2011/08/31
2011/08/29
2011/08/27
グラウンド・ゼロで発見された遺物の展示を開催 アメリカ・ペンシルヴァニア大学
アメリカ・ペンシルヴァニア大学では、9.11の10周年を記念して、グラウンド・ゼロで発見された遺物の展示を行っている。
単なる日用品が、事件の記憶を湧き起こすシンボルとなっている。
展示のタイトルは「Excavating Ground Zero(グラウンド・ゼロを発掘する)」で、ペンシルヴァニア考古学・人類学博物館で開催されている。
15の展示物があり、壊れたメガネ、来訪者のバッジ、ほとんど原型の無いコンピュータのキーボード、辞書のページ、完全な状態のクリスマスの飾り、よじれた布切れのようにねじまがった拡声器などが含まれている。
これらの遺物が公の場に展示されるのは初めてであり、2012年の9月11日にワールドトレードセンタービルがかつてあった場所にオープンする予定の博物館で展示されるために選別されたもの。
2011/08/26
2011/08/23
2011/08/22
2011/08/21
リビアの古代文明で人為的な穿孔を受けた頭蓋骨が発見される
北部アフリカで古代のガラマンテス文明の遺跡で発見された3つの頭蓋骨に、意図的に行われた穿孔やくぼみがあることが、イギリス・ケンブリッジ大学の人類学者Efthymia Nikita氏らによる調査で分かった。
穿孔やくぼみは怪我に対する処置なのか、もしくは別の医療に関する目的で行われたのかは今のところわかっていない。
ガラマンテスとは、現在のリビアのサハラ砂漠にあたる場所に3100年前から1400年前まで栄えたベルベル人の文明で、優れた灌漑技術を有していた。
ガラマンテスに関する文字資料は乏しく、ガラマンテスという名前自体もギリシア語からきており、多くの情報は古代ギリシア・ローマから来ている。
近年発掘調査が行われているものの、その大部分は未だ手つかずの状態の、「謎の文明」である。
2011/08/19
2011/08/18
2011/08/16
2011/08/15
2011/08/14
2011/08/13
「マルコ・ポーロは東方に来ていなかった」説
マルコ・ポーロ(1254年9月15日 - 1324年1月8日)は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』を口述した人物である。
マルコ・ポーロによる旅の記録は、中世ヨーロッパの人々に中国やシルクロードのエキゾチックな世界を紹介したことで、歴史上偉大な探検家としてその名をとどめるに至った。
マルコ・ポーロの肖像 |
むしろ、彼の話は黒海で会ったペルシア人の商人から、中国、日本、モンゴル帝国について聞いた、又聞きの物語であり、他の情報をつなぎ合わせて「東方見聞録」を完成させたというのだ。
2011/08/12
2011/08/11
2011/08/10
スーダンの古代都市メロエで最古の建造物を発見 初期の宮殿か
世界遺産となったスーダンの古代都市メロエで、建造物の遺構が発見された。
発見された構造物は一部しか明らかになっていないが、おそらく古代の王宮と思われるもので、後世の王宮の下から発見された。
この構造物は、これまでにメロエで発見されている建造物の中でも古い段階のものだという。
メロエは2000年間にわたってナイル川流域に栄えたクシュ王国の首都であった。
クシュ王国は紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて栄え、一時はエジプトを含め、ナイル川流域の地中海沿岸部からアフリカ中央部にかけて支配した強大な国だった。
クシュ王国の王は古代エジプト第25王朝のファラオとして君臨し、紀元前671年にアッシリアのエサルハドン王によって追い出されるまで、約1世紀にわたってエジプトを支配した。
メロエの人々はピラミッドを築いており、メロエ文字と呼ばれる、現在でも完全には解読されていない文字を用いていた。
発見された構造物は一部しか明らかになっていないが、おそらく古代の王宮と思われるもので、後世の王宮の下から発見された。
この構造物は、これまでにメロエで発見されている建造物の中でも古い段階のものだという。
CREDIT: Royal Ontario Museum |
メロエは2000年間にわたってナイル川流域に栄えたクシュ王国の首都であった。
クシュ王国は紀元前8世紀から紀元後4世紀にかけて栄え、一時はエジプトを含め、ナイル川流域の地中海沿岸部からアフリカ中央部にかけて支配した強大な国だった。
クシュ王国の王は古代エジプト第25王朝のファラオとして君臨し、紀元前671年にアッシリアのエサルハドン王によって追い出されるまで、約1世紀にわたってエジプトを支配した。
