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2012/04/18

タイタニック号の残骸に残る遺体

1912年にイギリス・サウスサンプトンからニューヨークへ向けて出発したタイタニック号が沈没して、100年になる。
100年を経た今、タイタニック号はユネスコによる水中文化遺産として認められるようになった。
3600mの海底にある遺品の靴 Credit: AP Photo/Institute for Exploration, Center for Archaeological Oceanography/University of Rhode Island/NOAA Office of Ocean Exploration
タイタニック号の残骸がある場所には、まだ海底の泥の中に遺体が残っている可能性が指摘されている。

2012/03/12

氷河期にヨーロッパ人が大西洋を渡っていたという新説

最初にアメリカ大陸へ渡ったのはアジア系の人々であり、彼らがいわゆるネイティブ・アメリカンの祖となったというのが通説だ。
しかし、アジア人よりも1万年も前に、ヨーロッパに起源を持つ人々が北大西洋を渡ってアメリカ大陸に到達していたという新説が発表された。
氷河期の北半球 灰色になっているのが氷河期の最盛期に氷に覆われていたと考えられる範囲

2012/02/24

ギリシア・クレタ島沖で沈没船が新たに4艘発見される

ギリシア・クレタ島のイラクレイオ湾の30km沖で、4艘の沈没船が発見された。
上空から見たクレタ島
沈没船の内2艘はローマ時代のもので、1艘には1世紀から2世紀のクレタ島のアンフォラ(貯蔵用の壺)が積まれており、もう1艘からは5~7世紀のアンフォラが発見された。
その他の2艘はビザンツ時代のアンフォラがあり、8~9世紀か、それ以降のものであるという。

2011/10/26

保存状態の良い元寇船が発見される 長崎県松浦市鷹島町沖

日本の鎌倉時代中期に中国大陸を支配していたモンゴル帝国。
元寇(蒙古襲来)と呼ばれる、モンゴル帝国による二度にわたる対日本遠征は、日本史の教科書に必ず載っている有名な出来事だ。
長崎県松浦市鷹島町の沖合で、この元寇でモンゴル帝国が使用した船が、構造を保った状態で発見された。
CREDIT:琉球大考古学研究室

10月24日に琉球大法文学部の池田榮史教授(考古学)は長崎県庁で正式発表し、現場の映像を公開しながら説明した。船の全長は20メートルに及ぶという。

2011/10/19

壺に残るDNAの分析から交易品を復元 古代ギリシア

古代ギリシアの船に積まれていた貯蔵用の壺のDNA分析から、古代ギリシア人がワインだけでなく、様々な食料の交易を行っていたことがわかった。
交易に使用された壺(アンフォラ)
地中海にあった沈没船から発見された9つの壺から、野菜、ハーブ、木の実の存在が分析によって検出されたという。
今後、様々な時期の遺物に対してDNA分析を行うことで、地中海域における交易マーケットの展開をより詳細に知ることができるかもしれない、と分析を行った研究者らは述べている。

2011/10/12

デジタル技術で甦る海に沈んだ都市 ギリシア・パヴロペトリ

 庭付き一棟二軒の家、庭に干された服、壁や道路・・ギリシア南東岸にあった青銅器時代の郊外の都市パヴロペトリの姿が、デジタル技術を駆使して3次元で甦った。
パヴロペトリは海中から発見された5000年前の都市であり、道路、建物、墓を含めた街全体の構造が、ほぼ完全な姿で残されていた稀有な例である。
街への居住は紀元前2800年頃から開始され、海中に沈んだのは紀元前1000年頃と考えられている。

2011/09/02

沈没船の積み荷がほぼ完全な状態で出土 トルコ・イェニカプ

 トルコ・イスタンブールにあるイェニカプで発掘が遺跡では、世界でも最も保存状態が良いと言われている沈没船が発見されており、発掘が進められている。
イェニカプでの発見ニュースでは、アルケオニュースでも取り上げたことがある。
過去の記事:保存状態最高の古代ビザンツの船を積み荷とともに発見 トルコ・イェニカプ
発掘の様子
調査を行っている考古学者らによれば、船は4世紀から5世紀のもので、嵐で沈んだと考えられている。
驚くべきことに、積み荷のアンフォラ(液体物の運搬に使用した大型で細身の土器)のほとんどは完全な状態だった。

