2012/02/08

イースター島の人々はコロンブス以前にアメリカ大陸に来ていた?

アジアから移住してきた太平洋の島々の人々と、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った先住民の人々。
コロンブスがアメリカ大陸を発見する前の時代に、彼らには交流があったのだろうか?
DNA分析による研究成果によって、モアイ像で有名なイースター島の人々が南米に渡っており、在地の先住民に混じっていた可能性が提示された。
イースター島のモアイ像
オスロ大学の免疫学者Erik Thorsby氏は1971年からイースター島に住む人々を対象に、アメリカ先住民がポリネシアに到達していた証拠があるかどうかを調査していた。
彼の近年の研究成果では、アメリカの先住民がヨーロッパ人のアメリカ大陸到来以前に、ポリネシアの人々を伴って南米からイースター島へ来ていた可能性があるという。

イースター島はラパ・ヌイとも呼ばれており、南米西岸から3700km離れた太平洋上に位置する火山島である。
ラパ・ヌイ国立公園として、島全体が1995年に世界遺産に登録された。

1860年代に島民は奴隷として強制的にペルーに移住させられていた。
したがってポリネシアの人々とアメリカ先住民の融合の証拠は、この時代のものと考えられていた。

Thorsby氏は1970年代から島民の血液のサンプルを採取しており、DNAの分析を行った。
予想通り、大多数はポリネシアで共通する型のものであった。
しかし、サンプルに含まれていたヒト白血球型抗原から、アメリカの先住民にしか見られないタイプの遺伝子がわずかではあるが特定されたのである。
この遺伝子は過去に関係のなかった2つの異なるハプロタイプ(いずれかの片親に由来する遺伝子の組合せ)であることがわかった。
この結果と他の遺伝子に関する状況証拠から、この遺伝子は古いもので、島民がペルーに送られた時代よりも数世紀も前のものである可能性があるという。
Thorsby氏は「我々の研究成果は、ポリネシアの人が1400から1500年代に南米を訪れ、アメリカの先住民を伴ってポリネシアに戻ってきたことを示唆している」と述べている。
もっとも、まだ「推測の段階」とのことだ。

ポリネシアとアメリカ大陸との交流は、他にも根拠がある。
アンデス山脈が原産のサツマイモなど、いくつかの植物はコロンブスのアメリカ大陸発見以前に太平洋に拡がっている。
また言語学や美術においても、南米西岸とポリネシアの文化には共通性が見られるという。
しかし、決定的な考古学的証拠が不足していた。

Thorsby氏の仮説は、イースター島を研究している専門家たちには懐疑的に受け止められている。
マノアにあるハワイ大学の考古学者Terry Hunt 氏は「こうした研究を行うのは良いことだが、年代に対する根拠があいまいな状況では、決定的な答えをだすことは不可能だろう」と述べている。
彼によると、Thorsby氏のデータは2地域の人々の融合が後の時代のものである可能性を完全に排除できていないという。
より確かな証拠を得るためには、ヨーロッパ人がイースター島に到来した1722年以前の人骨を調査をすることが必要だと彼は述べている。
今のところ残っている人骨は、より後の時代のものである。
しかし、DNAの抽出が可能な古代の人骨を発見するのは、それほど大きな賭けではないとHunt 氏は付け加えている。

Did Easter Islanders Mix It Up With South Americans?


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