メロエの人々はピラミッドを築いており、メロエ文字と呼ばれる、現在でも完全には解読されていない文字を用いていた。
2011/08/09
イングランド全土の考古学マップ作製に着手 オックスフォード大学
オックスフォード大学考古学部はイングランド全土に及ぶ先史時代の考古学マップ作製に着手した。
「Portal to the Past」プロジェクトと呼ばれるもので、各地域の紀元前1500年前の青銅器時代から1086年のドゥームズデイ・ブックの時代まで1500年間にわたる情報をインターネットで閲覧することができる。
(ドゥームズデイ・ブックはイングランドを征服したウィリアム1世による検地の結果を記録した世界初の土地台帳)
プロジェクトを率いているChris Gosden教授は、歴史に関する検索内容で、地元の情報が祖先の情報に次いで人気があるという。
しかしながら、今のところキリスト教の教区で管理されている記録は1000年程前までしかわからない。
5年間のプロジェクトで、180万ポンドの費用が投じられる。
マップ作製のために全ての利用可能なデータをデジタル・アーカイブ化し、先史時代のイングランドに関する情報を可能な限り多く収集する予定。
「Portal to the Past」プロジェクトと呼ばれるもので、各地域の紀元前1500年前の青銅器時代から1086年のドゥームズデイ・ブックの時代まで1500年間にわたる情報をインターネットで閲覧することができる。
(ドゥームズデイ・ブックはイングランドを征服したウィリアム1世による検地の結果を記録した世界初の土地台帳)
プロジェクトを率いているChris Gosden教授は、歴史に関する検索内容で、地元の情報が祖先の情報に次いで人気があるという。
しかしながら、今のところキリスト教の教区で管理されている記録は1000年程前までしかわからない。
5年間のプロジェクトで、180万ポンドの費用が投じられる。
マップ作製のために全ての利用可能なデータをデジタル・アーカイブ化し、先史時代のイングランドに関する情報を可能な限り多く収集する予定。
2011/08/08
2011/08/07
2011/08/06
2011/08/05
2011/08/04
メキシコの洞窟で先スペイン期のミイラ化した遺体発見
メキシコのチフアフア州タラフマラ・シエラにあるクエボ・エル・ギガンテ(Cueva El Gigante、巨人の洞窟という意味)で、2つの部分的にミイラ化した遺体が発見された。
昨年末にもミイラが同じ場所でみつかっている。このミイラは「走る民」と呼ばれるメキシコの山岳民族・ララムリの祖先と考えられている。
専門家によれば、ミイラは800~1000年前のもので、先スペイン期の埋葬地の一部であるとのこと。
2010年から2011年にかけて、10体のミイラと13体分の人骨がこの洞窟で発見されている。
昨年3人の民間人がミイラを発見し、国立人類学・歴史研究所の専門家による調査が始められていた。
昨年末にもミイラが同じ場所でみつかっている。このミイラは「走る民」と呼ばれるメキシコの山岳民族・ララムリの祖先と考えられている。
ミイラの出土状況 Credit: Enrique Chacón/INAH |
2010年から2011年にかけて、10体のミイラと13体分の人骨がこの洞窟で発見されている。
昨年3人の民間人がミイラを発見し、国立人類学・歴史研究所の専門家による調査が始められていた。
ヨーロッパ男性の約半数がツタンカーメンと共通するDNAを持つ
ヨーロッパの男性の約半数がエジプト新王国時代のファラオ、ツタンカーメンと同じ遺伝子を持つことが、スイスの遺伝子学者の分析で明らかになった。
チューリヒに拠点を置く遺伝子系図研究所「iGENEA」は、9歳で即位した少年王ツタンカーメンと、その父アクエンアテン、祖父のアメンヘテプ3世のミイラから遺伝子プロファイルを再現した。
分析の結果、ツタンカーメンは「ハプログループ R1b1a2」として知られるグループに属しており、ヨーロッパの男性の50%以上がこのグループに属している。
この結果は、共通の祖先をもっていることを意味する。
なんと、現代のエジプト人でこのハプログループに属するのは1%未満だという。
チューリヒに拠点を置く遺伝子系図研究所「iGENEA」は、9歳で即位した少年王ツタンカーメンと、その父アクエンアテン、祖父のアメンヘテプ3世のミイラから遺伝子プロファイルを再現した。
ツタンカーメンの黄金のマスク |
この結果は、共通の祖先をもっていることを意味する。
なんと、現代のエジプト人でこのハプログループに属するのは1%未満だという。
2011/08/03
2011/08/02
2011/08/01
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