2011/08/16

3000枚以上の古代の硬貨を海中で発見 シチリア


シチリア海峡のパンテッレリーア島で3422枚の古代の青銅製硬貨が海中から発見された。
発見された青銅の硬貨
水中の遺跡観光のために行われたダイビング調査の途中に偶然発見されたもので、紀元前264年から241年のもので構成されていた。

シチリア島の110km南西に位置するパンテッレリーア島はその時代、ローマとカルタゴの不和の原因となっていた。

ローマ人は紀元前255年の第一次ポエニ戦争でこの島を占領したが、翌年には失っている。
紀元前217年の第二次ポエニ戦争では、最終的にローマが島を奪取し、記念コインや記念日を作ってその勝利を祝ったという。

2011/08/12

ハワイの海に沈む第2次世界大戦の遺産


米国海洋大気庁(NOAA)とハワイ大学はハワイ・マウイ島の南岸に沈んだ第2次世界大戦時代の飛行機と沈没船の調査を完了した。

調査チームは6つの残骸の図面作成と写真撮影を行った。
残骸は艦載爆撃機(SB2C-1C Helldiver)、艦載戦闘機(F6F Hellcat)、3台の水陸両用の攻撃車両(LVT-4 and LVTA-4s)、内2台は75㎜榴弾砲を搭載していたものだった。
攻撃車両(LVT-4)の残骸 CREDIT: NOAA

記録は残骸の劣化状況を評価するのに利用され、また遺物が移動もしくは失われてしまった場合に位置を特定するのに役立つ。

2011/08/08

スペインの「無敵艦隊」の沈没船発見か アイルランド沖


アイルランド北西部ドニゴール州バートンポートの沖でスペインの無敵艦隊(アルマダ)のものと思われる沈没船が発見された。

ダイバーによる海底の調査で発見されたもので、16世紀の船であることがわかり、おそらく1588年の「アルマダの海戦」によるものだという。
アルマダの海戦を描いた絵画

「アルマダの海戦」はスペイン無敵艦隊のイングランド侵攻で、1588年に英仏海峡で行われた諸海戦の総称。

2011/07/17

バルト海底で船を発見 中世デンマーク王の伝説の船か 


スウェーデンの東にあるゴットランド島とエーランド島の間の海底で、12世紀から14世紀にかけてバルト海で使用された船らしきものが発見された。

ソナーによる船影
ソナーによる調査で船影が見つかった。
沈没船調査の専門家Erik Bjurström氏は「初めて画像を見たとき、首の後ろの毛が逆立った」と語っている。

船の時期と発見された場所から、歴史家達はデンマーク王ヴァルデマー4世の伝説の船なのではないかと期待を寄せている。
船は1361年にゴットランド島のヴィスビューで大量の財宝を積みこんで、帰国する途中に沈んだという。

2011/07/01

世界で初めて船を沈めた潜水艦H.L.ハンリー 保存修復作業が進行中

潜水艦H.L.ハンリー
アメリカ連合国(アメリカ南北戦争時の南部諸州の国)の潜水艦H.L.ハンリーは1864年の2月17日、潜水艦史上発の船舶への攻撃を行い、沈没させることに成功した。
攻撃後、すぐに基地への帰還のため引き返したようだが、消息を絶ってしまった。
最近になって、ハンリーはチャールストン湾沖の海中に沈んでいることが発見され、乗組員であった8名も死亡していたことが確認された。

ハンリーは右舷側に45度傾いた状態で発見されており、2000年にその角度のままで引き上げが行われた。
今年の6月に保存修復作業が完了し、直立した状態でおくことができるようになった。

2011/06/12

東アフリカまで到達していた中国・明時代の大船団 水中考古学による裏付け調査

中国・明時代の鄭和による大船団が、その一部が東アフリカにまで来ていたというのは、もはや定説のようになっている。
鄭和の船団が訪れた地域
この説を考古学的にも証明するために、中国とケニアの考古学者は東アフリカ沖で沈没船の調査を行っている。

