めた残り10人が自害を強いられた。

しかし、この暗殺計画が成功したのか、それとも未遂に終わったのかは明らかになっておらず、エジプト学者の間でも議論の対象になっていた。

イタリア・ボルツァーノのミイラ・アイスマン研究所のAlbert Zink博士は、ラメセス3世のミイラに対して人類学的・法医学的調査を実施した。

2012/04/20

マルコ・ポーロはウソツキではなかった? 新たな見解

「東方見聞録」を書いたヴェネツィアの商人マルコ・ポーロは、実は中国まで来ていなかったという説があり、アルケオニュースでも以前に取り上げたことがある。
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
マルコ・ポーロの肖像
しかし、ドイツ・テュービンゲン大学のHans Ulrich Vogel教授が中国側にある資料を精査した結果、マルコ・ポーロは実際に中国を訪れていたことを改めて唱えた。

2012/04/06

人間に解体された?1万年以上前のマンモス発見

シベリアの北極海沿岸で発見された子どものマンモスに、人間によって解体された痕跡があることが分かった。
発見されたマンモス「ユカ」 Credit: F Latreille/Mammuthus/MCE
良好な保存状態で発見されたこのマンモスは、「ユカ(Yuka)」と名付けられた。
少なくとも1万年前のもので、この地域の人間活動との関わりを示す遺体は初の事例だという。

2012/04/03

古代ペルーの伝説に登場する英雄は実在した?史実性を考古学から探る

1530年にスペイン人がペルーを訪れ、文字がもたらされるよりも前の時代には、古代ペルーの伝説は口承を専門とする者によって、世代を超えて伝えられていた。彼らは、伝説の英雄と悪者達の物語を完璧に伝えることができるよう、訓練されていたという。

これらの物語の中でも特筆すべきは「ナイムラップ」の伝説である。ナイムラップは北部ペルーのランバイエケ周辺を支配した王朝を築いた伝説上の人物である。
ナイムラップを表した図像
伝説によると、ナイムラップはバルサの筏の大船団に、正室と多くの側室を含む側近達とともにやってきた。

2012/03/26

第2次大戦で消えた北京原人の骨を求めて

中国・北京の近くにある周口店で、1929年に中国の考古学者が頭蓋骨を含む40体の骨を発見した。
骨はホモ・エレクトスのものであることがわかり、「北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)」と呼ばれるようになった。
北京原人の頭蓋骨
近年の研究では77万年前のものと推定されており、これまでに発見された原人の化石群の中で最も多い資料となっている。
現在この周口店は世界遺産にも指定されている。
この北京原人の骨は、第2次世界大戦の時に消失してしまった。

2012/03/24

最新の研究成果で浮かび上がってきた古代ケルト人像

近年のドイツにおける調査の成果によって、古代のケルト人の姿がより鮮明に浮かび上がってきた。

ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の人類学教授Bettina Arnold氏は10年以上に渡ってドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州にあるホイネブルク丘上集落の発掘を行ってきた。
ここにある2600年前の2基のケルト人墳墓から、装飾品や酒器を含む遺物が発見された。
墓から発見された杯やその他の輸入品から、ヨーロッパ中央部のケルト人は地中海岸の人々と交易を行っていたことが分かってきた。

2012/03/23

万里の長城の続き?をモンゴル南部で発見

万里の長城の一部?がモンゴルで発見された。
場所はモンゴル南部、ゴビ砂漠の奥地にあたり、泥と低木で造られていた。
長さは100kmに渡り、高さは2.75メートル、チンギス・ハーンとその息子オゴデイが築いた「チンギス・ハーンの壁」に連なるという。
しかし、年代測定の結果はチンギス・ハーン以前のものであることを示しており、万里の長城の未発見部分ではないかとする説が持ち上がっている。
既存の長城の位置を示した図

2012/03/21

モンスーンの変化がインドの文明の盛衰を左右していた

インド・モンスーンは南西方向の季節風で、6月になるとインド南西部から強まり始め、次第に北東へ拡がっていく。これに伴って雨季が始まり、9月まで続く。
インドのモンスーンはこの2、3000年で、植物が繁茂しやすい湿潤で安定的なものから、乾燥期がより長く続くものへと変化していることが、ウッズホール海洋研究所で進められている研究の結果、明らかとなった。この気候の変化が、インドにおける古代文明の盛衰を左右していた可能性があるという。
モンスーンによる厚い雲(インド南部のナーガルコイル)
インド亜大陸(インド半島)はサハラ砂漠と同じ緯度にあるにも関わらず、10億以上の人々の生活を維持している。
もしモンスーンがなければ、インド亜大陸のほとんどの地域が乾燥し、人が住むことはできなかっただろう。
モンスーンの状況を予測することは、インドの人々の生活や経済にとって重要であるが、そのためには過去のデータを元にモデルを作成していかなくてはならない。
しかし、過去のモンスーンについてはわかっていないことも多い。

2012/03/17

産経ニュースの記事:貞観地震前後の関東で起きた大地震

平安時代の貞観11年(西暦869年)5月26日に起きた貞観地震は陸奥国東方沖の海底を震源域として発生した巨大地震であり、津波による被害も甚大であった。マグニチュードは8.3以上であったと推測されており、2011年3月11日に起きた東日本大震災との類似が指摘されていた。

この地震の前後に、関東地方で大地震があった記録が残っていることが、MSN産経ニュースに掲載されていた。
【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】

2012/03/16

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 ついに発見か?