鄭和は明の永楽帝に重用され、南海へ7回の大航海を行った人物。東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカまで航海したと伝えられている。
用いられた船の大きさと船団の規模には目を見張るものがある。
第1次航海の例では、船の大きさが長さ137m、幅56mの巨艦で、船団は62隻、総乗組員は2万7800名に登ったという。

2011/06/03

海賊「黒ひげ」のいかりが引き上げられる アメリカ・ノースカロライナ州

回収された黒ひげの船のいかり
アメリカ・ノースカロライナ州沖の海底で、伝説的な海賊「黒ひげ」の旗艦のいかりが引き上げられた。
旗艦「クイーン・アンズ・リベンジ号(女王アンの復讐号)」にあった3つのいかりの内の1つであり、重さは1360キロもある。

1996年にノースカロライナ州のビューフォートの近くで発見され、数年前から段階的に船に積まれている品の回収作業が行われていた。
すでに大砲、金貨、大皿、コップなど25万点以上の品が回収されたという。

6月11日には、ノースカロライナ州ボーフォートにあるノースカロライナ海洋博物館でクイーン・アンズ・リベンジ号の残骸から回収した品の展示会が開催される。
1996年の発見以後、付近は観光名所となっている。

2011/06/02

古代ローマの船に魚の貯蔵タンク 新鮮な魚を各地へ輸送していた

ローマ時代の船の船体に鉛のパイプが通っているものが発見されていたが、その用途については良くわかっていなかった。
イタリアの考古学者の研究によって、実はこのパイプが生きた魚を貯蔵するのに使用されており、水中に継続的に酸素を入れるための、巧みなポンプ機能を有していたという説が提出された。
発見されていた鉛のパイプ

歴史学者は、古代には冷蔵庫がなく、運んでいるうちに腐ってしまうので、魚を消費していたのは魚がとれる場所のすぐ近くに住んでいる人々だと考えていた。
もし、新説が事実ならば、ローマ時代の船は生きた魚を地中海中の港に運ぶことができた可能性がある。

2011/05/14

キューバの海の底に眠る謎の「失われた文明」

カリブ海のキューバの位置
1950年代に、キューバのダイバーがキューバ西部の海の底でネイティブ・アメリカンのものと思われる文明の痕跡を発見した。
これはキューバに紀元後900年頃に南アメリカから移住してきたタイノ族とは明らかに異なり、より発達した文明であった。
キューバはフロリダ最南端の島々やユカタン半島からも近いことから、アメリカ地域の穀物、人、情報の流通の場として機能しており、この文明はその証拠であるという仮説がキューバの考古学者によって提示されている。

2011/05/11

海賊キャプテン・キッドの沈没船が水中博物館へ

キャプテン・キッドの肖像
ウィリアム・キッドは1645年にスコットランドで生まれた海賊船の船長であり、「キャプテン・キッド」という名で有名だ。

キッドは当初海賊退治とフランス船の略奪を目的としていたが、英国以外の船ならどの船でも略奪するようになってしまい、喧嘩の末船員を殺害してからは本格的に海賊として海に乗り出すようになった。

最後はニューヨークで拘束され、イギリスに護送された後に海賊行為と船員の殺害容疑で投獄された。
1701年にはロンドンで絞首刑にされた。遺体はテムズ川の上の鉄製の檻に入れられ、2年間の間、見せしめとして放置された。

キッドは処刑直前に自分が隠した宝の在り処について話そうとしたが、そのまま処刑されてしまった。この逸話から、今もどこかにキャプテンキッドの財宝が眠っているという伝説が生まれ、数々のフィクションが生まれたのである。

2011/05/02

フィリピンで2隻の沈没船が発見される 財宝満載?

海底からの引き上げ作業や調査を行う会社、「Oceanic Research and Recovery Inc.(海洋調査・回収会社、略称:ORRV)」は、フィリピンで2つ沈没船を発見したと4月29日に報じた。

これまでの調査で少なくとも1つの船は、マニラからメキシコのアカプルコに向かうマニラ・ガレオン船であると考えられている。
もう1つの船は内海のマニラ・ガレオン船で、東洋の交易品を購入するための銀と金を積んでいたようである。
地元のガイドがこの会社のメンバーに、この場所で発見された1786年製(カルロス3世)の銀のコインを見せたという。