イタリアのヴェッキオ宮殿(フィレンツェ政庁舎)にある壁画の裏に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「幻の壁画」が隠されている可能性が確認された。
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間
ヴェッキオ宮殿の「500人大広間」にはジョルジョ・ヴァザーリの壁画「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」があり、その裏にダ・ヴィンチの「アンギアリの戦い」が隠されているのでは、という話は以前からもあり、実在の科学的解明に関する記事を、本紙でも以前に取り上げていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品 実在の科学的解明

壁画の裏に高性能カメラを通して調査した結果、実在する証拠を発見したという。

2012/03/12

氷河期にヨーロッパ人が大西洋を渡っていたという新説

最初にアメリカ大陸へ渡ったのはアジア系の人々であり、彼らがいわゆるネイティブ・アメリカンの祖となったというのが通説だ。
しかし、アジア人よりも1万年も前に、ヨーロッパに起源を持つ人々が北大西洋を渡ってアメリカ大陸に到達していたという新説が発表された。
氷河期の北半球 灰色になっているのが氷河期の最盛期に氷に覆われていたと考えられる範囲

2012/03/02

ネアンデルタール人は海を渡っていた? 離島から石器が出土

ネアンデルタール人が10万年前に地中海を船で移動していたかもしれない。
もっとも、この説に懐疑的な人々は、単純に泳いでいただけと考えている。
ネアンデルタール人は30万年前から地中海周辺に住んでいたと考えられている。
彼らが使用していたムステリアンと呼ばれるタイプの石器が、ギリシア本土だけでなく、レフカダ島、ケファロニア島、ザキントス島でも発見されている。
これは2通りに解釈ができる。1つはこれらの島が昔は地続きで簡単に行き来ができたか、もう1つは彼らが何とかして海を渡っていたかである。

2012/03/01

「バグダッドの雪」 古文書から古代の気候を復元する

アラブの古文書の天候に関する記述から、古代の気象を復元する研究が行われている。
写真はアッバース朝の文書
イスラムの黄金時代である紀元後816~1009年のイラクの学者や歴史家による記述、日記には、異常な気象パターンの解明につながる情報が残されているという。
過去の気象の復元は現代の天候との比較や、気候変動の解明に役立つ。
自然界には、木や氷床コア、サンゴ礁などが過去の気象に関する情報源となるが、人間の観察による情報は、史料に限られている。

2012/02/29

アイスマンの目は茶色、O型、乳製品がダメ DNA分析の結果

1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3210メートル)の氷河で発見された約5300年前の男性のミイラ、「アイスマン」のDNAの解析が行われた。
アイスマンの写真
エッツ渓谷で発見されたため、「エッツィ」とも呼ばれている。
保存状態が極めて良好だったことから、当時の人々の病理や食、習俗を知る上での格好の資料となっていた。
これまでに、動脈硬化や虫歯を患っており、刺青を入れていて、アイベックス(野生のヤギ)を死ぬ前に食べていたことが分かっていた。
また、背に矢を受けており、それが死因と考えられている。
DNAの研究は、アイスマンに関するさらに詳しい情報を提供してくれた。

2012/02/08

イースター島の人々はコロンブス以前にアメリカ大陸に来ていた?

アジアから移住してきた太平洋の島々の人々と、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った先住民の人々。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
イースター島のモアイ像
オスロ大学の免疫学者Erik Thorsby氏は1971年からイースター島に住む人々を対象に、アメリカ先住民がポリネシアに到達していた証拠があるかどうかを調査していた。
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。

2011/11/04

古代エジプトのミイラから前立腺ガンの痕跡を発見

M1と名付けられた2250年前のミイラは生前、長く苦痛を伴う進行性の病気と闘っていた。
彼の背中の下部には鈍い痛みがあって、やがて他の部分に拡がり、ほとんどの動作が苦痛になってしまった。
M1が51歳から60歳ごろに謎の病に屈した後、家族は彼をミイラ化してくれたので、M1は再生し、来世での幸福を享受することができた。
M1とそのCTスキャン図
Credit: (mummy)MNA / DDF - Instituto dos Museus e da Conservação, I.P., Lisbon; (CT, inset) LMP / IMI - Imagens Médicas Integradas, Lisbon
国際的な調査チームが、M1の診断を行った。
M1は古代エジプトで知られている中でも最も古い前立腺ガンによる死亡例であることがわかり、世界中でも2番目に古いことになる。
(最も古い例はロシアのスキタイ人の王の遺体であり、2700年前のもの)
最新の研究結果から、初期の研究では古代におけるガンの普及具合を低く見積もっていたかもしれない、ということが指摘されている。
2005年以降、高精度のCTスキャンによって直径で1~2mmしかない腫瘍でさえも発見することが可能になったからだ。
「この技術がなかったので、初期の研究者はおそらく多くを見落としていただろう」と研究チームを率いているポルトガル・リスボンの放射線科医Carlos Prates氏は述べている。

2011/10/24

ネアンデルタール人はなぜ短足だったのか?

ネアンデルタール人の足は現代人よりも短いことが分かっているが、多くの研究者は寒冷な気候が原因と結論づけていた。
ドイツ・エルクラートにあるネアンデルタール人の像
しかしネアンデルタール人の短い足は、彼らが住んでいた山がちな地形を歩くのにはむしろ便利だった、ということがジョンズ・ホプキンス大学の研究者によって明らかにされた。
足の短さと山がちな環境を結びつけることで、その他の多くの動物にみられる手足のプロポーションについても説明することができるという。